8-6 アクセル記念⑥
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果実月に入り、いよいよ秋の大帝賞が、来月に迫っている。
今年の春の勝者、ボンヴァルノン号の出翔は、怪我が完治に至らずやはり難しいということで、それを惜しむ言葉が新聞の紙面に踊っていた。
「ヴァロロアァ」
そのボンヴァルノン号が、僕が読んでいた新聞を覗き込んでくる。今日は半年振りに、ボンヴァルノン号を担当する調教師、ディガルさんに会いに厩舎まで来ていた。
竜房から首を伸ばしてくるボンヴァルノン号は、意味が分かっているというよりは、好奇心に衝き動かされているようだった。大帝賞に出翔する竜すら、まだ五歳。この世に生を享けてから、まだ五年しか経っていないのだ。人間の五歳児と同様に考えることはできないにせよ、まだまだ世界に知らないものが溢れている時期だろう。小さい頃より親から離され、競争のための調教に明け暮れる日々。可愛らしく感じる一方で、最初から自然界で生まれ、成長していった場合より、やはり窮屈な思いをしているのではないかという考えにも駆られる。
ボンヴァルノン号は賢い竜で、人への思いやりもある。
春の大帝賞、一着で入線したのちの勝利飛翔にて、あえなく墜落したわけだが、あの時、ボンヴァルノン号は持てる力を振り絞って、できる限りゆっくりと着地していた。
ベレー様に怪我を負わせないためだ。
自分は既に負傷しているというのに。
それはボンヴァルノン号の優しさでもあるし、それまで三年を共にしてきた戦友《ベレー様》との絆でもある。
その光景は、多くの観客の心を打った。アブスルグ種は賢い品種とはいわれているが、その中でも、深く人に寄り添ったその行動は、広く報道されることとなった。
それだけに、秋の大帝賞にて復活、あわよくば春秋連覇、とならなかったのが惜しくてならない。
ちなみにボンヴァルノン号が出翔できないのと同様に、ベレー様も出場できないことが決定している。こちらは怪我などではなく、大帝賞の規定で、秋において、春からの乗り替わりができないのである。つまり任意の騎手は、春秋を通して一頭の竜二しか乗れず、任意の竜は、春秋を通して一人の騎手しか乗せられない。よってボンヴァルノン号が欠場する以上、ベレー様も竜を乗り換えての出場はできないということだ。
そして要するに、それは一足先に、ボンヴァルノン号の引退が決定したということだ。ディガルさんも、春からこれまで、復帰に向けて取り組んできただろうが、秋の大帝賞まで一ヵ月を切り、回避することを決め、今日、ボンヴァルノン号の担当を外れるということで、今日は同席させてもらっている。
ボンヴァルノン号の怪我は、競争に出ず、それに向けての負荷をかけた調教も行わなければ悪化することはない。だからこれからはふつうの厩務員さんに交代して、ボンヴァルノン号は引退竜を受け入れている牧場に向かうことになる。
「ボンヴァルノン」
ディガルさんはボンヴァルノン号の頭を撫でる。「ロロロオォ……」目を閉じ喉を鳴らすようにするボンヴァルノン号。
「ありがとう。俺の――最後を飾ってくれて」
ディガルさんは、それだけ言うと、ボンヴァルノン号に背を向け、鞄を手に厩舎を出ていく。
「あの、待って下さい」僕は慌てて追いかける。「最後って、まさか」
「ああ。引退する。俺も、ボンヴァルノンと共にな」
それは突然の告白だった。
「そんな……」
「元々、俺はもっと早く競竜界から身を引くつもりだった。本当は、クヴドを最後に調教する竜にするつもりだったし、実際、クヴドの大帝賞を見届けてから、俺はしばらく調教に携わってはいなかった」
クヴドとは、ベレー様が騎手としてて最初に乗られた、サクサクヴド号のことだ。確かに、最初に会ってから彼のことを調べたが、クヴドとボンヴァルノンの間に、特に担当していた竜はいないようだった。
「ボンヴァルノンを引き受けたのは、ベレー様が直々に俺に頼みにいらっしゃったからだ。なんでも、『面白い竜がいる』と――」
ディガルさんはそこで言葉を切って立ち止まる。僕も立ち止まって前を見ると――
「やあ、アシュトール。エムリスくん」
ベレー様だ。
その顔はやけににこやかである。
「……どうされたんですか」
ディガルさんの言葉には、端々にうんざりとした感じが漂っていた。まるで、これからベレー様が言われる内容が分かっているかのようだ。
ベレー様は、ずんずんと近づいてきてディガルさんに言った。
「面白い竜がいるんだ」
「――はあ。その手には乗りません」
「シームの子でヤチルハハイラという。ねえエムリスくん」
どうやら名前は、僕の案が通ったようだ。僕のほうを見て笑まれるベレー様と、仏頂面のディガルさんは対照的で、どちらの味方をすればよいか分からず、へへと笑って小さく頭を下げてみる。
「ちょうど親離れの時期でね、ひとまず顔合わせを」
「ボンヴァルノンで最後。そう約束したはずですが」
ベレー様の言葉を突っぱねるディガルさん。
「アシュトールにしか任せられない名竜の予感がね」
「俺はボンヴァルノンと一緒に田舎に引っ込みます」
「それって――どういうことですか」
僕は思わずそう尋ねた。
「俺はこれからは引退竜たちとのんびりやっていくつもりなんだ。勝ち負けだけが竜ではない。引退後の人生のほうが、競技人生より長いからな」
「そこを何とか」
ベレー様は騎士でありながら低頭でディガルさんにそう頼まれる。それだけディガルさんのことを買っているのだろう。羨ましさで心が破裂しそうになるが、
ベレー様が、こちらをちらちらと見てこられていることに気がつく。
……なるほど。
今の僕に、将来を嘱望されるほどの能力はないし、目の前のテルビナの調教のことで手も頭もいっぱいだ。
しかしそんな僕だからこそ、こんな頼られ方をしてもらえるというのは、それはそれで悪くはないと思う。
「ディガルさん」
「なんだ」
「ハハイラを担当して下さい。お願いします」
僕は頭を下げた。
「アシュトール、エムリスくんに頭まで下げさせて断るつもりかな」
「コイツが勝手に下げているんですよ」ディガルさんは言い。「話がこじれるから頭を上げろ。そのヤチルハハイラとやらを調教する気は――」
「僕は、タルギタオス記念をベレー様に勝って頂きたいんです」
「…………」
「サクサクヴド号も、ボンヴァルノン号も。あのヤチルシーム号も勝てなかったタルギタオス記念に、テルビナで勝つ」僕の口から、とめどなく言葉が溢れていく。「そうして僕が勝ったら――ディガルさんが、もう一回勝って下さい。偶然勝ったわけではないと。ベレー様の実力は確かだと。シームの血は確かだと」
ディガルさんはしばらく俺を見ていたが、ベレー様に向き直ると。
「――後輩に免じて、もう一頭だけ担当します。そのヤチルハハイラ号。ただし今度こそ最後ですから」
そう言い放つ。
ぱあああっ、とベレー様は顔を明るくされ、
「流石エムリスくん、アシュトールを篭絡するするとは」
僕にそう言われる。やや人聞き悪いのが気になるが、お役に立てたことが何より嬉しい――
「勘違いするなよエムリス。最初に、ベレー様にタルギタオス記念を勝って頂くのは俺だ――大言壮語を吐いて、結果を残せなかった後輩の尻拭いをするのも、な」
――その言葉には、カチンときた。
「ぼ、僕は絶対にやり遂げるので! ねえベレー様!」
「期待しているよ、二人共」
ベレー様は、本当に嬉しそうに笑われ。
「よし、ボンヴァルノンと最後にひとっ飛びしてくるね」
そう言い残し、厩舎のほうへ走っていかれた。
僕は、ディガルさんと顔を見合わせ――ごく小さく笑い合い。
急いでその小さな、しかし逞しい背中を追いかけるのだった。
*
果実月――今年度も半分が過ぎようとしている。
そして、十二の重賞もこれにて折り返しとなる。
第六戦。
アクセル記念。
“英雄王”アクセル号の名を冠した競争である。
弟のアクセルテグ号と共に、競竜を国技にまでのし上がらせた立役者は、数十年の時を経てなお最強の呼び声高く、その影響もあり、アクセル記念は、『最も強い竜が勝つ』といわれる競争だ。
これまでの重賞五戦、ヤチルテルビナ号とエルダープサー号が二冠。ザールカーフ号が一冠を獲っている。
今回で折り返しということで、ここで勝利し三冠となれば、折り返した後にも三冠を獲り六冠竜に至る――という皮算用は控えるとしても、当然勝つための調教をしてきたわけで。
帝立第一競竜場、八頭立て、距離11フェレン。
そういえば、シャーラはアクセル記念に執心していたなと、昨年のグランプリ投票を思い出す。シャーラが担当しているザールカーフ号は、既に一勝上げていて、ここで勢いに乗られると今後に響くだろうが、
そんなザールカーフ号は最内の①番からの出翔だ。ザールカーフ号は剣賞を勝っている一冠竜であり、これまでの競争は先行策が多かった印象で、この枠順はかなり有利に働くかもしれない。ただ、序盤から逃げるわけではなく二・三番
手に控える展開を得意とするため、前が塞がれると、内側過ぎるのがやや不利か。
全体を見ると、①番がザールカーフ号で②番がラーザーテグ号、③番にエレイン様の乗られるユークスラメル号。④番にはバルサガ号。テルビナは⑥番で、⑤番のプサー、⑦番のアーラム様が乗られるチャタモンガ号に挟まれる枠番だ。一番外側の⑧番にはアルガ様の乗られるゼイケデイス号が割り当てられている。
帝立第一競竜場は、テルビナとラメル、そしてゼイケデイス号が、丁度一年前の果実ステークスで飛んだ翔路だ。
まだゼイケデイス号は重賞は勝っていないが、いまだに僕は、あの果実ステークスでの、ゼイケデイス号の超加速を、夢に見るほど恐れている。今日のアクセル記念、果実ステークスの再現が為されないとも限らないのである。
その果実ステークスを共に飛んだ三頭の竜、それぞれを担当する調教助手が、観客席にて一堂に会した。
「やあ。隣いいかな」
エルフィンさんは、僕の答えを待たずに左隣の席に座ってきた。僕の右隣にミレイ、その右にグィーベ、その右にシャーラと並んでいる。
「こんにちは」
ミレイはついっと頭を下げた。
「はじめまして。俺はユークスラメルを担当している、エルフィンっていいます」
「あ、よろしくお願いします。あたしはゼイケデイスを担当してます、ミレイです」
ミレイは折り目正しく挨拶をするが、
その右隣の二名はちらと視線を一瞬向けただけで、何も発しようとしない。
「こちらはエルダープサーのグィーベ君です」
ミレイがグィーベの紹介をしたので、
「いちばん奥が、ザールカーフ号のシャーラです」
仕方なく、僕がシャーラの紹介をしておく。
「というか、何しに来たんですか」
「感謝しに来たんだよ。君にね」
エルフィンさんは嘘か真か、僕にそう言って笑い。
「ほら、もう始まるよ」
そう言って翔路に視線を落とした。
〖――さァ5番エルダープサー、少し時間がかかりましたがゲートに入りました。残りの竜たちも順番にゲートへ。――“英雄王”の見守る帝立第一競竜場、アクセル記念、距離11フェレン。――発翔しました!
〖先頭切って飛び出したのは③番ユークスラメル! ここで逃げを選んでこられましたエレイン様、①番ザールカーフは前が塞がれてやや苦しいか、⑤番エルダープサーと並びます! その後ろ二冠竜⑥番ヤチルテルビナ、⑦番チャタモンガがやや低空での展開になっています、⑧番ゼイケデイスがヤチルテルビナの後ろにつけてきた、その外に④番バルサガ、最後方から②番ラーザーテグ追いかけます!〗
逃げたのは――最内のザールカーフ号ではなく、ラメルだった。
外枠の竜に前を塞がれ、逃げられなかったザールカーフ号は先頭と二竜身ほど差が開いたまま飛んでいる。
「ああッ、うわあ……」
三つ右隣のシャーラが立ち上がって呻く。
手に紙を握っているのでそういうことだ。
まあ個人的にはまだまだ展開は分からない。ゼイケデイス号がテルビナの後ろに着けている真意は読めないが、ラメルの大回りの内を突いていければザールカーフ号にもまだ勝利の目はあるし、プサーが外から行くかも知れない。テルビナも最後の直線まで翼は残しておけるだろう――
〖第1コーナー入りまして依然先頭はユークスラメル! 内柵すれすれを、身体を斜めに飛んでいきます! これは越せないかザールカーフ!〗
「ああ?」
僕は腰を浮かせる。
ユークスラメル号が曲路で見せた飛行は、あまりにも正確なものだった。
ザールカーフ号が内側を突く隙どころか、ラメルが更に突き放していき、差が三竜身、四竜身と広がっていく。
「言っただろう。感謝しに来たと」エルフィンさんは言う。「君に指摘されて。改めて考えてみたんだ。体格差――体重差を。俺も鎧を身に着けることで、斤量を均等にしてみたら、これが大ハマりしたってわけだ」
騎手は、騎乗の際に鎧を身に着けることが義務づけられている。これは普段の職務の時の鎧を身に着けるのが一般的だが、重量に関する規定はない。よって騎手は、できるだけ軽い鎧を別に準備して(普段の鎧を軽くすると、防御力が低下し、緊急時に使えないおそれがあるため)、それを競争にて装着する。
一方の調教師は、各自の裁量で防具を選んで身に着けていい。うちの厩舎では、通常は頭と胴体は防具で護ることにしていて、鎧と比べるとやはり薄いが、そこまで負荷をかける調教は少なく、余程気性の荒い竜でもない限り、落竜による事故は起こらない。オリヴィエ記念前の、壁翔けの時は流石に振り落とされると思ったため、装備を増やし、イザルドさんに周辺の魔法的整備を手伝ってもらっていたが。
さてそんなことより、ユークスラメル号。コーナーをものにし、先頭を突き進んでいく後ろに、対抗してくる竜は――
〖――第3コーナー入りまして先頭は依然③番ユークスラメル、遂にその本領を発揮したのか、最後の直線は短いですがここで仕掛けてくる竜が一頭、⑥番ヤチルテルビナです! かの新竜戦で鮮烈な初舞台を果たしたお二人が、今ここで再び激突されます! ④番バルサガはここまでか、⑦番チャタモンガは前に出てくる、その後ろにはもつれて①番ザールカーフ、⑤番エルダープサーが横並びです!〗
テルビナが喰らいついてくれた。
第一競竜場、その直線は他の主要な競竜場と比べて短いため、他の競竜場のつもりで仕掛けると交わすのが間に合わなくなる。
かといって早すぎるのは当然いけない。そこのところは、ベレー様が経験値で補って下さった。
後ろのプサーとザールカーフ号は、互いに消耗させ合っていて、最終直線まで保つかどうか分からない。しかしテルビナは、少なくともまだいける。チャタモンガ号を振り切り、ラメルとの一騎討ちだ――
〖――ここで外からゼイケデイス! やはり来ましたこの竜が!〗
最終コーナーを回って直線へ、そこを狙い澄ましたゼイケデイス号が上がってきた。
直線一気。
〖昨年の果実ステークスの再現を見せてくれるか残り1フェレン!〗
そんなことになってはいけない。
そして、そんなことにならないために、これまでの調教に励んできた。
〖チャタモンガの外を通り、⑥番ヤチルテルビナに並んだ、そして先頭の③番ユークスラメルの尻尾を掴む!〗
最後の1フェレン。
眼前のユークスラメル号。
あと少し。
あと少しだ。
〖差は半竜身、ユークスラメルは逃げる逃げる!〗
あと少し。
あと少しなのに。
〖翼を閃かせ――入線! 最後まで逃げ切りました③番ユークスラメル、初めての重賞勝利をアクセル記念にて納めました!〗




