第1話:三千貫の家
――大永三年(一五二三年)、安芸・吉田。
その家は、刀で、立った家ではなかった。
筆で、立った家だった。
毛利の家の、遠い先祖を、大江広元という。鎌倉のむかし、源頼朝の傍らで、武士の世の骨組みを、書付で、組み上げた文官である。御家人たちが、戦場で命を懸けて土地を奪い合った、その同じ時代に、広元は、刀を抜かず、筆を執って、武士の世を、内側から形にした。
その広元の子孫の一流が、相模の毛利荘の名を取って、毛利と名乗り、やがて、安芸の山あいへ流れてきた。
十二代。
鎌倉から、三百年余り。文官の血を引く毛利の家は、今、安芸の吉田荘に、小さな城を構える、一介の国人領主に、過ぎなくなっていた。
三千貫。
毛利の家の、所領である。一国を持つ大名から見れば、塵のような、小さな土地だった。その三千貫の小領主が、今、どうにか、生き延びていた。
なぜ、生き延びられたのか。
強かったからでは、ない。三千貫の家が、強いはずが、ない。
毛利が立つ、安芸の地は、二つの巨大な勢力の、ちょうど、境目にあった。
西に、大内。周防・長門を本拠に、西国一を誇る、大大名。
東に、尼子。出雲を本拠に、山陰を呑み込む、新しく勢いを持つ雄。
その二つの大国の、ぶつかり合う、はざま。そこに、毛利のような、安芸の小国人たちが、ひしめいていた。彼らは、大内につき、尼子につき、形勢を見ては、寝返り、また寝返った。生き延びるために。
毛利もまた、その一人だった。
大内に従い、尼子に従い、人質を出し、二股をかけ、頭を下げ、機を見ては、立場を変える。誇りなど、口にできなかった。誇りを口にした小国人は、とうに、踏み潰されて消えていた。
その毛利の家に、その年、家督の引き継ぎが巡ってきた。
幼い当主・幸松丸が、死んだのである。毛利の本家は、跡継ぎを、失った。
家督を継いだのは、幸松丸の、叔父――元就だった。
元就は、すでに、二十代の半ばを過ぎていた。分家へ出されていた、部屋住み同然の次男の身から、本家の当主の座へ。でも、その引き継ぎは、すんなりとは、いかなかった。元就を当主に立てることを、快く思わぬ者たちが、いた。元就の、腹違いの弟を、当主に立てようとする、家中の動きがあった。背後で、尼子が、糸を引いていたともいう。
家督一つを継ぐにも、暗い争いが、あった。
元就は、その争いを、制した。制して、当主の座に、座った。でも、座ってみれば、その椅子は、針の筵だった。
家中には、井上という、一族がいた。
毛利の、代々の重臣である。だが、その井上は、長年、力を蓄えすぎていた。当主を、軽んじ、勝手に振る舞い、家中を、我が物顔で、動かす。元就が当主になっても、井上の勝手放題は、変わらなかった。
元就は、それを、耐えた。
今、井上と事を構えれば、家は割れる。割れた家を、外の大内や尼子が、呑み込む。元就は、井上の勝手を、目の前で見ながら、頭を下げ、笑い耐えた。耐えながら、いつか、と思っていた。
その、耐える日々の元就と、ただ一人、素顔で向き合える相手がいた。
妻の、妙玖である。
安芸の国人・吉川の家から、嫁いできた妻だった。人前では、決して弱音を吐かぬ元就が、妙玖の前でだけは、ふと、疲れた顔を見せた。
「いつか、この耐えるだけの日々も、報われましょう」
妙玖は、静かに、そう言った。元就は、答えなかった。でも、その一言が、針の筵の日々を耐える、ひそかな支えだった。
妙玖は、やがて、三人の息子を産む。隆元、元春、隆景。元就が、後に、命より大切に思うことになる、三人の宝を。
元就は、知っていた。
わが家は、強くは、なれない。
三千貫の家が、大内や尼子のような、大国に、力で勝てる日は来ない。強くなることで、生き延びる道は、毛利にはない。
ならば、どうするか。
賢くなるしかない。
力で勝てぬなら、知恵で、勝つ。正面からぶつかって勝てぬなら、相手の心を、裏から、操って勝つ。それが、刀ではなく筆で立った、文官の家の、生き残る道だった。
元就は、東の、出雲を見ていた。
尼子の、経久。
謀聖――はかりごとの達人と、呼ばれた男である。一介の出雲守護代の家から、はかりごとの限りを尽くして、山陰十一カ国に号する大勢力を築き上げた。城を、奇計で奪い、敵を、仲たがいさせて崩し、味方を、調略で増やす。経久のやり口は、武一筋の者から見れば、卑怯の、極みだったろう。
でも、元就は、その経久を、卑怯とは、思わなかった。
手本だと、思った。
力なき者が、力ある者を、呑む。その術を、経久は、見せてくれていた。元就にとって、経久は、敵であり、同時に、誰よりも学ぶべき鏡だった。
三千貫の、文官の家の当主は、針の筵に座りながら、東の謀聖を、じっと見ていた。
いつか、あの男の術を、あの男以上に使ってやる。
元就の、長い、長いはかりごとの生涯は、この、屈辱に耐える日々から、始まっていた。




