第1話:長井の渡し
――治承四年(一一八〇年)十月、武蔵国長井の渡し。
評定(ひょうじょう=話し合い)は、三日も続いていた。
畠山の館の広間で、一族の年寄りたちが顔を突き合わせている。源頼朝の軍勢が、安房から上総、下総を呑み込んで、いよいよ武蔵に入ろうとしていた。その数、二万を超えるという。
迎え撃つのか。降るのか。
上座に座っているのは、十七歳の若者だった。
畠山次郎重忠。当主である父の重能は、大番役(おおばんやく=京都の御所を警備する任務)で京にいる。平家の御所を守る役目だ。つまり畠山は、誰がどう見ても平家方。その当主の留守を、元服(げんぷく=成人の儀式)してまだ二年の嫡男が、預かっていた。
しかも重忠の手は、二月前の戦で濡れている。
八月、平家方として、三浦の一族と戦った。由比ヶ浜で矛を交え、衣笠の城を攻めた。城は落ち、三浦の老いた当主・義明が死んだ。八十九歳だった。一族を先に逃がして、ひとり城に残って死んだ――その老人の首を、重忠はあらためている。
その三浦が、今、頼朝の傍らにいる。
「降れば、三浦が黙っておりますまい」
と、年寄りの一人が言った。別の年寄りが、吐き捨てるように返した。
「されば戦うか。二万を相手に、畠山一族だけで」
誰も答えなかった。
重忠は、評定のあいだ、ほとんど口をきかなかった。年寄りたちの言葉を全部聞いて、聞き終えてから、初めて長く喋った。
「父上は京におられる。平家への義理は、父上が果たしておられる。……ならば武蔵の畠山が果たすべきは、平家への義理ではない。畠山の家を、土地ごと残すことです」
広間が静まった。
「衣笠の戦を、わたしは恥とは思いません。あれは武門の習いの戦だった。恥と思わぬからこそ、隠さずに頼朝殿の前へ出て、隠さずに申し上げる。それで斬られるなら、畠山はそれまでの家だったということです」
まだ十七の若者にそう言われて、年寄りたちは黙り込んだ。
数日後、重忠は一族を率いて長井の渡しに出向き、頼朝の本陣に帰参を願い出た。
本陣の庭は、人で埋まっていた。
坂東じゅうの武士が居並ぶ中を、重忠はひとりで進み出た。歩きながら、視界の隅に、三浦義澄の姿が見えた。衣笠で死んだ義明の子だ。義澄は身じろぎもせず、岩のような顔でこちらを見ている。
その視線の中で、重忠は立ち止まって、まっすぐに頼朝を見た。
「畠山次郎重忠にございます。衣笠の戦は、平家方として、武門の習いにて戦い申した。それを恥とは思いませぬ。……なれど、これよりは佐殿の世が坂東の世と心得、二心なくお仕え申す」
言いながら、重忠は、自分の声が震えていないことを確かめていた。
言い訳をすれば、生きられるかもしれない。父の命令で仕方なく、とでも言えば。でも、それを言ってしまえば、衣笠で死んだ義明にも、死なせてしまった自分の郎党たちにも、顔向けができない。戦は、戦だった。恥じれば、死んだ者たちの戦まで、恥になってしまう。
頼朝は、しばらく重忠を見ていた。
それから、ふっと表情を緩めた。
「良い面構えだ。坂東武者とは、おぬしのような顔を言うのであろう」
その場で、先祖伝来の土地の権利が、認められた。
畠山の名も、畠山の土地も、そっくりそのまま重忠のものとして認められた。たった書付一枚。でも、その一枚を受け取った瞬間、重忠は、自分の膝が砂に深く沈むのを感じた。
御恩、という言葉は、知っていた。
知ってはいたけれど、本当に腹に落ちたのは、このときだった。家が残る。土地が残る。死んだ者たちの子が、あの田で飯を食っていける。それを保証してくれる、ということの重さ。この主のために働くというのは、忠義なんていうきれいごとではなく、もっと重くて、もっと単純な何かなのだ――ということ。
立ち上がって下がるとき、重忠はもう一度、三浦義澄の前を通った。
義澄は、やはり岩のような顔のままだった。重忠は足を止めて、深く頭を下げた。義澄は、何も言わなかった。その、何も言わないことこそが、返事だった。
赦さない。でも、同じ主に仕える。
坂東とは、そういう場所になったのだと、十七の重忠は、頭を下げたまま理解した。




