はじまりの落城
――永禄七年(一五六四年)、常陸・小田城。
四国の鬼は、夢を奪われて、壊れた。
その重い話から、いったん、目を転じよう。同じ戦国の世の、日の本の反対側――関東の常陸に、四国の鬼とは、まるで正反対の男がいた。
戦が、めっぽう弱い。
日本一、戦の弱い大名、とまで言われた男である。
名を、小田氏治という。
小田の家は、れっきとした名門だった。鎌倉のむかし、源頼朝に仕えた八田知家――御家人の中でも指折りの重臣の、子孫である。常陸の南、小田城を本拠に、三百年あまり、この土地に根を張ってきた。家柄でいえば、申し分ない。
ただ、当主が、戦に弱かった。
その年、越後から、とんでもない男が、攻めてきた。
上杉謙信。
軍神と呼ばれ、戦場でこの男に勝てる者は、ほとんどいない、という化け物である。その謙信が、関東へ攻め込み、小田城へ、攻め寄せてきた。
氏治は、戦った。
山王堂というところで、謙信の軍と、ぶつかった。結果は――語るまでもない。氏治の軍は、軍神の前に、たちまち崩された。蹴散らされ、踏み潰され、あっという間に、総崩れになった。
普通の大名なら、ここで覚悟を決め、城を枕に討死するか、潔く腹を切る。
氏治は、そうしなかった。
逃げた。
それはもう、鮮やかな、逃げっぷりだった。城を、あっさり捨て、供回りもばらばらに、氏治は、ひとり、田圃のあぜ道を駆けた。追っ手が迫ると、近くの村へ、ひょいと、紛れ込んだ。百姓家の納屋に隠れ、藁をかぶり、息を潜める。名門小田の当主が、泥だらけの百姓に化けて、自分の領地の村に、こっそり、匿われていた。
その村の者たちは、誰も、氏治を、敵に売らなかった。
売るどころか、握り飯を運び、追っ手の動きを知らせ、ほとぼりが冷めるまで、殿様を、隠し通した。
「殿様。こんなとこで、しばらく辛抱してくだされ」
納屋に握り飯を運んできた百姓が、そう言った。氏治は、藁の中から顔を出し、にっこり笑って、握り飯を、受け取った。
「いつも、すまんのう。この恩は、忘れぬ」
恐縮するでも、悲しみにくれるでもない。城を失ったというのに、氏治は、どこか、のんびりしていた。
なぜ、村人が、こんな弱い殿様を、匿うのか。
理由は、簡単だった。
氏治が、優しすぎたのである。
戦国の、強い大名は、領民を、絞る。年貢を重くし、労役を課し、戦の費えを、容赦なく取り立てる。強い軍を養うには、銭がいる。銭を作るには、民を、絞るしかない。
氏治には、それが、できなかった。
目の前で、百姓が苦しい顔をすると、年貢を、まけてやる。飢饉の年には、蔵を開けて、施してやる。気の毒で、絞れない。だから、いつも、銭が足りない。銭が足りないから、強い兵を養えない。強い兵がいないから、戦に、負ける。
絞れないから、弱い。
弱いから、負ける。
負けて、城を失う。
でも――絞らないから、領民が、殿様を、好いている。だから、負けて逃げても、村が、匿ってくれる。
可笑しな、堂々巡りだった。
藁の中で握り飯を頬張りながら、氏治は、のんびりと、思った。
まあ、城は、また、戻ってくるだろう。
その、根拠のない楽観が――なぜか、いつも、当たるのだった。




