75.クリスマス
クリスマスイヴは仁とふたり、式を挙げていただく新宿の教会に行くことにした。
クリスマスをちゃんと教会で過ごすなんて初めてだ。
仁とふたりで電車に乗り、JR山手線新宿駅で降りた。
出会いの場所だ。
ホームに佇んでいると、半年と少し前の、あの場面が、ありありと浮かび上がってきた。
確か六月になったばかり……。
そう。考えてみたら、あの出会いから半年ちょっとしか経っていない。
原点はどこだろう、と記憶の襞を探る。
シートに残されたハンカチ?
確かに。
確かにそうだ。
でも。
あの場面に遭遇するには、朝帰りでもないのに土曜日の早朝、という妙ちきりんな時間に山手線に乗っていなくてはならない。
あのときは、冨島先生が作成した図面を現場に届ける途中だった。そして、その仕事は小巻主査の指示。ていうことはワイズデザインに就職していなければ、あの仕事はない。
重要なアイテムであるハンカチは、真鈴ちゃんが選んだ誕生日プレゼントだった。
あの刺繍とイニシャルが特別だったからこそ『届けなきゃ』、という気持ちになったのだ。もちろん、持ち主である仁が魅力的だったことが一番だ。でもそれだけで奇跡は起こらない。
あのとき。
気が付いたら走っていた。
何もかも、どの出来事もぜんぶ必要だった。欠けているものはないし余分なものもない。そうして辿りついた出会いの瞬間に恋に落ち、落ちてからお互いを知り、求めあい、あろうことか子を宿し、その年のうちに結婚することになった。
計画したってできないことだ。
それよりも。
恋をすることすら、自分にはできないと諦めていた。何しろ男性から向けられる好意が怖かったのだ。
それがどうだ。
性格も相性も関係なく、見た目だけの一瞬で落ちる恋。こんなのルッキズムの信奉者が聞いたら『あり得ない、不純だ』って非難されそう。
でも。
あるんだもの実際。
ひと目惚れって、本当にある。
会って十分後の人に命を預けて自転車で疾走するなんていう嘘みたいなことが、現実には起こる。あのときは何かに背中を押されていた……、ような気がする。
よく言われる価値観の一致、は未だわからない。
でも一致してなくて何か問題ある?
ないよ。
他人なんだから一致なんてするわけがないんだし、認め合えばいいだけだ。
「なに考えてるの? 早妃さん」
仁には敬語を止めるようにお願いしてある。社会的な地位や年齢が違ったって対等だもの。ついでに『これからは早妃って呼んで』て頼んだけど、彼が照れてダメだった。かわいい。
「あたしたちって、これから、喧嘩とかするのかな」
「あぁ、でもしてみたいかな、ちょっと」
「何でよ、あたしやだよ。一生仁といちゃいちゃしてたい」
手の届く位置にある彼の腕に、自分の腕を絡ませる。ぎゅっと。
「あは、何考えてるんですか? 早妃さん」
「あ、敬語禁止っ」
仁が急にニヤニヤしだした。
「あのさ、前から思ってたんだけど、早妃さんって、けっこうエッチだよね」
「なによ唐突に、しかもなんてことを! でもま、否定はできないか、実際あたしから誘ってこういうことになったんだし」
とすっかり大きくなったお腹を撫で、
「でも、もし赤ちゃんできてなかったらどうなってたのかな、あたしたち」
「続いてなかったりして」
「ありうる。何かひとつ掛け違っただけで人生は違う道に枝分かれしていくから、これからもきっと」
「大丈夫かな」
「何が」
「これからの人生、選択間違えない自信ってないや」
「平気。迷ったらあたしが一緒に考える」
「じゃあ早妃さんが間違えそうなときは、僕が一緒に考える」
「うん」
でも。
「この子には自分で考えさせようよ、なるべく」
「なんで」
「この子は、これから生まれて、初めてあたし達と出会って、この子自身の、この子だけの、奇跡の旅を始めるんだよ。そこで、いろんなことやいろんな人に出会って、あたしと仁が、たくさんの奇跡を経て今があるみたいに、この子もまた、生まれた瞬間からどこかに向かって歩き始めるんだよ。だからさ、この子の運命に、あたし達が口出ししちゃいけないんだって、思わない? アドバイスはもちろんするけどさ」
お腹を撫でていたら仁が肩に手を回してきた。
肩に感じる大きな手から全身に温かさが広がっていく。
幸せは安心。
安心は、なぜだろう、眠気を誘う。
ヤバい。カクンってなりそう。なんか出会った日みたいだ……。
「そろそろ、行きますか」
「そうだね」
教会には、新宿駅からタクシーを使った。路線バスを使う方法もあるけれど、お医者さんから言われている『適度な運動』は、たぶん仕事で足りている。
☆
夜、教会に訪れるは初めてだった。
木々に囲まれた小さな教会は、昼間見ると愛らしい。
それが今、荘厳な空気をまとっていた。信者さんたちも、今日は少しかしこまった服装をしている。
クリスマスの祭儀が始まった。
ろうそくの光のなかで歌う讃美歌と祈りのことば、そしてキリストの生誕劇。
それらがすべて、生まれてくる子への祝福のように感じられた。




