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刀を持たない朝 ―武士とはなにか、七百年の物語―  作者: ソリトん
第六章 四国の鬼——長宗我部元親

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第4話:島を呑む(二)

 ――天正十三年(一五八五年)春、伊予・土佐。

 最後に残ったのは、西の、伊予だった。

 元親は、その伊予へ、兵を進めた。河野氏をはじめとする伊予の勢力を、押し込み、降していく。完全に、とは、いかない。伊予の山深いところには、なお、従わぬ者もいた。でも、四国の大半は、もはや、長宗我部のものだった。

 鍬助も、その伊予の山を、歩いた。

 阿波の次は讃岐、讃岐の次は伊予。山を越えるたびに、土地の名が変わり、敵の名が変わった。でも、やることは、いつも同じだった。田植えを終えれば槍を担いで山を越え、稲刈りが近づけば、また土佐へ帰る。鍬助の草鞋は、もう何足、履きつぶしたか、覚えていない。四国が、一つずつ、長宗我部の色に染まっていくのを、鍬助は、足の裏の豆で、知った。これだけ歩いて、これだけ奪って、では、自分の田は、ひと畝でも広がったか。広がってはいなかった。広がったのは、殿の、領地ばかりだった。それでも、悪い気は、しなかった。殿が大きくなることが、なぜか、自分のことのように、誇らしかった。その誇らしさが、武士のものなのか、ただの百姓の身内びいきなのか、鍬助には、やはり、分からなかった。

 天正十三年の春。

 元親は、四国を、ほぼ、手中にした。

 土佐の、小さな国人だった家が、二十五年をかけて、四国という一つの島を、呑んだ。鬼若子と呼ばれた初陣から、四半世紀。元親は、四国の、覇者になった。

 岡豊の城で、元親は、嫡男の信親と、二人で、語った。

 信親は、もう、立派な若武者に育っていた。背は父よりも高く、物腰は穏やかで、家臣の誰からも、慕われていた。


「信親。わしは、土佐の田舎大名の子に生まれて、四国を、獲った」


 元親は、しみじみと、言った。


「だが、ここまでよ。海の向こうは、もう、わしの代では、届かぬ。その先は、お前の代だ。お前なら、もっと遠くへ、行ける」


 信親は、静かに、頭を下げた。


「父上が、二十五年かけて築かれたものを、わたしは、ただ受け継ぐだけです。父上ほどのことが、できるかどうか」

「できる」


 元親は、即座に、言った。


「お前は、わしより、人に好かれる。わしは、鬼と呼ばれて、人を従えた。お前は、徳で、人を集められる。それは、わしにはなかったものだ。……信親。お前は、わしの、誇りだ」


 信親は、何も言わず、もう一度、深く、頭を下げた。

 元親は、その息子の姿に、長宗我部の、輝かしい未来を、見ていた。自分が築いた四国を、この出来すぎた息子が受け継ぎ、さらに大きくしていく。それは、疑いようのない、約束された未来のはずだった。

 でも、その頃。

 四国の、はるか東では。

 元親の知らぬところで、時代が、音を立てて、変わっていた。

 元親に「四国は切り取り次第」と朱印を与えた、織田信長は、もう、いなかった。三年前、京の本能寺で、家臣の謀反に遭い、焼け死んでいた。皮肉なことに、その謀反を起こした明智光秀の重臣・斎藤利三は、元親の妻の縁者であり、信長と元親を繋いだ、あの取次の男だった。

 いや、その本能寺の前に、すでに、信長と元親の蜜月は、終わっていた。

 信長は、四国を切り取り次第と言いながら、元親の勢いが大きくなりすぎると、手のひらを返した。土佐と阿波の南半分だけにせよ、残りは寄越せ、と。元親は、これを、拒んだ。信長は、四国征伐の軍を、起こそうとした。その矢先の、本能寺だった。

 信長が死んで、元親は、ひとまず、難を逃れた。逃れて、四国を、統一した。

 でも、信長の死は、もっと恐ろしいものを、呼び寄せていた。

 羽柴秀吉。

 信長の家臣に過ぎなかった男が、主君の死の混乱を、一息に呑み込み、今や、天下人へと、駆け上がっていた。元親が四国を統一した、まさにその時、秀吉は、畿内を制し、その眼を、西と南へ向けていた。

 四国統一の祝いの最中に、上方からの報せが、届いた。

 秀吉が、四国へ、攻め寄せてくる、と。

 二十五年の夢が、実った、その瞬間。

 夢を、奪う者が、海の向こうから、動き出していた。


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