9-1 大帝賞⑩
ラメルのアクセル記念勝利から一夜明け、新聞はその話題で持ちきりになった。
しかしその翌日、一冠竜ユークスラメル号の名前は紙上から綺麗に消えており。
月が変わって葡萄月の、秋の大帝賞の話題が紙面を賑わせていた。一番大きな話題はやはり、春の大帝賞を制したボンヴァルノン号の回避である。ベレー様は別の竜に乗って出翔されるらしいが、ボンヴァルノン号に春秋連覇を果たしてほしかった者は多いだろう。ボンヴァルノン号なら、それを成し遂げることができるだろうと皆が思っていた。それだけの飛翔を、春に魅せてくれていた。
アクセル記念から三日後、一週間の真ん中。
彼女が、うちの厩舎を訪れたのはその日が最初だった。
「『週刊飛竜』です! ぜひ取材させて下さい!」
「……えっと」
見学客だと思って対応しようとしたら、開口一番、彼女はそう言った。
「取材の予定は入っていないはずですが」
『週刊飛竜』は、既に何度か取材を受け入れている、週一で発行される新聞の名称だ。内容としては競争前後の騎手への取材や、調教の見学記、着順予想など、まあ他紙とそこまで差があるわけではないが、長く続く歴史ある新聞である点、比較的中立の立場を保っている点などを鑑み仲良くさせてもらっている。ただ、明文化されているわけではないが、礼儀として、取材の際には事前に一報を入れるのが通例である。流石に新聞記者を名乗っておいてそれを知らないとは思いたくないが、
「申し訳ないです! フィックスデイジーの取材予定だったのですが、今日はベレー様が乗られないとのことだったので! よくこちらに通っているということで、伺った次第です!」
彼女はすらすらと言葉を並べる。フィックスデイジー号とは、秋の大帝賞にて、ベレー様が乗られる竜だ。昨年のリオフラン王国杯勝利竜で、十二の重賞では勝利できず終いだったが、張り合えるだけの実力はある。しかし、取材を受け入れる受け入れない以前に、根本的な問題があって、
「――ベレー様は、いらっしゃってないですけど……」
「え⁉」
「今日は、ヤチルヴァール号の調教じゃないですかね」
大帝賞直前とはいえ、今月末にはヤチルヴァール号の飛ぶ剣賞がある。ヴァールはいまだ重賞を勝てておらず、調教にも熱が込められていることだろう。テルビナの次翔、ロット記念は来月末であるためまだ時間に余裕があり、つまりわざわざ来たこの記者には、お帰り頂くしかなさそうである。
「そ、そんな……」
彼女はその場に両膝をついた。
記者で来ているのは彼女一人だけで、他紙の記者はヴァールのほうに行ったのだろう。彼女は、年齢は僕と同じくらいだろうか、新人かも知れない。まあこれから記者の勘やら何やらは身に着いていくだろうし、今から行っても取材の時間は取って頂けるとは思われる――
「おお、エムリスくん。おはよう」
そこに現れたのは、ベレー様だった。
「――え?」
「ああっ!」
驚く僕と、立ち上がる彼女。
「あら。そちらは――」
「『週刊飛竜』のリコと申します! ぜひ取材させて下さい!」
ベレー様の問いに、彼女――リコは応じる。
ベレー様はこちらを視線を向けられる。「予定としては入ってなかったんですが。フィックスデイジー号の取材を振り替えたそうで」僕はそう説明しつつ、「それより、いいんですか? フィックスデイジー号も、ヴァールも、調教しなくて」僭越ながらそう尋ねる。
「ああ、ヴァールはまだ時間があるし、デイジーもここ一ヵ月鍛えてきたから。今日は――アクセル記念の反省会だよ」
「反省会」リコは繰り返す。「アクセル記念は惜しかったですね、ゼイケデイスに交わされての三着でしたが、そのお話も聞かせて頂けますか!?」
結構押しが強い。まあそうでもなかったらいきなり独りで取材というのも難しいだろうから、天職ではあるのかも知れない。
「まあ構わないけれど。行こうエムリスくん」
「はい」
そうして、記者のリコを交えた僕たちの反省会が始まった。
大筋の、テルビナの敗因と今後の調教方針は、僕とベレー様とで一致していた。
それは、いまだ追われ慣れていない点である。
アクセル記念は逃げ切ったラメルが一着、外から差してきたゼイケデイスが二着。最後の最後でゼイケデイスにハナ差で交わされたテルビナが三着という結果だった。
テルビナは、基本的には中団以降からの競争運びで、後半に仕掛、という展開を得意とする。剣賞では、追い込み策とまではいかなかったが、ゼイケデイスを警戒してかなり後方に下がるなどした。
しかし一方で、逃げ策は一度も採ったことがない。プサーなどは、普段は先行で飛びつつ、甲賞では見事に逃げてみせた。あの時のプサーのように、もしテルビナが最内《1番》からの発翔だとして、ベレー様が逃げ策を決行するかといえばそうはならないだろう。
「えっと、じゃあ今後は追い込み寄りの競争運びを多くしていくことになるんでしょうか」
リコの質問に、
「いや、それでいくと、追われないためにわざと退げる必要がある。テルビナは結構出たがりだから、前に出ずに退げる訓練をするか、追われ慣れさせるか、どちらが労力と釣り合うのかってところだね」
ベレー様は惜しみなく答えられた。
勝つための調教をしたい、というのが結局のところで。
どちらにもある程度の労力がかかる以上、どちらが戦略的に優位か、どちらならこの先勝っていけるかを考えて効率よく調教していかなければならない。
次の重賞のロット記念は来月末に控えている。その次はしばらく空いて年度末のダノワ記念になるが、以降はもう四歳の年で、周りの竜もかなり仕上がってくる。
そうなる前に、今後の方針を定めておこうというのが、この反省会、もとい座談会の趣旨だろう。
「どうかなエムリスくん」
ベレー様は僕に発言権を振られる。
「そうですね、追われ慣れてないとはいっても、竜群の中で飛ぶのはだいぶ上達してきてるので、わざわざ序盤に退げて持ち味を消すよりか、併翔で追われる感覚を身に着けさせたほうがいいのかなとは」
もともと、テルビナは竜群を苦手としていた。それをここまでの調教で克服できたのなら、そのまま追われることにも慣れてもらえばいい。
僕の言葉に、ベレー様は満足そうに頷かれる。「同意見みたいだね。じゃあその方針で、私も新しい併翔相手とか探してみるよ」
「はい。ありがとうございます」
「あ! ありがとうございました」リコは解散の流れになっていることに遅まきながら気づき、立ち上がって言う。「ちなみに大帝賞に向けての話なんかもお聞かせ頂けたり……」
「仕方ないなあ」
ベレー様が乗り気なようなので僕も立ち上がらずにその場で話を聞く。
そうして新聞記者のリコは、災い転じて福となすというやつか、勘でうちに来ておきながら、ベレー様にたくさん取材をすることができたのだった。
*
その日の夜。
僕とアルザさん、そしてエルフィンさんは、都市部のほうの酒場に足を運んでいた。
入ってすぐの受付でそれぞれ飲み物を注文し、グラスを受け取って席につく。
「とりあえず乾杯だね」アルザさんが掲げたグラスに、僕たちは応じる。「エルフィ、勝利おめでとう」
「ありがとう」
エルフィンさんは言う。今日はユークスラメル号のアクセル記念勝利のお祝い――というわけではないのだが、乾杯のネタになるようなことはそれくらいだ。
「適当に食事頼もうか」
エールを一口飲んでから、アルザさんは店員を呼ぶ。
「はい! お伺いいたしますー」
現れたのは――新聞記者のリコだった。
「え? なんで……」
「わァッ!? えと、エムリスさん!?」
アルザさんは眼鏡の奥の瞳を見開いてこちらに視線を向けたが、「注文通してもらっても?」と構わず突き進んでいく。
「あッ、はい!」注文を取って、リコは厨房へと消えていった。「それで、あの子は誰」アルザさんが尋ねてきた。
「『週刊飛竜』の記者ですよ」僕は答えて、シャンディに口をつけた。「今日ちょうど、厩舎のほうに取材に来てて。それが、なんでこんなところで働いて……」
「まあ記者なんて、出来高払いが基本だからね」エルフィンさんが言う。「話題になるって意味での、いい情報を掴んできた者、いい記事を書けた者が偉いっていう世界だから、新人記者にはなかなか厳しいものがあるんだろう」
「でも今日めちゃくちゃベレー様に取材してましたけどね」僕は言った。まあ前から掛け持ちしていた仕事なのだろうからそうそう辞めるつもりはないだろうし、すぐ情報の評価が成されるわけではなく、今日の一件は幸運の産物であり彼女の記者としての腕前を測れるものではない。今日のことを、今後の糧とできるかどうかが彼女しだいであることには違いないが。
「エビのから揚げお持ちしました!」
リコが早速料理を持ってきた。
「記者さん、うちの厩舎にも取材に来てよ」
エルフィンさんが声をかける。
「は、はい! えっと、どちらの厩舎になりますか」
「リスティス。ユークスラメルの調教助手をしているエルフィンっていいます」
「ぇあッ、あのユークスラメルの」リコは驚いて変な声を発する。「ぜひぜひ伺わせて下さい。――あの、だったらそちらの方は……」そして彼女は、遠慮がちにアルザさんを見る。
「私の担当は、ヤチルティライン号です」
アルザさんは、ややそっけなく答える。
「てぃら……?」
リコの頭の上には疑問符が浮かんでいた。
「ティラインは今年のロタール記念を勝った竜で、彼女のほうは他にヤチルヒューゴなんかを調教しているよ」
エルフィンさんがいろいろ補足をする。ティラインは、今年の寒波月、キッスが寒波ステークスを制したその裏で、帝立第二競竜場にて開催される重賞競争、ロタール記念にて重賞初勝利を上げていた。新竜戦以降は一般競争で一勝したきりというなかで、出翔まではひと悶着あったようだが、ティラインは見事に勝ってみせた。
というか、十二の重賞ではないとはいえ、鞍上はベレー様だ。流石に彼女の勉強不足である感は否めないし、最低限、重賞くらいは観ておかなければ、今後の彼女の記者人生の行く末が心配だ。
また、ヤチルヒューゴ号は、ベレー様が六年目から乗られた竜だ。十二の重賞こそダノワ記念のみ勝利した一冠竜だが、その他の重賞や一般競争では活躍を見せ、世代最多勝利を記録した竜だ。
「やッ、ヤチルヒューゴの!? はじめまして……!」
リコは頭をぺこぺこと下げる。まあエルフィンさんやアルザさんを知らなかったことに関していえば、調教助手が表舞台にほとんど姿を見せないため、こうして厩舎の外で認知されないのはよくあることだし、実際、僕自身も、竜を知っていて誰が鞍上も分かっていても、担当しているのが誰かというところまではよく知らない。
だからこそ、調教助手となった今は、エルフィンさんやディガルさんなどを始めとした、横の繋がりを伸ばしていこうと努力してはいる。少しでも得られることはあるだろうし、今は敵陣営でも、やがて何かの折に協力する必要性が生まれるかも知れないため、損することではない。
そうして僕は、新たな繋がりを得た。どちらかというと、得るものが多かったのは彼女のほうだっただろうが。




