第15話:誰かの怒りの矛先
人の上に立って指揮を執る時、最大多数の最大幸福を目指すことはできても、誰一人として不満のない道を示すことはできない──頭では分かっていたつもりでも、所詮は〝つもり〟でしかなかった。
ヴェントルフ城での生活と、職場環境に慣れてきたところだったから、油断していたのかもしれない。
領都入りした時も、領主就任演説を行った時も、目立って敵対行動をする人はいなかったから……言葉でも、行動でも、そうだと思い込もうとしていた。
「あたしの夫を返せ! 気味の悪い、化け物めッ! おまえの国がなければ、夫は死なずに済んだんだ!」
「──……」
「我らが至宝、白薔薇の君を侮辱することは許されない。そも、貴様の夫が死んだのは、リオングランデ王国がアンナルデクス王国へ戦争を仕掛けたからだ。履き違えるな」
「うるさいッ! おまえみたいな白愚図が──」
「牢に連れて行け! 耳障りな羽虫の声など、潰して構わない!」
白愚図──ああ、リオングランデ王国での、アルビノの蔑称かな。
耳は良いはずなのに、周囲の音がぼんやりと聞こえる。
目は悪いはずなのに、真っ直ぐにわたしを睨む女性の顔が──ケイルム様の背に遮られているのに、嫌というほど分かってしまう。
声を潰すなんて、いけないことなのに、足が竦んで、喉に空気が張っているかのように、言葉が出ない。
「……、……裁判で判決が出るまで、不当な扱いをしては、なりません。貴方も、口を慎むように。わたくしへの謂れなき侮辱は、投獄に値するものです」
「──ッ!!」
「連れて行きなさい。……集まってくれたというのに、驚かせてしまいましたね。今日は、終いに致します。また明日、ここで皆の話を聞かせて頂戴」
「ロザリア殿下、……こちらに」
「ええ。それでは、今日も一日、幸いがあらんことを」
曇天なのに、お城の中庭へ集まってくれた領民たちには申し訳ないけど、このまま彼らの言葉に耳を傾けるのは難しいかな。
ケイルム様も、侍女さんや護衛さんたちも、ピリピリした空気を纏ってしまっている。
わたしは、……わたしは大丈夫、とは言えないけど、彼女の言葉を全て否定することはできない。
本格的な戦争を──殺し合いの火蓋を切ったのは、リオングランデ王国であるのは間違いがない。でも、両国の間にずっと火種が燻っていたのも、また事実。
アンナルデクス王国は、それを処理しなかった。するほどの価値がないから、過去に倣い記録をするだけだった。
その結果が、戦争勃発。そして、徴兵……リオングランデ王国には、戦線に近い領地以外からも派兵すべしという慣習があるらしいから、前領主はそれに倣ったんだろうね。
言ってしまえば、わたしに直接非があることではないし、彼女の言葉は単なる八つ当たりでしかない。
何故なら、戦争を仕掛けたのはリオングランデ王国の別領地に属する人物だし、彼女の夫を派兵したのは、前領主だから。
そこにわたしの意思はないし、そもそも当時十歳だったのに、戦争はおろか政治に関われるはずもない。
それでも、憎悪に駆られた彼女の気持ちを想像できないわけじゃない。
そして、それをぶつける先が現領主であり、アンナルデクス王国の者であるわたししかいないことも、理解はしている。
だからといって、それに付き合う必要はない。……ないんだけど、やっぱり凄く嫌な気持ちにはなるし、曇り空も相俟って気分も沈んでしまう。
朝から落ち込む羽目になったとしても、領主としての仕事を疎かにすることはできないし、予定を延期するほど打ちのめされたわけじゃあないから、気を取り直して仕事に集中しなきゃ。
「ロザリア殿下、我が麗しき白薔薇の君。あのような戯言に、その尊きお心を揺らす必要はありません。あの者の夫が亡くなったことに、我らに責などないのですから。……今日は、ミルクティーに入れる蜂蜜の量を、少し多めにするのがよろしいかと思いますよ」
「……ええ、そうね。フィデホノール子爵、守ってくださったこと、嬉しく思います。ですが、声を潰す指示は過剰です。相変わらず、過激なところがおありね」
「お耳汚しをしてしまい、申し訳ございません。私の存在意義は、あの頃より変わらず殿下の安寧を守り、お支えすることですので」
「ふふ。幼き頃からの口癖は、まだ健在ね。……少しだけ、心が軽くなりました。セレナ、今日のミルクティーは、いつもより蜂蜜を多く入れて頂戴」
「かしこまりました、殿下。お部屋に戻られましたら、足を温めさせていただきますので、少々お時間を頂きたくお願い致します」
「構わなくてよ。冷えは、女性の敵だもの」
護衛さんたちに囲まれて移動する間、ケイルム様もセレナも傍にいてくれたから、彼らの気遣いに感謝しなきゃ。
ケイルム様とは居住地区の前で別れたけど、多分、あの女性についてどう扱うかの指示出しをしに、衛兵さんたちの元へ行ったんだろうな。
刑罰に関わる法律は、まだ改定や新法案成立前の議論段階。だから、わたしが領主に着任して以降の犯罪者は、重大な犯罪以外は現行の罰則を適用している。
あの女性の場合は、領主に対する侮辱罪と名誉毀損罪──平民同士のことならばともかく、わたしに対してというのが拙かった。
リオングランデ王国の法律では、領主に対する不当な侮辱と名誉毀損は、重罪とされている。最悪、死罪も有り得るほどのことだ。
アンナルデクス王国の法律では、重くはあるけれど、懲役刑か罰金刑で済む場合がほとんど。明確な反乱を起こそうという、国家反逆罪に値しなければ、死罪になることはない。
現在のマレディウム大公領は、アンナルデクス王国の領土であるんだけど、法整備が終わっていないから……彼女には、現行の法律を適用することになる。
そう、場合によっては、死罪も有り得る法律を。
法律関係は、税制と同じくすぐに変えられるものじゃあない。話し合いと検討を重ねて、領民の混乱が最小限になるように、段階的に進めていくつもりだった。
いや、その予定は今も変わらない。彼女一人を理由に、全体の動きを大きく変える必要はないから──統治は、誰か一人のためのものじゃあ、ないんだ。
王城で、お母様とお兄様……上王陛下や国王陛下、そして臣下たちの動きを会議の議事録という形で見てきたから、それはちゃんと理解している。
彼女の声が、領民全体に広がっているのならば、わたしも手を打った。でも、あの場にいた者たちは、皆困惑した様子だったんだよね。
はあ、気が重い。でも、ルシオ卿があの場にいなくて良かった。
彼は、前領主の弟であり、マレディウムの者──今、生活習慣と職務内容の立て直しを図っているというのに、それに水を差す出来事にならなくて良かったと思おう。
いずれはさっき起きたことが周囲にも広まるだろうけれど、その場面を直接見たわけではないから、ルシオ卿の感じるショックは少なくて済むはず。
まあ、その分、ケイルム様の地雷の一部を踏み抜いたわけだけれど。
ケイルム様って、普段は穏やかで優しい、近所のお兄さんって感じなんだけど、生粋の王族過激派っていうか……お兄様を慕っているし、わたしに対してはちょっと過保護なところがあるんだよね。
さっきも、ケイルム様にしては抑えてくれていたから、わたしが口元を拘束して牢に連れて行くようにっていう指示を出せた。
仮にマレディウムの法律で、「領主に無礼を働いた者は切って捨てて良い」ってものがあったとしたら、彼は躊躇いなく行うタイプ。
優秀な人なんだけどね……ルシオ卿もそうだけど、わたしの周りの優秀な人って、ちょっと癖がある?
いや、それは言い過ぎか。セレナも他の侍女さんや執務官さんたちも有能だけど、精神的に安定しているし、法が許しているからといっても実力行使に移るような人たちではないはず。
それにしても、セレナが淹れてくれたミルクティーを飲みながら、足を温められていると、胸の中にあったもやもやが少しずつ消えていっている気がする。
「──そろそろ、執務室へ移る時間かしら」
「仰る通りです、殿下。ただ今支度を致しますので、もう暫しお待ちください」
「ええ、構わなくてよ。まだ少し、ミルクティーも残っているもの」
お湯で温められていた足を拭いて貰う間に、残りのミルクティーを飲んでしまおう。
この部屋から出たら、中庭で起こったことを顔に出さず、いつも通り仕事をする。わたしの気持ちは、業務に関係のないものだからね。
でも、法整備については、少し急いでも良いかな。他の予定を押してまでするつもりはないけれど、優先順位は上げて──ああ、そうだ。併せて福祉関係についても見直しをしないと。
あの女性は、夫が徴兵され、結果死亡したことを恨んでいた……その気持ち自体は、わたしがどうにかできるものでもない。死人を生き返らせるなんて、できるわけがないのだから。
でも、家族──特に大黒柱が徴兵後、戦争により帰らぬ人となったのは、あの女性だけではないはず。
領内にいる先の戦争により家族を失った人たちを、社会福祉として支えられるための制度はないか、もしくは作れないか、検討事項にしておこう。
今回は戦争による死亡についての訴えだったけれど、この先災害に襲われたり、人災に見舞われたりする可能性がないとは言えない。
十分に稼げる人は良いけれど、それが難しい人や、両親を亡くした子供たちには、きちんと支援の手を差し伸べなければならないはず。
今日は、いつも通りに会合や書類仕事をしよう。
思いついたからといって、どれもすぐにできることではない──でも、動かない理由もない。
明日以降、時間を調整して、社会福祉に関わる会議資料を作るようにしようかな。
……わたしはいつも正しいわけじゃあないけど、間違ったことをしているとも思っていない。
自分が生き残るために、領民の生活をより良いものにしていく。
たとえ、今この時も──顔も知らない誰かに、的外れの怒りを向けられているのだとしても。




