第8話:弟と杭
――治承四年(一一八〇年)十月、駿河国黄瀬川。
軍を返す前日、黄瀬川の陣に、奥州から若い武者がひとり、わずかな供を連れて駆けつけてきた。鞍馬を出て奥州で育ったという、二十二になる末の弟だ。名を、九郎義経といった。頼朝は人払いをして弟と対面すると、人目もはばからず手を取って泣いた――と、近習(きんじゅう=側近)たちは語り合った。
供の中に、ひときわ大きな荒法師がいた。比叡の山を出たという武蔵坊弁慶――後の世が、義経とともに、たくさんの物語を背負わせることになる男だ。義経の周りには、ああいう、命を捨てても惜しくない、という目をした者が、自然と集まってくるらしかった。
一騎当千の武勇に、人を惹きつける才。この弟は、戦場でなら、誰よりも輝くだろう――頼朝には、それが見えた。見えたからこそ、対面の涙が乾いたあとに、薄い寒さが残った。
わしが作ろうとしているのは、戦場ではない。誰が抜けても回り続ける、書付と道理の仕組みだ。そこに、一騎当千の英雄の席は、あるのか。抜きん出た一人の武勇は、仕組みにとって、いずれ、扱いきれない邪魔ものになりはしないか。
頼朝は、その問いを、まだ言葉にしなかった。ただ、いつか、この弟を持て余す日が来る――その予感だけが、胸の底に、小さく灯った。
対面は短く、弟はそのまま軍に加えられた。
軍は東へ返し、相模に入った。
その陣に、捕らわれ人がひとり、引かれてきた。
大庭景親だった。
石橋山で頼朝を追い詰めた、平家が坂東に打ち込んだいちばん太い杭。その男が、富士川の崩れのあと、行き場を失って、降ってきたのだ。
頼朝は、引き据えられた景親を、しばらく見ていた。
二月前、この男の三千の火に、頼朝の三百は呑まれかけた。あの夜の篝火の主が、今、縄を打たれて目の前にいる。景親は、命乞いをしなかった。並みいる坂東の諸将――その多くは二月前まで景親の側にいた――をゆっくりと見回し、最後に頼朝を見て、ただ一言だけ言った。
「……早かったな、佐殿」
頼朝は、答えなかった。
翌る日、大庭景親は、片瀬川のほとりで斬られた。
首は晒された。坂東の武士たちは、みんなそれを見た。平家という屋根に、最後まで忠実だった男の首だ。見た者たちは何も言わず、ただ、それぞれの胸の内で、新しい屋根の下に、自分の土地を置き直した。
大庭の御厨は、闕所(けっしょ=没収された土地)となって頼朝の手に入り、やがて手柄のあった御家人(ごけにん=主従関係を結んだ武士)に分け与えられることに決まった。
土地の番人だと言った男は、土地もろとも、新しい主に呑み込まれた。
御厨の田は、そのまま、そこにあった。
刈り入れは、済んでいた。屋根が替わっても、稲は、去年と同じ場所で実り、同じように刈られる。春になれば、また、水が引かれる。上の溝を直した若い郎党が、その後どうなったのかを、書き留めた者は、いない。ただ、あの一枚の田だけが、新しい主の帳面に、数字となって、載った。
冬が来る前の鎌倉で、頼朝は、新しい屋敷の工事の音を聞いていた。
坂東じゅうから集まった武士たちが、それぞれの土地の安堵状を待って、門前に列を作っている。安堵状は、ただの紙だ。でも、その紙を、彼らは命より重いもののように押し頂いて、国へ帰っていく。
紙が、刀を従え始めている。列を眺めながら、誰よりも先にそのことに気づいているのは、頼朝自身だった。
傍らに控えていた安達盛長が、ぽつりと言った。
「……二十年、長うございましたな」
頼朝は答えなかった。答えない主の横顔を、盛長は、流人の屋敷の頃と同じ顔で、ただ見ていた。
武士が武士に仕える世が、音を立てて形になり始めていた。
第一章 挙兵——石橋山の雨 ――完。




