72.緊急ミーティング
小巻主査は第一声、
「御子柴社長は、ワイズデザイン株式会社の廃業を、中止することを決定されました」
と宣言した。
廃業を、中止。
確かにそう聞こえたのだが、場はしんと静まりかえったまま。
人間、本当に驚くと声は出ない。
「昨日みんなに聞いた限りでは転職先が決まっている人はいませんでしたので、正直、ほっとしてます。ていうのも変ですが」
青木がバーに誘われたのはそういうことか。最近、クライアントの受けがいいせいか、ヘッドハンティングの話があったとかなかったとか……。
「でも、今のまま業務を続けても赤字から抜け出せる保証はありません。設立目的の、ブランド立ち上げの方は、特に。そこで、定款の変更を行い、今のメンバーが得意分野を生かせる会社にします。これはもう、川浪先生にお願いして準備を進めています」
小巻主査は、ここで質問を待った。
まだ、誰も何も言わない。
「現在、みんなも知っての通りワイズデザインの社長は御子柴社長が兼務されています。このたび社長は、株式の80%を第三者に譲渡し、経営から退かれます。そして、発行株数の51%を引き継ぐのは、梨田玲夢」
はぁ?
「はい」
と隣で玲夢が立ち上がり、小巻主査の隣に移動した。
「梨田さんには、社長に就任していただきます」
え、えええええええ!
みんなの衝撃をよそに、玲夢は涼しい顔で前を向いたままだった。
ここからは御子柴社長が説明を引き継いだ。
「譲渡代金は、将来の利益から払っていただきます。
まあ、幸か不幸か赤字続きなんでね、大した評価額にはならないんですが、不当な贈与と見なされない程度の金額は付けさしてもらいました。
わたしは20%株主として残りますが、今、小巻が言った通りで、今後は経営にはタッチしませんから、わたしにとってこの譲渡は、廃業と同じです。まあ便宜上、こういう形に変更さしてもらいました」
あとの株主は? と訊こうと思ったら先に説明が入った。
「残りは、新社長の考えもあって、アイテックさんに引き受けていただくことになりました。当社をよく知る、中杉専務が社外取締役に就任されます」
親方が、え? うちの取締役……。
「ついては、今後の経営方針について梨田さん、よろしく」
「ちょっと待って。玲夢、いつから知ってたの」
「ごめんヘタ子、これ絶対にシークレットだからって」
「戸田嶋、赦してあげて。アイテックさんの動きもあって秘密保持契約結んでたの」
秘密保持契約だぁ?
いつからだ。まぁいい、いずれじっくり訊いてやる。
新社長となる玲夢がぼそっと言った。
「ええっと、今後の業務の前に、あのぉ、今日のところは人の配置だけ」
そして、手元のメモを目で追っている。
まったく玲夢のやつ、慣れていないのはわかるけど、こういうときはちゃんと前見ないと。
戸田嶋は、周囲が注目するなか冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出すと、ぽんと玲夢の前に置き、
「シャンとしなって、何でもいいけど」
と囁いた。
「サンキュ」
玲夢はキャップを取り、喉を鳴らして一気に三分の一ほども飲んだ。
そして、
「じゃあまず飛島さん。飛島さんはアイテックに出向していただきます。
建築をやりたいって仰ってましたよね。飛島さんは芸術学部の建築課を履修されていますから一級建築士のための実務経験は二年で足りるはずです。なので、出向期間は最低二年とします。資格が取れたら戻ってもらって、展示空間や立体造形の設計に業務を広げる予定です」
玲夢の声に生気が戻っていた。
「でもいいのか、俺、二年も会社空けて」
「うちでお金んならない仕事されるより、アイテックさんに給料出してもらった方がラクなんで」
うわっは、
こりゃ、厳しい社長さんだ。
「出向ってなんすか?」
青木だ。
この質問には玲夢が答えた。
「ウチに在籍したまま、一定期間、ウチと合意した別の会社に行って働くの。その間の給料は、相手先が負担する仕組み。それが出向」
青木は、社会の仕組みのことになると、意外なくらいに無知だ。
「じゃあ、僕も出向ですか?」
「うぅん、青木はウチで、システムとか、ネット関係の仕事をやって欲しいの。ゲーム作成でもいいしセキュリティー関係の、特にハッカー対策とかは君、得意でしょ。あとWebページの作成なんかもやっていいし。
大丈夫、仕事はあたしがじゃんじゃん取ってくるから。
あと、これは相談だけど。君の仲間に、IT系の能力があって仕事にあぶれてる人知らない? ほら、前科持ちとか何とかって、そっち方面でもいいから」
「いますいます、僕なんかよりよっぽど詳しいのにフリーターやってんのがざくざく」
「じゃああとで相談ね。とにかく、もうひとりかふたり、採るから。でもそれまでは君がこの会社の成長エンジンだから、よろしくね」
「はい……」
青木は『信じられない』といった表情だ。
「あとヘタ子。ヘタ子は、しばらく御子柴ワイズに出向してくれる。
御子柴ワイズは、ファッション関係のマーチャンダイジングを強化する方針なのね。で、新しくチームを作るっていう話になってたんで、そこにヘタ子を推薦したら是非にって。
ヘタ子は専門学校でビジネスを学んでるし英語も大丈夫でしょ。海外でブランドを立ち上げる話も同時進行してるから適任だと思う。で、出産休暇のあとは、当分のあいだ在宅でリモートワーク。いい?」
「それって……、給料出るの?」
「当ったり前でしょ」、と玲夢が笑った。
仕事ができて、今までと同じように給料がもらえる。
当たり前なことが信じられないくらい嬉しい。しかも在宅だ。子育てにはこんなありがたいことはない。
三人の配置が次期社長から発表され、残るは小巻主査だ。
これは、小巻主査が自分で言った。
「わたしは退職します。
退職して、御子柴ワイズに再就職します。財務の責任者として」
まあ、こういう流れなら当然か、と思っていたら、飛島先輩が別の質問を投げた。
「あのさ、梨田が社長ってのは、どういう経緯で」
「そんなの、仕事見てればわかるでしょ。なんたって度胸と行動力、あと、人心掌握? 梨田の営業っぷりはほんと、舌を巻く。ああいうの、わたしには真似できないし、社長には必要な資質なんだけど、それが梨田にはある。ちなみに御子柴社長も同じ意見よ。
若いけどやってくれると思うし、法的な部分は、川浪先生に顧問弁護士をお願いすることにしたから。
数字については勉強してもらわなくちゃだけど、当分はわたしがサポートする」
ここ一番の度胸と行動力と、人心掌握の能力。
確かに。
履歴書には書けなくても、玲夢は爆龍エンジェルの元八代目総長、黒百合だ。その看板は今だって伊達じゃない、と戸田嶋は思っている。
青木が手を挙げた。
「何?」
「あの、何で今日なんですか。何で今日まで教えてくれなかったんですか」
これも、皆が思っていたことだろう。
「それはね、昨日が、コンペの結果発表の日だったから。もし勝ってたら計画は違うものになってたと思う。
あのね、途中から企画作りに加わってもらったでしょう、アイテックさん。最近になって急に言い出したのよ。グルーヴのビジネスを獲得できたら、ワイズデザインごと買いたいって」
青木が、重ねて訊いた。
「それ、もしそうなってたら、親会社が御子柴ワイズからアイテックに代わったってことですか」
「うぅ~ん、それで今まで通りやっていけるなら、それでもいいと思うんだけど……。アイテックさんの思惑を考えると、たぶん、みんなにとってハッピーな形にはならなかったんじゃないかな」
以前、考えていたあの計画。
コンペを勝ち抜いたあとで廃業を明かしたら、きっと、どこか別の会社がうちの企画を引き継ぐことになる。そうしたらその会社に、いい条件で転籍させてもらう……。
今考えると、恐ろしく脳天気で幼稚な目論みだった。
「だから正直いうと、最終選考には落ちて良かったなって思ってる。ごめんなさい」
小巻主査が深々と頭を下げた。
悪いのはあたしだ。
会社の方針に逆らうようにみんなを誘導した。
もしコンペに勝っていたらどうなっていただろう。
そうでなくても、アイテックによる買収計画は御子柴社長にとって渡りに船だったはずだ。
でも社長は受けなかった。
説得してくれたのは、おそらく小巻主査。そして黒百合の玲夢が覚悟を見せた……。
戸田嶋は自分の思慮の浅さを恥じた。




