第7話:北の空
――天正十二年(一五八四年)、薩摩。
義久は、城の奥から、北を、見ていた。
九州の、地図。その上で、島津の色が、南から、北へ、広がっていた。薩摩、大隅、日向。そして、肥後、肥前、豊後の南へ。祖先・忠久が、頼朝から、島津荘という一所を、賜ってから、四百年。その一所から始まった家が、今、九州全土を、呑もうとしていた。
あと、少し。
あと、ひと押しで、九州は、島津のものに、なる。四百年、中央の嵐の届かぬ南の地で、生き延びてきた家が、ついに、九州の覇者として、立つ。
義久の心に、昂りは、あった。
でも、その昂りの底に、別の、冷たいものが、差し込んでいた。
海の向こう、畿内から、不穏な報せが、届いていた。
信長が、死んだという。
あの、桶狭間で今川を破り、天下に号令しようとしていた、尾張の男。その信長が、家臣の謀反で、京の寺で、焼け死んだという。本能寺の変、と後に呼ばれる、その事件は、二年前のことだった。
そして、その信長の死の、あとが、おかしかった。
信長の、一人の家臣が、異様な速さで、のし上がっていた。羽柴秀吉、という。主君の仇を、たちまち討ち、信長の遺領を、次々に呑み込み、巨大な城を、大坂に築き始めているという。徳川という東国の雄と、小牧・長久手で、争いながらも、その勢いは、止まらない。
義久は、その名を、まだ、よくは、知らなかった。
でも、嫌な、予感が、あった。
中央から遠い、この南の地の、自由。それは、何によって、守られてきたのか。薩摩が強かったからか。海の力があったからか。四百年の家の、底力か。――それも、ある。でも、いちばんの理由は、もっと、単純だった。
中央が、空っぽだったからだ。
応仁の乱で、京が焼け、権威が死んで以来、中央には、日本全体を束ねる力が、なかった。将軍も、管領も、誰も、薩摩までは、手が届かなかった。だから、薩摩は、自由に、九州で、暴れることができた。中央が、空っぽだったから。
その空白が、今、埋まろうとしていた。
信長が、埋めかけ、その後を、秀吉という男が、もっと速く、埋めようとしている。畿内が、東海が、北陸が、一人の手に、握られていく。もし、その一人が、本当に、天下を束ねたなら。
その力は、いつか、この九州にも、届く。
四百年、一度も、中央の本気が、届かなかったこの南の地に。
義久は、北の空を、見た。
桜島の煙が、いつものように、空に、立ち昇っている。その向こう、はるか北の空の、果てに。何か、巨大なものが、近づいてくる気配が、あった。
義久は、思った。
わしが、守らねばならぬのは、何か。
九州の覇権か。違う。領地は、広がりもすれば、削られもする。耳川で大友が失い、沖田畷で龍造寺が失ったように、領地とは、そういうものだ。義元の、海道一の国も、一日で、崩れた。
守らねばならぬのは、家だ。
祖先が、頼朝から賜った一所から、四百年、保ち続けてきた、島津の家。日新斎の歌と、母の奥と、郷の気風と、四つの刃を持つ、この家。その家を、次の、四百年へ、繋ぐこと。それが、当主の、務めだ。
道三は、奪うことを、武士とした。
義元は、家格と実力の、両立を、武士とした。
義久の答えは、違った。
奪うことでも、誇ることでもない。保つこと。どんな世が来ようと、家を、絶やさず、土地に、根を張り、生き延びさせること。四百年、島津が、そうしてきたように。
その答えが、これから、試される。
九州を統べる夢の、すぐ向こうから、中央の巨大な力が、迫っている。義久は、その力と、どう、向き合うのか。戦って、家を、賭けるのか。屈して、家を、保つのか。
その問いの答えは、まだ、義久にも、見えていなかった。
桜島は、今日も、灰を、降らせる。
中央が、誰のものになろうと、この南の地に、灰は、降り続ける。でも、こんどばかりは――その灰の降る土地まで、中央の手が、伸びてくる。
四百年の家の、本当の試練は、栄光の頂で、始まろうとしていた。
第四章 九州の覇——島津貴久・義久 ――完。




