↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
刀を持たない朝 ―武士とはなにか、七百年の物語―  作者: ソリトん
第六章 四国の鬼——長宗我部元親

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
118/145

第6話:戸次川

 ――天正十四年(一五八六年)十二月、豊後・戸次川(へつぎがわ)。

 秀吉は、次に、九州へ、矛先を向けた。

 九州では、島津が、ほぼ全土を、呑もうとしていた。耳川で大友を砕き、沖田畷で龍造寺を倒した、あの島津である。その島津を抑えるべく、秀吉は、九州へ、大軍を送ることにした。

 長宗我部父子は、その先鋒として、豊後へ、渡ることを命じられた。

 降伏した大名は、天下人の戦に、駆り出される。土佐一国に削られた元親は、嫡男・信親とともに、海を越え、豊後の地に、立った。同じく先鋒には、かつての阿波・讃岐の敵・十河存保もいた。旧敵が、今は、同じ秀吉の軍として、肩を並べていた。

 そして、その軍の、監督役として、中央から、一人の男が来ていた。

 仙石秀久(せんごくひでひさ)。

 秀吉子飼いの武将である。軍監――すなわち、この先鋒軍の、指揮を執る、上方からの目付だった。

 戸次川を挟んで、島津の軍と、向かい合った。

 島津の将は、家久。

 四兄弟の末弟。軍法の天才。沖田畷で、龍造寺隆信を、湿地に誘い込んで討った、あの男である。

 戦の評定で、元親は、仙石に、進言した。


「渡河は、なりませぬ」


 元親の眼は、島津の陣の、奇妙な静けさを、見抜いていた。


「島津は、釣り野伏せを使う家。下手に川を渡って攻めかかれば、誘い込まれ、伏兵に囲まれる。ここは、川を挟んで、後詰めの本隊を待つべきです。功を焦ってはなりませぬ」


 元親の言葉には、二十五年、戦場を生き抜いてきた者の、重みがあった。

 でも、仙石は、聞かなかった。


「臆されたか、長宗我部どの。みすみす敵を前に、川を挟んで待つなど、笑い者になる。攻める。それが、上様への、奉公だ」


 仙石は、功を、焦っていた。

 中央から来た監督役が、九州の戦で、華々しい手柄を立てる。そのために、攻めたかった。地方の戦を知り尽くした元親の進言は、中央の指揮の、面目の前に、握り潰された。

 軍監の命である。逆らえば、秀吉への反逆になる。

 元親は、唇を噛んで、従った。

 戸次川を、渡った。

 その瞬間、元親の、最も恐れた通りのことが、起きた。

 島津の陣が、するすると、退いた。誘っているのだ。元親には、分かった。でも、もう、遅い。川を渡った先鋒軍は、深く、誘い込まれた。そして、左右の伏兵が、立ち上がった。

 釣り野伏せ。

 沖田畷で龍造寺を呑んだ、家久の軍法が、今度は、長宗我部の先鋒を、呑んだ。三方から、島津の兵が、襲いかかる。退き道の戸次川が、味方の亡骸で、埋まった。

 先鋒軍は、崩れ去った。

 軍監の仙石秀久は、いち早く、戦場を離れ、讃岐へ、逃げた。十河存保は、討死した。旧敵が、同じ戦場で、果てた。

 そして――その入り乱れた戦いの中で。

 信親が、いた。

 元親の、誇り。出来すぎた嫡男。長宗我部の、輝かしい未来。

 信親は、退かなかった。崩れる味方の中で、踏みとどまり、自ら槍を取り、島津の兵と、戦った。父・元親が、二十六年前、長浜の初陣で、そうしたように。誰よりも前に出て、戦った。

 でも、囲みは、厚かった。

 信親は、島津の兵に、討たれた。

 二十二歳。

 奇しくも、父・元親が、姫若子から鬼若子へ変わった、あの初陣と、同じ歳だった。父が鬼に生まれた歳に、子は、死んだ。

 鍬助も、その戦場に、いた。

 田植えと稲刈りの合間に、二十五年、元親の下で、槍を握ってきた、半分百姓・半分兵の男。鍬助は、崩れる戦の列で、若い信親君を守ろうと、前に出て――そして、島津の槍に、貫かれた。

 倒れながら、鍬助は、ぼんやりと、思った。

 おれは、百姓か。武士か。

 田を耕してきた手で、最後まで、槍を握って、死ぬ。武士として、死ぬのか。それとも、ただ、殿の戦に駆り出された、百姓として、死ぬのか。答えは、最後まで、出なかった。出ないまま、鍬助は、豊後の、見も知らぬ土地の泥の上で、息を、引き取った。

 武士とは、誰のことなのか。

 その問いを、答えのないまま抱えて、土佐の地侍たちは、武士として、死んでいった。

 戦のあと、元親のもとへ、信親の遺体が、運ばれてきた。

 元親は、その亡骸の前に、座った。

 長いあいだ、動かなかった。声も、上げなかった。涙も、すぐには、出なかった。ただ、変わり果てた息子の顔を、見つめていた。あの、穏やかで、人に好かれた、出来すぎた息子の顔を。

 四国を、奪われた。それでも、信親がいれば、と思った。

 その信親が、今、ここに、冷たくなって、横たわっている。

 仙石の、功への焦りのために。

 元親には、何かが、音を立てて、崩れる音が、聞こえた。

 それは、城が落ちる音でも、軍が崩れる音でもなかった。

 一人の男の、心の、いちばん深いところが、崩れ落ちる音だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。