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73.書き直した生活設計

 二日後の日曜日、戸田嶋は改めて柏崎家を訪ねた。

 この日を逃すと、仁のお父さんはフランス行きの飛行機に乗ってしまう。そうなったら、しばらくは顔を見て話す機会がなくなる。



 今日は対決ではない。

 説得だ。

 いや、決意はもう固まっているから気持ちとしては報告に近い。


 会社は、玲夢によって新会社に生まれ変わるから、仁が大学に進んでも、何とか暮らしは立つ。

 奨学金は、仁が卒業したあと、ふたりで返していけばいい。

 盤石とまではいえないが、そう不確かでもない。どの道、今の世のなか何が起こるかわからないんだから、充分、地に足が付いた計画だと思う。



 手みやげに、とらやの小形羊羹(ようかん)を奮発した。

 ひと口サイズの十本入りは柏崎家用に、もうひとつの二十四本入りは、お父さんのフランスでのお仕事に使っていただけるかも、と考えた。


 あちらの人の口に合うかどうかは不明だが、マカロンを発明したフランス人が、洗練された異国のスイーツに興味がないはずがない。

 冷静に考えれば家族でもないのに厚かましい気遣いだが今日は素でいく。喜んでもらいたい、役に立ちたい、という今の気持ちに正直にいく。だからこれでよし!


     ☆


 「何やってるの羊羹なんて担いで。あなた妊婦なのよ、自覚が足りないんじゃないの」

 

 今日はまっすぐダイニングキッチンに通された。

 そこで戸田嶋は背中からリュックを降ろし、羊羹の詰め合わせを取り出してお母さんに手渡したのだが、そこでいきなり言われたのがこれだった。相変わらず、当たりがきつい。

 まあ、羊羹に合わせて大きなリックを選んだのが原因だとは思うが、厳しいことばの裏に子を叱るような温かみが……、やっぱりないな。


 お母さんは両手の上で箱を何度か弾ませると、

 「まったく」

 と言って、ポンっとテーブルに投げ置いた。


 すかさず真鈴ちゃんが、

 「ねえ、開けていい」

 と、返事も聞かずに十本入りの包装紙を解いた。そして箱を開けやいなや「うあ、かわいい!」

 重たい空気を和らげてくれるのはいつも真鈴ちゃんだ。


 続いて現れたお父さんに「これ、よろしかったらお仕事関係にでも」と差し出したら、

 「ふぅん羊羹ね。どんな顔するんだろうな。俺が食っちゃうかもしれないけど」

 と、感情を抑えた微妙な反応。

 むしろ立ち入った心遣いに『何かあるな』と直感したらしく、頭から足まで、さっとサーチされた。さすがビジネスマン、鋭い……。


 「何か話がある、ということだね」


 「はい」

 

 やっぱり仁が来るまで待ちたい。


 仁には一昨日の夜、アパートで勉強をみたあとで、ざっくり話した。

 ざっくりといっても給料なんかは今までの明細を見せたし、家賃や学費、食費なんかもシミュレーションして、アパートで子育てしながら仁が大学に通う生活をふたりで検証した。


 その結果は『切り詰めれば何とかなる』、だ。


 「ウチの当事者はどうしたね」

 真鈴ちゃんが立ち上がるのと同時に階段を駆け下りる音がして、

 「あ、ごめん」

 と仁が現れた。

 仁にとってはもうサプライズではないせいか、ちょっと余裕だ。



 戸田嶋は話を切り出した。

 「何度もお集りいただいて申しわけありません。今日は、わたしの仕事環境に大きな変化がありましたので、それを基にした新しい生活についてご理解いただいたいと思い、伺いました」


 「変化があったというのは、廃業のあと、ということだね」


 「はい。会社は今まで、社長のひとり株主だったんですが、このたび社長は廃業を撤回し、発行株数の80%を第三者に譲渡しました。新たにふたりの株主が誕生しましたが、今後は、そのうちのひとり、51%を取得した新社長によって会社が生まれ変わります」


 ここまでは暗記してきた。


 「新会社の事業分野は、成長性の高いものだけが残され、他の業務メンバーは人材育成を兼ねて当面は関係会社に出向します。わたしも他の会社に勤務することになりますが、出産休暇のあとは在宅勤務で仕事を続けるよう、新社長から指示を受けています」


 お父さんは今までになく厳しい顔をしている。現状を理解しようと頭がフル回転しているはずだ。


 「前回、退職金が割増しとか言ってたが」


 「会社が存続となりますので退職金はなくなりますが、新社長は女性の就労に理解のある人なので、それで、こういう働き方を提案してきたのだと思います。在宅でも、給料が今より下がることはありませんから、仁が大学に進学しても、赤ちゃんと三人、暮らしていくことは可能です。奨学金を返す目途もたちました」


 何なら給与明細も見せられるように、今日は持ってきている。


 お母さんが、俯いて目を左右に動かしている。やはり、何か考えている。

 そして顔を上げて言った。


 「なに言ってるのあなた、在宅勤務で子育てなんて、何それ。子供が寝てるときだけ仕事するつもり? それにあれよ、子供って泣くだけじゃないんだからね、熱出したらどうするの。どうするつもりなの、そのときは」


 「しばらくは、実家の母にヘルプにきてもらおうと思っています」


 「そんなのあなた、ずっといられるわけじゃないでしょう。それに特急で二時間半もかかるっていうのに緊急時に間に合うわけがない。うまくいくわけがない」

 お母さんはの顔に浮かんでいるのは、怒りではなく、呆れたような笑いだ。


 なので、

 「そのときは病児保育のベビーシッターというのもありますし」

 と用意してきた答えを出すと、

 「そんなのダメよ」

 一刀両断にされた。


 問答無用ともいえる却下に、場が静まり返った。

 何と返したらいいだろう。

 病児保育関連のサイトならすぐに出せるように準備してある。でも利用できるのは生後六か月以降が条件だ。母に半年間のヘルプが頼めるかどうかも、実は、まだ確認していない。突っ込みどころは満載なのだ。


 「あなた、うちの近くに引っ越してきなさい」


 一瞬何を言われたのかわからなかった。


 「だいたいね、経済的な余裕もないくせに歩いて山手線の駅に行けるようなとこで子育てしようなんて、考え自体が甘いの。どうせじきに在宅勤務になるんでしょ、この辺に引っ越してくれば熱が出たときじゃなくったってすぐに行けるし、わたしはふたり子育てしてるのよ、その辺のベビーシッターなんかよりずっと優秀なの。バカにしないで」


 これは予想外の申し出だった。

 『すぐに行ける……』

 それは、仁のお母さんがいざというときはヘルプに入ってくれる……、多分、じゃなくてそういうことだ。


 ただ、そう言われても不安はある。

 自分の親と違ってわがままはいえないし、でも背に腹は代えられないし……、てそんな風に考えるのって失礼かもだけど。


 お父さんが穏やかな口調でお母さんのあとを引き取った。


 「うん、戸田嶋さん、それがいいよ。子育てをひとりで抱え込んで、いいことは何もない。それにこの辺はベッドタウンっていうほど遠くない。ただ仁はあれだぞ、この辺から通学できるところで選ばないとだめだぞ」


 大丈夫、スポーツトレーナーになるために学べる大学は通学圏内にけっこうある。


 「異存はないよね、戸田嶋さん」

 反射的に、というかお父さんの圧に負けて、気付いたら頷いていた。


 「よし! そうと決まったら同級生に不動産屋やってるヤツがいるから聞いてみるよ。できればここから十分以内、いや十分は無理かな、いやでも自転車なら……。まあとにかく近くで、子育てがしやすい環境で低家賃。この優先順位でいいよね」


 「はい」

 あれほど苦心した生活プランは、勝手に新しい流れに乗り、思いがけない岸辺に流れ着いた。もしかしたらこれベストプラクティス……、かもしれない。

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