帰る場所が消える
――永禄十二年(一五六九年)、常陸・手這坂。
でも、不死身にも、終わりは、来た。
佐竹義重は、ついに、本気を出した。
手這坂というところで、氏治の軍を、徹底的に、打ち破った。そして、こんどは、奪った小田城を、二度と、返さなかった。
義重は、学んでいた。
この男を消すには、城を奪うだけでは、足りない。城を奪っても、村人が手引きし、菅谷が取り返す。ならば――氏治が、戻れないように、すればよい。
義重は、小田城を、固めた。
城の守りを、厳重にし、村人が、こっそり城門を開ける隙を、与えなかった。手引きしようとする百姓を、厳しく取り締まった。菅谷の兵が、付け入る、わずかな緩みも、消した。
氏治の、帰る場所が、根こそぎ、消された。
何度でも戻れた、あの土地から、氏治は、ついに、締め出された。村人は、手引きしたくとも、できなくなった。菅谷は、取り返したくとも、取り返せなくなった。
小田氏治は、土地を、失った。
今度こそ、本当に。
そののちも、氏治は、近くの城に拠って、十年余り、小田の地を、窺い続けた。でも、あの城が、その手に戻ることは、二度と、なかった。
大名としての小田の家は、こうして、終わっていった。氏治は、結城を頼り、佐竹を頼り、さすらいの身となって、晩年を、過ごすことになる。三百年、小田の地に根を張った名門は、大名としては、消えた。
土地を失った氏治は――しかし、不思議なほど、穏やかだったという。
嘆きもせず、恨みもせず。
ただ、ぽつりと、こう言ったと、伝わる。
「わしは、戦は、下手だった。城も、田も、とうとう、守りきれなんだ。……だが、わしの田の百姓は、最後の最後まで、わしを、殿と呼んでくれた。それで、よいではないか」
それで、よいではないか。
負け犬の、負け惜しみと、笑うこともできる。
でも、その一言には、奇妙な、温かさが、あった。
日本一、戦の弱い大名は、日本一、領民に惜しまれた大名でも、あった。城を奪われるたびに、村人が泣いて手引きし、家臣が、生涯をかけて取り返した。そんな大名は、戦国広しといえど、この、負けてばかりの男の、ほかには、いなかった。
ずっと昔、関東のとある野で、一人の坂東武者が、こう言った。
武士とは、土地の番人だ。田を守り、一族を守り、その土地に骨を埋める者だ、と。
その物差しで測れば、氏治は、落第だった。
土地を、守れなかった。骨を埋めることも、できなかった。番人としては、これ以上ない、出来損ないである。
けれど。
もし、番人が守ろうとしたものが――「土地」そのものではなく、「その土地に住む人」だったとしたら。
氏治は、案外、いちばんの、番人だったのかもしれない。
田は、奪われた。でも、その田を耕す人々の中に、氏治は、確かに、名を残した。城は消えても、「小田の殿様は、優しかった」という記憶だけは、村に、長く、残った。
菅谷政貞は、最後まで、この主君に、仕え続けた。
なぜ、こんな殿に、と、生涯、問い続けながら。そして、ついに、離れなかった。
その答えを、菅谷は、言葉にできなかった。
できないまま――きっと、知っていた。




