第3話:四つの刃
――永禄九年(一五六六年)、薩摩。
貴久は、家督を、長男の義久に、譲った。
薩摩は、すでに、ほぼ統一されていた。父・日新斎が土台を築き、貴久が、仕上げた。割れていた一族は、一つになり、薩摩・大隅・日向の三州へ向けて、島津は、手を伸ばし始めていた。その家を、義久が、継いだ。十六代の、当主である。
義久は、奇妙な当主だった。
自ら、太刀を、振るわなかった。
戦場で、先頭に立って槍を振るうことを、義久は、しなかった。それは、義久が、臆病だからでは、ない。義久は、自分の役割を、知っていた。当主の役割は、斬ることではない。誰を、どこへ、どう動かすか。それを、決めることだ。
義久は、動かぬ、頭脳だった。
城の奥に、どっしりと座り、九州の地図を、見る。どの国が、どう動くか。どの敵を、いつ、誰で、討つか。それを、静かに、考える。そして、決めたことを、弟たちに、託す。
弟たちが、義久の、手足だった。
次弟の、義弘。
戦場の、刃である。ひとたび戦となれば、義弘は、誰よりも前に立ち、誰よりも激しく、戦った。少ない兵で大軍を破ることに、この男は、異様な才を持っていた。義久が、ここで戦え、と決めれば、義弘は、その場所で、死力を尽くした。兄の、抜き身の刃だった。
三弟の、歳久。
冷たい、はかりごとの人である。歳久は、戦場の華々しさよりも、その裏で、糸を引くことを、得意とした。敵の国人を、銭と縁で、寝返らせる。敵の結束に、ひびを入れる。戦う前に、勝ちの下地を、作っておく。日新斎が、始めから終わりまでの損得を察する知恵、と評した、その才だった。
四弟の、家久。
軍法の、天才である。最も若いこの弟は、戦の組み立てにおいて、ずば抜けていた。地形を読み、敵を誘い、伏せ、囲む。どこで、どう兵を伏せれば、大軍を、少ない兵で呑めるか。その軍法の妙において、家久は、四兄弟の中でも、際立っていた。
義久は、この三人の弟を、駒として、動かした。
いや、駒という言葉は、冷たすぎる。義久にとって、弟たちは、自分の、分身だった。自分が振るえぬ刃を、義弘が振るう。自分が回せぬはかりごとを、歳久が回す。自分が組めぬ軍法を、家久が組む。四人で、一人の、巨大な武将だった。
評定の場で、義久は、多くを、語らなかった。
ある日の評定は、日向への進み方を、めぐっていた。
まず口を開いたのは、義弘である。
「兵を出しましょう。日向の伊東は、もう勢いを失っている。一気に突き崩せばよい」
「いや」
歳久が、低く遮った。
「急ぐことはありませぬ。伊東に従う国人を、先にこちらへ寝返らせる。中から崩せば、兵を損なわずに済む」
「それでは遅い。敵に、立て直す暇を与えるだけだ」
義弘が、返す。攻めの義弘と、はかりごとの歳久が、せめぎ合う。家久は、しばらく黙って聞いていたけれど、やがて、静かに、言った。
「兄上がた。要は、地です。日向のどこで伊東とぶつかるか。狭い地に誘い込めれば、少ない兵でも大軍を呑める。攻めるにせよ、謀るにせよ、まず戦う地を選ぶこと」
三人の弟が、義久を見た。
義久は、それまで一言も発していなかった。地図に目を落としたまま、三人の言葉を、すべて聞いていた。そして、顔を上げ、短く、言った。
「歳久、伊東の国人を切り崩せ。義弘、兵を率いて伊東をおびき出せ。家久の言うとおり、狭い地へ誘い込んでな」
それだけだった。
その一言で、三つの才が、一つの方向へ、動き出した。はかりごとが下地を作り、武が敵を釣り、軍法が地を選ぶ。義久は、振るうべき刃を、振るうべき時と、振るうべき場所へ、置く。当主の仕事は、それで、足りた。
兄弟は、争わなかった。
戦国の世は、肉親が、家督を争い、殺し合う世だった。義元は、兄を討って、立った。道三の息子は、父を、殺した。でも、島津の四兄弟は、義久を頭に、見事に、一つに、働いた。これも、日新斎の歌と、母の奥と、郷の気風が、育てた、家の力だった。
その四つの刃が、今、三州を越えて、九州へ、向けられようとしていた。
義久は、城の奥で、地図を、見ていた。
日向の北に、豊後の大友。肥前に、龍造寺。九州には、島津のほかに、二つの、大きな勢力が、あった。三つ巴である。
義久は、その地図の上に、四つの刃の、置き場所を、思い描いていた。




