5-5 剣賞②
新しい革手袋を着けて、気持ちを新たに調教に臨む。テルビナはすぐに気がついたようで、手の平に額をすりつけてきた。
今月末の剣賞は第二競竜場での距離10フェレンの重賞だ。距離が少し伸びているが、頭数は十五頭と変わらないため、これまで以上の混戦が見込まれる競争だ。前回の甲賞から三ヵ月が経ち、それぞれの竜は、それぞれの方法で竜を鍛え、この競争に臨む。
ゲート再審査を申し渡されたプサーも、流石にもう再試験を受験て合格ったようである。折角甲賞を勝利したのに、その次の競争へ進めないとなったら一大事だ。皆、前回の勝利竜をいかに攻略するかということを念頭に仕上げてくるし、プサー自身も、折角、勢いに乗れそうなところで墜落してしまうという、よくない流れに陥ることになる。グィーベもそれくらいのことは理解しているようで、甲賞の翌月、熱波月には再試験を済ませていた。
もっとも、僕にとって、そしてテルビナにとって、あるいはベレー様にとって、克つべき相手は他にもいる。
先月の果実ステークスにてテルビナが後塵を拝することとなった、ゼイケデイス号である。
ゼイケデイス号の超加速は、この一ヵ月で更に進化していることだろう。今度こそは、負けるわけにはいかない。前回も、知らなかったから勝てなかった、という言い訳が成立したわけではないが、今回は、知っていたのに勝てなかった、という事態に至ってはならない。ゼイケデイス号の競争技術を知った以上、それはきちんと対策をして、次に活かさなければならない。むしろ、果実ステークスでの敗北は、ゼイケデイス号に超加速という切札を切らせることができた、実りある敗北であった。その収穫物を、生かすも殺すも僕の調教次第であるわけで、慎重に、勝利のための段階を経ていかなければならない。
競争も近づき、併翔で仕上げていこうという段階に入って、プサー対策・ゼイケデイス号対策を考えた際に、どの竜を選べばよいかという点は当然、問題になってくる。
プサー対策はプサーで行えれば一番いいのだが、そう易々と乗ってくるとは思えないため、どうにか考えたい。プサーの特徴は、何よりもまず練習量の差から生まれる筋力・速力・その他諸々の基礎能力の違いだ。中でも、先頭集団で飛び続けられるだけの体力と、竜群を恐れない胆力は凄まじい。プサーは同世代の中ではかなりの上澄みで、併翔相手としては、同世代の竜というよりは、一世代上の竜のほうが、実際のプサーの実力との乖離が小さいだろう。
たとえば、ヤチルティライン号。
ティラインは、掛かりやすいところを除けば、かなり高水準の飛翔を見せてくれるなかなかの竜で、ちゃんと飛べば最低でも二冠は確実だったとは、巷でも囁かれている。普段の調教を見ている感じだと竜群が苦手そうで、その点はプサーとは異なるのだが、それ以外の点ではプサーと同等、いやそれ以上の実力を持っているため、プサーを想定した併翔相手としては申し分ない。
ゼイケデイス号対策のための竜は、超加速を再現できそうな竜がいいのだが、そんな竜がその辺にいるということはない。強いて、知っている竜の中で挙げるとするならば、
ヤチルタヴィ号。
タヴィなら、細身の体躯は空気抵抗が少ないはずなので、超加速に向いていると思われる。翼の筋力が少ないほうではあるが、ゼイケデイス号の超加速というのも、そう長く続くようなものではない。これまで飛翔を見た感じだと、八割方は再現できそうな気はする。
というわけで、剣賞に向けた、テルビナの併翔相手は、サタナ記念前と同じく、タヴィとティラインに頼むことにした。
「やー、どーもー」
「ファルさん、お久し振り」
牧場に現れたのは、タヴィを担当する調教助手の、ファルハルトさんことファルさんだ。アルザさんがそう挨拶し、僕も頭を下げる。
彼は当然ながら、ヤチルタヴィ号を連れてきてくれている。日光の下で、鱗は緑に輝いている。
「ゼイケデイス号の“超加速”を再現してほしいってことだけど、タヴィだったら一度に四半フェレンが限度と思ってもらえるといいかなー」
ファルさんはそう言う。四半フェレンというと、競争全体で考えればほんの短い距離ではあるが、そもそも仕掛けるのは最後の1〜2フェレンほどの地点でだし、ゼイケデイス号の超加速も、半フェレンほどに過ぎなかったと思われるため、対策を考えるには充分過ぎる。
「助かります。ありがとうございます」
僕は言った。
「ティラインは、まあこれまでのプサーの飛行を見た限りでは、再現度は七割ってところかだね」
アルザさんは言う。恐らくティラインの気性を考慮しての評価なので、八割は超えていると思って大丈夫だろう。こちらも大変助かることだ。
「協力ありがとうございます」
僕は二人に頭を下げた。この併翔を通して、テルビナをどう仕上げればいいか、それを見極めたい。
まずはタヴィとの併翔だ。一周6フェレンの短めの翔路を、ふつうの飛調で、テルビナが前、タヴィが後で縦列飛行し、最後の直線でタヴィが超加速で外を回ってテルビナの前を取る、という流れだ。
とりあえず一回目の一周。第4コーナーから直線に入るところで――予定通りタヴィが加速。
一瞬でテルビナを抜き去り、入線した。
飛ぶまでもなく分かることではあったが、まず超加速は、他の竜が警戒していない時、つまり視界の外にいる時に仕掛の瞬間を持ってくることができれば、成功しやすい。超加速といっても、要は仕掛なので、同じ時機・同じ速度で飛び出せば置いていかれることはない。先月の果実ステークスでも、ゼイケデイス号は中団に控えていて、テルビナたちが仕掛けた後で、突然競り合いに参加してきた。騎手としての癖の問題もあるだろうが、内に囲まれていたゼイケデイス号が抜けられないと見て、各騎手は、早々に激突相手の候補から外したのだ。前四頭が混戦だったため、縦にも横にも広がっており、来るとしてもゼイケデイス号は無いと、全員が思っていただろう。
しかしゼイケデイス号は来た。そして勝った。
問題は、来ることを分かっていれば、負けなかったのかということだ。
よって次は、わざと仕掛の時機を合わせる。そしてテルビナも、超加速のようなものに挑戦する。テルビナに、あらん限りの力を振り絞って飛んでもらう。
結果は、アタマ差でテルビナの勝利。
タヴィが疲弊していた、というのもあるだろうが、飛び方の上での、弱点ともいえないが、特徴を僕は発見した。
果実ステークスで見せた、タヴィにもやってもらった、大きく傾く飛行。
《《どちらに傾くか》》は――前にいる竜に依るのではないか、という点だ。
果実ステークスでは、右に傾いていた。後ろの竜が上ずり気味だったため、前の竜が低く後の竜が高かった、その差に合わせて竜体を傾けたのだ。一方の今の併翔では、僕は特に何も伝えなかったが、前方のテルビナを躱すため、タヴィは左に傾いて飛行した。右に傾いては、テルビナの右翼が邪魔で上手く抜けられないだろう。大きく空を取れば可能ではあろうが、低空飛行とは異なり上空飛行は、今いる位置から高く上がらなければならないため、後ろ方向ではなく、下方向に羽ばたかなければならない。そしてそれは体力を削る行動で、できれば避けたいため、ふつうは下から躱すものだ。下からならば、少し左の羽ばたきを弱めればよく、速度を落とさず仕掛けることができる。
ただし下から躱すのには、必ずつきまとう難点が存在する。
それが上空の竜の羽ばたきだ。
風に影響されない竜はいない。今回の併翔で、テルビナが勝てたのも、タヴィがテルビナの下を通ろうとしたことで、風圧を受けたからだ。反対に、果実ステークスでは、右に傾いたことで逆に先頭集団を風圧で抑え込むことに成功していた。それが果実ステークスでのゼイケデイス号の勝利の大きな要因だと分析できる。
ただ、自ずと導かれる、飛行位置に気をつけ、後ろを警戒するという対策では足りない。
仕掛の時機を逃せば、対応が後手に回ってしまう。位置取りに気をつけるといっても、それに気を取られて動きに反応できなかったら意味がないし、先に仕掛けるとしても速力で追いつかれる可能性もあるし、それでは飛行位置に気をつける意味がない。
ゼイケデイス号の、前を取らないほうがいいのだろうか。
後ろに控えていれば、ゼイケデイス号が仕掛ける瞬間どころか、仕掛けようとする動きすら把握することができる。あるいはサタナ記念の時のように、下を取ったほうがいいか。本番は何も、この併翔のように一対一でやるものではない。果実ステークスを観て、同じようにゼイケデイス号対策をしてくる騎手もいるだろうし、テルビナは、いかにゼイケデイス号に勝つか――いかにして、先に入線するかということを考えるべきかも知れない。
そう、極論を言ってしまえば、対策ができなくとも、最終的に先に入線した竜が一着なのだ。
ならば竜群から離れて、冷静に競争を運ぶのも手ではある。
「テルビナは、今ので上がりは限界なのかなー」
そこで、ファルさんが言った。
上がりとは、つまり仕掛のこと。末翼とも言われ、最後の追い上げ、特にその速度のことを指す。
「と、言いますと」
「いやー、テルビナを見てると、やっぱりヤチルシーム号を思い出すからねー」
ヤチルシーム号。
テルビナの父竜。
シームは驚異的な末翼で有名であった。一般に、竜の強さは上がり時間で測られることが多い。そしてその末翼は――テルビナにも受け継がれているのではないか、というのがファルさんの考えであるらしい。
「エルダープサー号のことを考えても、そう思わない、アルザさんー」
ファルさんはアルザさんに話題を振る。
「確かに、今のままでは競り負けるでしょうね」アルザさんは応じた。「エムリス。――《《追い込み》》はどうかな」
「追い込み――シームの、83年のバトラズ杯ですか」
「想定としてはそう」彼女は頷く。983年のバトラズ杯、ヤチルシーム号が初勝利を上げた重賞だ。「以降は中団での競争運びがほとんどになったけど、それもあの一戦があったから。他の竜の飛調が速くなっていって追い込み策は採用しにくくなったんだね」
アルザさんがこの話をしたということは、彼女もまた、ゼイケデイス号を一対一でどうにかするというよりは、プサーや、その他の竜も考慮した上で、テルビナの勝利を第一に考えるべきという、僕と同じ思考を辿っていたらしい。
追い込み策の一番の利点はやはり、追われる身にないことだ。逃げ策や先行策では、常に後ろを気にしながら飛ばなければならないため、少なからず竜に心理的負担がかかる。また後方で控えていれば、翼を溜めていられるところも有利につながる点だ。
同世代には、ボンヴァルノン号のような強烈な逃げ竜はおらず、ある程度、竜群がまとまっているため、中団はむしろ、後半抜けられなくなる恐れもある。それならば竜群の中心から距離を置いて、外からを通って仕掛ければいい。そのためには当然、それなりの基礎体力や速力が必要であるわけだが。
追い込み策の一番の難点はそこで、一番後ろから一番前に出るための力が必要なのだ。大抵は加速しても中団、よくて三番手ほどで力尽きてしまう、よほどの生抜にしかこなせない策だ。それこそプサーは、今のところは前のほうでの競争が多いが、追い込みをやらせても勝てるだろうとは思われる。
しかし血統というならば、テルビナだって、あの五冠竜の仔である。ファルさんも言っていた通り、今はまだ足りないところがあることは事実だが、それを育て上げるのが、テルビナを担当する僕の役目である。
「というわけで、ティラインとの併翔はまだ先かな」アルザさんが、ティラインの青黒い鼻を優しく撫でる。「もう二歳半になるし、壁翔け始めてもいいと思うよ。先生に確認は取ってね」
壁翔けとは、聳える壁を、縦方向に飛んで越えるという、心肺機能や飛行能力を高めるのに最適の調教である。他の調教に比べてかなりの負荷がかかるので、一般には二歳頃から調教に含めていく。「分かりました。今日はありがとうございました」僕は二人に礼を言った。
先生だけでなく、ベレー様にも、この話はしておくべきだ。そもそも、テルビナだけでなく、僕が壁翔けをこなせるかどうかもまだ分からないため、要相談というところではあるだろう。
何にせよ、さしあたって固まった方針で、今は進むのみだ。




