第3話:主殺しの後
――天文二十年(一五五一年)、周防・山口。
西国に、一つの、都があった。
周防の、山口である。
大内の、本拠だった。大内義隆は、西国一の、大大名である。周防・長門をはじめ、北九州にまで領地を広げ、明との正式な貿易――勘合貿易で、莫大な富を握っていた。その富で、山口は、栄えた。
応仁の乱で、京が焼けたとき、多くの公家や、文化人が、戦火を逃れて、この山口へ下ってきた。彼らは、大内の富に、養われ、山口に、京の雅を移し植えた。和歌、連歌、蹴鞠、学問。雪舟という、たぐいまれな画僧も、大内の庇護のもとにいた。
山口は、西の京と、呼ばれた。
その都の主・大内義隆は、はじめは、武の人だった。だが、いつしか、武を、忘れていった。
きっかけは、出雲遠征の、失敗だった。
義隆は、尼子を討つべく、出雲へ、大軍を送った。だが、その遠征は、惨敗に終わった。義隆は、可愛がっていた跡継ぎの養子を、その退却戦で失った。深く、傷ついた義隆は、それきり、戦を、嫌うようになった。
武から、義隆は、退いた。
退いて、雅に、溺れた。
歌を詠み、書を集め、公家と交わり、宴に明け暮れた。政も、戦も、政治を担う側近に、任せきりにした。西国一の大大名は、いつしか、武を忘れた、雅な貴人になっていた。
それは、第二部で、銀閣に籠もった、足利義政を思わせた。
美の中に、逃げ込む、当主。
でも、戦国の世は、美の中に、逃げ込むことを、許さなかった。
大内の家中には、武を重んじる重臣たちがいた。義隆が武を捨て、政治家ばかりを重んじることに、彼らは、不満を、募らせていた。その武を重んじる側の、筆頭が、あの陶隆房――かつて郡山の毛利のもとへ、援軍を率いて駆けつけた、若き猛将だった。後に、晴賢と名を改める。
陶隆房は、猛将だった。
武一筋の、誇り高い男である。主君が、雅に溺れ、家を、衰えさせていくのを、陶は、見ていられなかった。
天文二十年、陶は、兵を挙げた。
主君・大内義隆に、刃を、向けたのである。陶の軍は、山口へ、攻め込んだ。雅に溺れた義隆には、もはや、これを、防ぐ力はなかった。義隆は、山口を追われ、長門の、大寧寺で自害した。西国一の大大名の、あっけない、最期だった。
大寧寺の変である。
西の京と謳われた山口の、その栄華の主が、家臣の手で滅ぼされた。
雅に染まった武家の、行き着く先だった。家格と富と文化を、極めながら、武を忘れた家が、武を捨てなかった家臣に呑まれた。義政が、答えられぬまま、問いを宙に浮かせたように。義隆もまた、雅の果てに、家を失った。
主を、殺した陶は、大内の、実権を握った。
名目だけの当主として、大友家から、義長という者を、迎え、大内の家名を、継がせた。だが、実権は、すべて、陶の手に、あった。陶晴賢が、西国の、新しい支配者に、なった。
その陶を、安芸の、毛利元就は、どう見ていたか。
元就は、表向き、陶に、従った。
主殺しの陶に、従うと、誓い、にこやかに、頭を下げた。陶の命令に、従い、その戦に、兵を出した。陶から見れば、毛利は、忠実な、安芸の味方だった。
でも、元就の腹の底は、違った。
主を殺して立った男。その男は、いずれ、毛利のような、力をつけてきた国人を、警戒し、潰しにかかる。陶と毛利が、いつか、ぶつかることは、避けられない。元就は、それを、読んでいた。
ならば、こちらから、先に。
従う、笑顔の裏で。
元就は、すでに、陶を倒すための、長い、長い罠を、編み始めていた。




