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刀を持たない朝 ―武士とはなにか、七百年の物語―  作者: ソリトん
第四章 九州の覇——島津貴久・義久

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第4話:木崎原

 ――元亀三年(一五七二年)、日向・木崎原(きざきばる)。

 最初に、刃を抜いたのは、義弘だった。

 日向には、伊東という、古い勢力があった。当主・伊東義祐は、長く日向に根を張った、名門である。その伊東が、島津の伸びを、押し返そうと、大軍を、起こした。

 三千。

 伊東の軍は、三千を、号した。狙いは、島津方の、小さな城。これを落とし、島津を、日向から、追い落とす。

 その三千に、立ち向かった島津の兵は――三百だった。

 率いるのは、義弘である。

 十倍。兵の数は、絶望的に、違った。まともに、ぶつかれば、三百は、三千に、踏み潰される。誰が見ても、勝ち目は、ない。

 でも、義弘は、退かなかった。

 退く代わりに、義弘は、罠を、張った。

 義弘は、わずかな兵を、囮(おとり)として、伊東の軍の前に、置いた。囮の兵は、戦うふりをして、じりじりと、退く。負けて、逃げるように、見せかける。伊東の軍は、それを、追った。勝ったと思い、勢いに乗って、深追いした。三千の大軍が、隊列を伸ばし、木崎原の、狭い地へ、引き込まれていく。

 その左右の、草むらと、木立の陰に。

 義弘の、伏兵が、潜んでいた。

 伊東の軍が、十分に、伸びきり、囮を追って、伏兵の間に入った、その瞬間。

 義弘は、合図を、出した。

 左右の伏兵が、一斉に、立ち上がり、伸びきった伊東の軍の、横腹へ、突き入った。退いていた囮は、向きを変え、正面から、突き返す。三方から、挟まれた伊東の軍は、隊列を、断ち切られた。前と後ろが、分断され、味方の位置すら、わからなくなる。

 大軍の、利が、消えた。

 狭い地で、断ち切られれば、三千は、もはや三千ではない。ばらばらの、小集団の、寄せ集めだ。そこへ、島津の兵が、一つずつ、襲いかかる。義弘自身も、馬を駆り、敵中へ、斬り込んだ。

 伊東の軍は、崩れた。

 三千の大軍が、三百の前で、総崩れになった。多くの将を失い、伊東義祐の勢力は、この一戦で、傾いた。日向の名門の、長い凋落が、ここから始まった。

 この戦法を、後の世に、釣り野伏せと、呼ぶ。

 囮で、敵を、釣り出す。伸びきったところを、左右の野に伏せた兵で、包む。島津が、これから、九州で、幾度も使うことになる、必殺の型――その原型が、この木崎原で、姿を現した。

 少ない兵が、大軍を、呑む。

 それは、ただの、奇策では、なかった。釣り野伏せが、成り立つには、囮の兵が、本当に潰されるぎりぎりまで、退きながら、崩れずに、いなければならない。伏兵が、決められた時まで、息を殺して、動いてはならない。一人でも、抜け駆けすれば、罠は、崩れる。

 それを、可能にしたのは、薩摩の兵の、異様な、結束と、肝の太さだった。

 郷中で鍛えられ、日新斎の歌で背骨を作られた、島津の兵。彼らは、囮になって死にかけても、逃げなかった。伏兵になって機を待つ間、動かなかった。家のために、決められた役を、命がけで、果たした。

 四百年の家の、強さが。

 木崎原の、狭い野で、十倍の敵を、呑み込んだ。

 義久は、城の奥で、その報せを、受けた。

 義弘は、見事に、刃の役を、果たした。義久は、満足し、そして、次の刃の置き場所を、考え始めた。

 九州の、地図の、北。

 豊後の、大友へ。


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