第2話:郡山の冬
――天文九年(一五四〇年)、安芸・吉田郡山城。
その冬、尼子の大軍が、安芸へ、なだれ込んできた。
尼子経久は、老いていた。代わって、軍を率いたのは、孫の晴久である。若く、勢いに乗った晴久は、安芸の国人たちを、尼子の傘下に、完全に組み込もうとした。その第一の狙いが、毛利だった。
毛利は、このころ、尼子から離れ、西の大内に、つこうとしていた。
その毛利を、見せしめに、叩き潰す。晴久は、三万と号する大軍を率いて、毛利の本拠・吉田郡山城を囲んだ。
三万。
対する毛利の兵は、城に籠もる者、すべて合わせても、三千に、満たなかった。十倍である。城の周りの山々を、尼子の旗が、埋め尽くした。雪の降る、安芸の山に、無数の篝火が灯った。
誰もが、毛利は、終わったと思った。
元就は、終わらなかった。
元就が、頼ったのは、城の堅さでも、兵の強さでもなかった。人の、心だった。
元就は、城下の、領民を、城に受け入れた。敵に、田畑を焼かれ、家を奪われる領民を、見捨てなかった。領民は、その元就のために、城内で、働き戦った。城を守るのは、兵だけではない。そこに住む、すべての者だった。
そして、元就は、周りの国人たちへ、使いを走らせた。
安芸の国人たちは、毛利と同じ、小さな家ばかりだった。彼らもまた、尼子に、呑まれることを恐れていた。毛利が潰れれば、次は、自分たちだ。元就は、その恐れに、訴えた。今、毛利を見殺しにすれば、安芸の国人は、一つずつ、尼子に、潰されていく。手を、組もう、と。
国人たちは、動いた。
ばらばらだった安芸の小領主たちが、毛利を中心に、ゆるやかに、まとまり始めた。一つひとつは、小さな力。だが、束ねれば、尼子の大軍の、横腹を脅かす、無視できぬ力になる。
元就は、さらに、西の大内へ、援軍を求めた。
毛利が尼子に呑まれれば、大内は、安芸を失う。大内にとっても、毛利の籠城は、捨て置けぬ戦だった。大内は、援軍を、送ることを決めた。
その援軍を率いて、安芸の雪道を駆けつけてきたのが、大内家中で武名の高い、若き猛将――陶隆房だった。このときの陶は、まだ、毛利を救う側に、いた。
郡山城の戦いは、長引いた。
冬を越え、半年に、及んだ。三万の尼子は、小さな城一つを、落とせなかった。城兵と領民は、結束して、守りきった。国人の連合が、尼子の補給を脅かし、大内の援軍が背後に迫る。
尼子晴久は、ついに、囲みを解いて退いた。
三万の大軍が、三千の城を、落とせずに、出雲へ引き上げた。
毛利は、勝った。
いや、毛利が勝ったというより――元就が、人の心を、束ねて、勝ったのである。城の堅さでも、武勇でもない。領民の心、国人の恐れ、大内の利。その、ばらばらのものを、一つの方向へ、組み立てる力。それが、元就の、戦だった。
この一戦で、毛利元就の名は、安芸に轟いた。
三千貫の小領主は、もはや、ただの小領主ではなかった。安芸の国人たちが、頼る、結束の中心だった。
そして、その勝利の、十年後。
元就は、長年、耐えてきた、家中の膿に手をつけた。
井上一族である。
勝手放題を、極めてきた、井上の一族を、元就は、討ち滅ぼした。当主を軽んじ、家中を乱してきた井上元兼とその一族を、一日で、討ち果たした。長年の、辛抱の、決算だった。
家臣たちは、震え上がった。
あの、温厚で、辛抱強い当主が。領民を慈しみ、国人を束ねる、あの元就が。ひとたび、決断すれば、代々の重臣一族を、根こそぎ、消す。元就の、笑顔の底にある、底知れぬ冷たさを、家臣たちは、初めて見た。
元就は、その後、家臣たちから、二度と裏切らぬという、誓いの書を取った。
恐怖と、結束。
毛利の家は、元就のもとで、一つに固められた。
外の敵を、人の心を束ねて、退け。内の膿を、冷たく、断つ。
謀将・毛利元就の、足場が、ここに、出来上がった。




