第6話:西国の主
――弘治三年(一五五七年)、安芸。
陶を倒した元就は、止まらなかった。
厳島で、大内の軍の中心を、討ち取った、今。大内の本国・周防と長門は、がら空きだった。元就は、その隙を、逃さなかった。
防長経略――周防・長門への、攻めが、始まった。
陶が立てた、名目だけの当主・大内義長は、もはや、これを、防ぐ力を、持たなかった。
攻めは、二年に、及んだ。
周防の城は、驚くほど、あっけなく、落ちた。厳島で主だった侍大将を失った大内の家には、城を守る者が、もう、残っていなかった。城主が逃げ、代わりに城代が門を開け、開けた城代が、そのまま元就の家臣になった。抗った城もあったが、後詰の来ない城は、何日も、もたなかった。
山口へ入った毛利の兵は、その町の広さに、驚いたという。
碁盤の目に区切られた大路。塀を連ねる寺。明から渡ってきた品を並べる店。京を逃れた公家が住み着いた屋敷。西の京と謳われた町が、ほとんど焼けもせずに、そこに、あった。守る者だけが、いなかった。
義長は、長門の、寺へ、追い詰められた。
大内の家に、もう、家臣は残っていなかった。義長は、そこで、自害した。二十六だったという。もとは豊後の大友の家から、名目のためだけに迎えられた男だった。生涯、自分の意志で何かを決めたことが、あったかどうかも、分からない。
大内氏が、滅びた。
応仁ののち、西の京と謳われた山口に、栄華を極めた、西国一の大大名。二百年、この西国を、京よりも京らしい町ごと、押さえてきた家である。勘合の船が、明から絹と銭を運び、その富で、義隆は歌を詠み、学者を招き、南蛮の宣教師にすら、布教を許した。
その家が、ここに、絶えた。
義隆が、雅に溺れて、陶に殺され、その陶が、厳島で元就に敗れ、残った家名も、元就に滅ぼされた。西国一の家が消えるのに、六年しか、かからなかった。
大内の、広大な領地が、毛利のものに、なった。
気づけば、中国地方は、毛利の色に、染まりつつあった。安芸の、三千貫の家が、西国の、覇者へと、駆け上がっていた。
その、覇権を、固めつつあった頃。
元就は、一通の、長い書状を、書いた。
三人の、息子に、宛てた、ものだった。長男・隆元、次男・元春、三男・隆景。三子へ、十四箇条にわたって、書き連ねた、自筆の、教えの書である。
元就は、筆まめな、男だった。
生涯に、おびただしい数の、書状を、書いた。家臣へ、息子へ、こまごまと、指示し、諭し、心配した。冷たい謀将でありながら、その筆は、驚くほど、細やかで、心配性だった。人の心を、読み抜く謀将は、同時に、身内の心を、誰よりも案じる父でもあった。
その教えの書で、元就が、何よりも、繰り返したのは、一つのことだった。
三人が、結束せよ。
長男・隆元を、次男・元春と、三男・隆景が、支えよ。三人が、心を一つにして、毛利の家を、守れ。一人では、毛利は、保てない。三人が、力を合わせてこそ、毛利は、続く――。
元就が、結束を、これほどまでに、説いたのには、理由が、あった。
亡き、妻だった。
三人の息子の、母――妙玖。
元就が、深く、愛した妻だった。十年あまり前に、先立たれてから、元就は、その死を、ずっと、悼み続けていた。教えの書の中でも、元就は、亡き妙玖への、想いを、綴った。この三人は、あの妻が、遺してくれた、宝だ。その兄弟が、争わず、結束すること。それが、亡き妻への、何よりの、供養だった。
はかりごとで、西国を、呑んだ男の、いちばん柔らかい部分が、そこにあった。
そして、その教えの書には、もう一つ、後の世を、驚かせる一条が、あった。
毛利は、天下を、望んではならぬ。
天下を、望むな、と。
元就は、書いた。毛利は、ここまで、大きくなった。だが、天下を、獲ろうなどとは、決して、思うな。身の程を、守り、家を、保て、と。
奇妙な、言い遺しだった。
戦国の世は、誰もが、天下を、夢見る世だった。道三は、油売りから、美濃を盗み、その先に、天下を、見ていた。信長は、今まさに、天下へ、駆け上がろうとしていた。武士たちは、上へ、上へと、際限なく、奪い合った。実力こそが、武士だと、道三は、言った。
その時代に、元就は、息子たちに、書いた。
天下を、望むな、と。
天下を、獲れるだけの、力をつけた男が。その器を持ちながら、あえて、獲らぬと、決めた。なぜか。
天下を、望めば、家が、危うくなるからだ。
元就には、見えていた。天下という、頂は、最も、危うい場所だ。そこへ、手を伸ばした者は、必ず、ほかのすべての者を、敵に回す。今川義元が、そうだった。頂に立とうとした瞬間に、滅びた。
毛利が、守るべきは、天下ではない。
家だ。
大江広元から、三百年。安芸の山あいで、頭を下げ、二股をかけ、耐えに耐えて、ここまで、繋いできた、毛利の家。その家を、次の世へ、絶やさず、繋ぐこと。それが、元就の、答えだった。
奪うことを、武士とした、道三。
家格と実力を、武士とした、義元。
元就の答えは、また、違った。
保つこと。家を、長く続かせること。それが、毛利にとっての、武士だった。
遠い、九州の南で、島津義久が、たどり着いたのと、同じ答えだった。武で生きた島津と、はかりごとで生きた毛利。まったく違う勝ち方をした二つの家が、ともに、「家を保つ」ことを、最後の答えとした。
元就は、その答えを、十四箇条の書状に、込めて、三人の息子に、託した。




