第16話:後始末の値段
法律を変えるのは、簡単なことじゃない。草案作って会議して、はい施行、っていうわけにもいかないんだよねえ。
草案作りにしても、何パターンも用意しておいて、指摘されそうなところは別途回答資料を作成しなきゃいけないし、その後も会議にかけるよりも前に、あちこちに根回しをしておかなければならない。
前世でも、領地じゃなくて会社規模での話ではあるけれど、そういった根回しにお兄ちゃんと一緒に奔走したのを覚えている。
会議のための会議とか、何の意味があるの? って辟易したし、こういう無駄な会議は自粛させようって頷きあったっけ。
規模は変わっても、何なら世界さえ変わったとしても、こういうところは変わらないんだなあ……変わってくれていた方が、ずっと良かったのに。
内心で愚痴っていても仕方がないから、手と目を動かさなきゃ。
税制に関しては、今正に根回し中だから、一旦保留。わたしが直接動くと、年齢も相俟って軽く見られる可能性があるし、こういうのは経験を積んでいる執務官さんに任せて、定期報告を受けるくらいで良い。
それに、これから忙しくなる時期だから、一つのことに集中できないって理由もあるし。
アンナルデクス王国の年度始めは四月で、今は九月だから、第三期目も終わり。
小麦の収穫時期は既に終わっているから、その収穫量の計算と概算税収を算出するために、現地の代官たちが数字と睨めっこしている頃かな。
わたしの元に最終的な報告書が上がってくるのは、今の時点だと月末くらいになる予定。
だけど、領都から近い土地からはもう一次報告が来ているから、来年度の税収見込みを立て始めなければいけない。
ああー、エクセルが欲しい! パソコンでデジタルデータ管理したい!
でも、電卓ではないけど、それに近い計算機があるからまだマシと思おう。四則演算のうち、足し算と引き算だけでも機械で計算できるっていうのは、本当に有難い。
機械工学についてさっぱり分からないから、今ある文明の利器に頼る他ない。設計図とか、読み方さえ分からないもん。まあ、掛け算と割り算なら、筆算で事足りるし、良いんだけどさ。
計算機の仕組みとしては、パスカリーヌが近いのかな? フランス生まれの最古の計算機らしい、あれ。
名称くらいしか知らないから、違うかもしれないけど、頭の中で思っている分には誰にも迷惑をかけないし、そういう理解で良いでしょ。
ただねえ、計算機って部品を全部職人さんが手作りするから、量産できないし高価だしで、執務官さんたちにも一人一台配布、なんてことはできない。
「ルシオ卿」
「はい、殿下。如何なされましたか?」
「先の戦争で、働き手を亡くし、生活の支援を必要としている者たちについて、貴方が知っていることを教えて頂戴。彼ら彼女らへ、これまでどのような支援をしていたのか、孤児を養育する施設はあるのか、その財源はどこから出ているのか。資料から読み取れないところを、補足して」
「かしこまりました。まず、戦死者遺族への支援ですが、見舞金を前領主の名で出しています。負傷者にも同様に。戦争孤児に関しましては、一般の孤児同様神殿の孤児院で受け入れをさせております。財源は、前年度の予備資金から捻出しました」
「そう……。見舞金を出したのは、一度だけかしら? 働き先の斡旋をしたり、孤児院の予算を増やしたりはしたの?」
「いえ……見舞金は、一世帯につき一度です。働き先の斡旋はしておりませんが、孤児院の予算は戦争前の年度より上乗せはされています」
うーん、前領主も最低限のことはしたみたいだけれど、あくまでも本当に最低限って感じっぽいね。
見舞金の金額にもよるだろうけど、一度じゃあ生活の立て直しなんて無理。継続的な支援をしつつ、自分たちで食い扶持を得られる手助けをしないと、わたしにとってもマレディウムにとっても、都合の悪い未来が訪れる予感しかない。
軽犯罪──スリの増加は勿論、二進も三進も行かなくなり、私営娼館に身を寄せてしまうかもしれない。
アンナルデクス王国では、公営娼館以外でそういった商売をすることは認められていない。でも、マレディウム大公領での公営娼館設立は、まだ準備中……となると、男女問わず向かう先は私営娼館しかなくなる。
それでもまだ、生きることを選択していくれたのなら、マシな方。人生に絶望して、命を断ってしまおうと考える人がいないとも言えないんだよね。
こればっかりは、前領主に文句を言っても許されるんじゃない? 貴方が派兵を決めたんだから、ちゃんと後始末までして欲しかったよ。
思いっ切り溜息を吐きたいけど、我慢。実務を一手に担ってきたのはルシオ卿だというし、ここでそれをすると、彼は自分が責められていると感じてしまうかもしれない。
「……分かりました。一度の見舞金で生活の立て直しを行えなかった者には、継続的な支援が必要となるでしょう。安定した収入を得ることができている者ばかりではないはずです、早急に予算を組む用意をしてください。それが出来次第、臨時の予算会議を開きます」
「は、……っはい、お言葉に従います。負傷者への支援と、孤児院の資金繰りについても確認し、用意を進めてよろしいでしょうか」
「ええ、そうして頂戴。領地にある全ての孤児院を調べるのは、どうしても時間がかかるでしょう。なので、無作為に選んだ孤児院をいくつか確認する、という流れで行いなさい」
「かしこまりました。法律に関する書類がもう少しで纏め終わりますので、それが完了しましたら、着手致します」
「結構。ルシオ卿、貴方の優秀さは、わたくしも頼りにしています。けれど、一人で抱え込んではなりません。他の執務官や、代官たちを上手く使うように」
「はい、殿下」
うんうん、ルシオ卿の瞳もだいぶ輝きが戻ったね。この件について、自責の念に駆られてはいなさそうだから、様子見をして大丈夫そう。
わたしが直接、他の執務官さんや代官さんに指示を出すことも可能だけれど、この件はマレディウムがアンナルデクス王国に接収される前からの問題。
だから、まずはルシオ卿に動いて貰うことで、自分たちが前領主の尻拭いをさせられている、と感じてしまう要素を少し減らして起きたい。
実際には、前領主がどんな対応をしていたにせよ、わたしも何かしら動かざるを得ないことではあるんだけど……使えるものは、使っておこう。
ルシオ卿には、一人で外出する許可は出せない。これは意地悪とかではなくて、他国の人質に対するアンナルデクス王国としての処置だから、特例はないんだよね。
だから、孤児院の資金繰りについては、ルシオ卿は書面から読み取るしかない。
でも、文字で読み取れないものもある──現場の肉声と、空気感は、報告書から想像することは難しいはず。
執務官さんに孤児院へ訪問して貰っても良いんだけど、うーん、いや。ここは、わたしが出張るとしよう。
アンナルデクス王国において、神とは記録のことを示す──当然、人格なんてものはない。
でも、リオングランデ王国では、人格のある三柱の神が祀られているんだよね。神殿は、その神を祀り、祈る場所。
孤児院は、確か……海に眠る破壊と生命の神の神殿にだけあるから、わたしが行ける範囲の神殿を無作為に選んで訪問しようかな。
優しい領主アピールをしておいて損はないし、ちゃんと領民のことを見ていますよーっていう、実績作りにもなる。
何より、直接この目で見ることによって、孤児たちの栄養状態や孤児院の衛生状態の確認もできる。
他にも社会福祉関係で、やれることはやっておきたいんだけど、何でもかんでも性急にやれば良いってものじゃあない。
前世の日本と、このマレディウムでは、求められている福祉の内容や質が異なるってことは、ちゃんと分かっている。
だから、まずは戦争関係の福祉体制を整えることに注力して、ついでに戦争以外でも配偶者を失って生活に困っている層に伸ばせる福祉の手を用意してしまおう。
どさくさに紛れてって感じではあるけど、こういうのは一緒にやってしまう方が、後々「うちも収入を得る手段がないのに」っていう不満が溜まらないはず。
同時進行で色々なことを考えなきゃいけないから、正直前世でやっていた秘書の仕事よりも忙しいし、大変。何より、責任が重すぎる。
わたしが失策したら、それがそのまま領民の生活に直撃するわけでしょ? つまり少なくない数の人の命を背負っているというわけで……あー、胃が痛い。
社会福祉については、一旦置いておこう。孤児院の視察をするにしても、予め日程調整はしなきゃいけないから、執務官さんの中でも秘書的立ち位置の人と執事さんに諸々の調整は丸投げ。
下手に口出しして混乱させるより、彼らに任せた方がいい感じに予定を組んでくれそうだしね。
さて、思考を戻そう。えーっと、はいはい、収穫量についての一次報告書ね。
んー、撒いた種の量と、おおよその収穫量に大きな乖離はなさそう。こういう、真面目に作ってくれた書類なら、わたしもすぐに次の書類へ移れるんだけどなあ。
たまに、どう見ても不正しているだろってものを提出してくるお馬鹿さんがいるせいで、執務官さんたちが計算し直してから、提出元へ差し戻しするっていう手間が発生している。
もう、人件費だって馬鹿にならないんだから、無駄な悪知恵働かせるの止めて欲しいよ。書類の往復だけで、数時間から一日かかるんだからね!
「──殿下、休憩のお時間となります。この後は商人との会合がございますので、ご移動を」
「あら、もうそんな時間になったのね。皆、休憩の時間です。各々キリの良いところまで進めたら、手を止めるように。わたくしはこの後戻りませんから、至急の用がある場合、フィデホノール子爵へ指示を仰ぎなさい」
「殿下、私はこの場に残すおつもりで?」
「勿論。わたくしに次いで執務官を纏められるのは、貴方だけですもの──休憩をとろうとしない者からは、仕事を取り上げて構いません、任せましたよ」
「御意、我が白薔薇の君」
ねえ、それいつまで続けるの? あ、これいつまでもやるつもりだ……ケイルム様って、こういうお茶目なところというか、愉快犯のようなところがあるんだよね。
別に白薔薇呼びされるのは、もう慣れたから良いんだけどさ。それに、休憩をとろうとしない者──最近はそれも減ったけど、でも一応、ルシオ卿については目を光らせておいて貰おう。
他の執務官さんたちとも、休憩時間には和気あいあいと過ごしているようだから、もうそんなに心配はしていないけどね。
上司がいると気が休まらないだろうし、セレナたち侍女さんと共に自室に移動しようっと。
今日の商人との会合は、顔合わせの意味合いが強いから、なめられなければオーケー。無理に親しくするつもりはないし、こちらに取り入って甘い汁を吸おうとする輩はチェックしておかなきゃ。
勿論、良い品があったら買い物もするけどね。わたしの個人資産から出すし、商人を呼びつけておいて、買うつもりはありません、っていうのは貴族としてはマイナスになる。
ただねえ、宝飾品はお兄様から贈られたものがたっぷりあるし、ドレスもめちゃくちゃあるから、買い物をするとしても、お付き合い程度のものになりそう。
宝飾品以外で、これはって思うものを持ってきてくれないかなー。大公相手に、流石にそんな博打する人はいないか。
はー、やっぱり自室は安心する。職場と家が近いって、こういう時に良いよね。
今日はストレートティーにしよう。お茶請けのお菓子が甘さ強めだから、その方がよく会うはず。
コーヒー豆もあるけど、わたしは完全な紅茶派だから、眠気覚ましにしか飲んでいないんだよね。めちゃくちゃ高級品だし。
ちょっと一眠りしちゃおうかな、そのくらいの時間はあるはず。自発的に起きれなくても、優秀な侍女さんたちが起こしてくれるから、寝坊はしないし。
会合に向けて、英気を養おう。わたしにとっての本番は、まだ予定も決まっていない孤児院訪問だから、その前哨戦には丁度良いでしょ。




