67.地に足の着いた計画
「戸田嶋さんね、日本では、子供を認知すれば扶養義務が生じる。だから仁が『働く』と言ったのは正しい。我が子ながらよく決意したと誇りに思います。
それに、未来がどうとかあなたは言うが、その未来の選択肢を狭めたのは君たち自身の軽率さでしょう」
お母さんの手が膝の上で震えている……。
「仁が就職して生活を支え、あなたはしばらく子育てに専念する。その先、あなたが職に就くかどうかは知らないが、当面はそうやって子供と三人、家族として暮らしていく。それが、地に足の着いた生活じゃないかね。
そういう地道な生活を送る覚悟があるなら、わたしは結婚を認めてもいい。
真鈴はどう思う?」
厳しいことばとは裏腹に、お父さんの声音は優しい。
「わたしは堕ろせとか別れろとか以外だったら何でもいい。
就職するのだってお兄ちゃんがいやいやそうするんだったらイヤだけど、そうじゃない。
バカみたいにやる気満々なの、顔見ればわかるし」
「見透かされてるぞ仁、おまえの妹は読心術があるらしいな。……で、おまえ自身はどうなんだ」
仁が答える前にお母さんが口を開いた。
「ほんとに、仁の子なのね」
「はい。誓って、仁さんの子です」
お母さんは、険しい表情のまま言った。
「だったら、勝手に堕ろせとか、このあいだ言いましたけど、それは、取り消します。それだけは」
それだけ……。
たとえ赦されたのがそれだけであっても、これは嬉しい。
心に刺さっていた棘が、ひとつ、抜けた。
「よし、これで、お腹の赤ちゃんも安心して生まれてくることができる。
わたしもね、子供はウチで引き取るなんて勢いで言ってしまったが、本当に引き取るとなったらウチの負担も大きいし、やはり、子供は両親が育てるのが自然だよ」
お母さんから反論はない。
だが無言はむしろ、憤懣やるかたない本心を雄弁に物語っている。
息子の将来の可能性が、今、大きく狭められようとしているのだ。唇を噛んで当然だ。その無念な気持ちは、戸田嶋にも想像できる。でも……。
「待ってください。大学のことをお願いしたことは、確かに図々しかったと反省しています。申しわけありませんでした。
でもやっぱり、わたしなりにもう一度、何か方法がないか考えてみますので、受験だけはなんとか、させていただけませんか」
「ん? 就活しながら受験勉強もしろ、ということかね」
「受験の方は、わたしが家庭教師をやります」
すかさずお母さんが噛みついた。
「家庭教師って、あなた専門学校しか出てないんでしょ、大学受験の家庭教師なんてできるわけないじゃない」
「確かに、最終学歴は専門学校ですが、元々国立に進める学力はありましたから、教えることはできます。それに今までも勉強は見ていたんです。僅かな期間ですが、力は付いたはずです」
お母さんが何か考えていた。
きっと成績のことだ。
偏差値までは聞いてないが、一斉テストの順位が一気に三十番以上あがった、と仁から聞いている。
「なるほど、女の矜持か、おもしろい。でも戸田嶋さん、いつまでも受験に拘らっていると就職に差し障るから、受験より先に就職が決まったら、それまでだよ」
「はい、ありがとうございます」
「それに仁。おまえ就活と受験。片っぽでも大変なのに両方やってるやつ俺は知らないけど、できんのか?」
アルバイトはもう辞めている。
両立自体は不可能ではない。どちらかというと気持ちが問題だ。
「がんばります」
仁の明るい表情が救いだった。
真鈴ちゃんじゃないけれど、仁に尻尾があったら今きっと、ぶんぶん振っている。想像しただけで目に見えるようだ。
このあと、家庭教師の具体的な話をした。
話し合いは、指導計画はもとより、戸田嶋の雇用条件にまで及んだ。
指導日は火曜と木曜、あと土曜の夜の週三回が基本で、必要に応じて加えることにした。
指導料は辞退したのだが、お父さんから「収入を断る余裕があるのかね?」と言われ、ありがたく時給五千円とさせていただいた。
さらに、合格一校ごとに、二十万円のボーナスがいただけることになった。破格だと思う。
お母さんは、そのやり取りを黙って聞いていた。
仁には、やっぱり大学に行って欲しい。




