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66.土下座してでも

 二度目の訪問は手みやげなしにした。

 突き返されて傷つくくらいなら非常識と罵られた方がまし……、ていうかどっちも嫌だけど。



 インタホンを押してしばらくしたら、お母さんの声が返ってきた。


 〈もう来ないでって言ったはずだけど〉

 いきなりの先制パンチ。

 声に表情がないのが却って怖い。もはや怒る価値もない、ということか。


 「今日はお父様にお話があってまいりました。お約束はいただいています」


 長い間があった。

 このまま無視されるのかと心配になってきたところでドアがカチっと鳴った。


 隙間から顔を出したのは真鈴ちゃんだった。

 「こんにちは」

 言うが早いか、サンダルを突っかけた真鈴ちゃんが、からくり人形みたいに門柱まで駆け寄ってきた。

 

 「こんにちは、お父さんはご在宅?」


 「はい居ます。けど母も居ますから……、場所変えます? そうするんなら父に伝えますけど」


 「ありがと、でもいいの。逃げたってしょうがないし、お母さんともいずれ話さなくちゃいけないから」


 真鈴ちゃんはきゅっと唇を結んで少し考えたあと、

 「わかりました。じゃ、どうぞ」

 家に招き入れてくれた。


     ☆


 通されたのはリビングだった。


 このあいだ罵倒されたのはダイニングキッチンの方だ。この、リビングのソファーに座っていた時点では、お母さんともまだ和やかに会話ができていた。

 その記憶も今日、塗りつぶされるのか……。




 「いらっしゃい」


 部屋着のお父さんが部屋に入ってきた。今日は熱帯のジャングルを思わせる大胆な柄のサマーニットを召されている。ほんと、お洒落な方だな。なんか芸能人みたいだ。

 それに、休みの日でもふんわりと香りを(まと)っていて、それが熱帯植物の柄とマッチしている。仁に『男も自分のアイコンになるフレグランスを身につけるべきだ』と言ったくらいだもの、まあ当然か。

 でも、実家とはあまりに違うこの生活環境には、今さらながら、やっぱりちょっと気圧(けお)される。


 「どうぞ、掛けてください」


 「失礼します」

 とお父さんの正面に座った。

 

 「今日は、今後の生活についてだね」


 「はい」


 「みんな呼んでいいかな」

 みんなには仁も入るのだろうか、と考えたところで否も応もないので「はい」と答えると、傍らにいた真鈴ちゃんがみんなの元に集合を伝えに行った。



 先に現れた仁が、当然のように隣に座った。


 久しぶりに顔を見て、心の芯がぽっと温まった。

 お父さんの言いつけを守ってあれから会ってないし、電話もしていない。その飢餓状態で隣同士。

 抱きついてキスしたい……。

 でも無理だし。

 ならちょっと触ろうかな、と指を伸ばしたところでお母さんが現れて斜め向かいに座った。

 爆風のような圧がきて、甘い衝動は吹っ飛んだ。



 真鈴ちゃんがスツールを持ってきてテーブルの横に落ち着き、これで全員集合だ。


 「さて、今さら世間話でもないから、さっそくですが戸田嶋さん、出産後の生活設計を聞かせていただきましょうか」


 お母さんが眉間の皺を深くした。


 戸田嶋は、

 「実は、生活環境に変化がありまして、まずそのことからお話しします」

 と一番言いにくいことから切り出した。


 「今勤めている会社が年内で廃業することになりました」


 ここで仁が「え」と声を出した。

 構わずに続ける。


 「わたしは、少しのあいだ無職になるかもしれません。会社が廃業を決めた理由は、本業での業績改題が見込めないことを、社長が憂慮したからです」


 赤字のことは伏せた。 


 「それで、いわゆる倒産となる前に精算するということにしたそうです。退職金も割増しで出していただけるそうですが、生活の基盤が不安定になるのは避けられません……」

 戸田嶋はここでことばを区切って息をひとつ吐いた。そして背を伸ばし、 


 「つきましては、仁さんを、この家から大学に通わせていただけないでしょうか」

 と頭を下げた。


 「それは、仁との関係を解消する、ということですか」


 「いえ! 子育てをしながら生活の環境を整えて、そのうえで結婚をお許しいただきたいと思っています」

 すかさず、お母さんが口を挟んだ。


 「そんな虫のいいこと、話にならないでしょ。

 主人から聞いたわ。あなた一緒に住んで子育てもして、お金も稼いで、奨学金まで自分で返すって言ったんでしょ。あれは嘘?」


 「ちょっと黙ってなさい」

 てお父さんは止めたけど、お母さんは黙らなかった。


 「だいたい勝手に話を進めてますけど、お腹の子の父親がほんとに仁だって、証拠はあるの?」


 「証拠はありませんが、前にも申し上げたとおり、間違いありません」


 「前にも言ったって。失礼な女ね」


 仁が口を開いた。

 「僕、やっぱり卒業したら働くよ。そうしたら何の問題もないんじゃない」


 「ダメだって仁、あなたの未来を犠牲にするわけにいかない。あたしは子育てして卒業まで待つから。だからちゃんと大学に行って、希望する仕事に就いて」



 戸田嶋は、自分が大学に進学できなかったことを悔やんでいるわけではなかった。

 何となれば外れくじのように思えた専門学校で玲夢に出会い、人使いに関してはブラックに近いワイズデザインの仕事がきっかけで仁に出会えた。だから外れくじなんかじゃない。結果オーライの大当たりだ。

 でもあきらめて、不本意に掴む外れくじは違う、と戸田嶋は考える。そこに明るい未来なんてない、と。


 少しの沈黙のあと、お父さんが静かに話し始めた。


 「わたしはね戸田嶋さん、あなたが嘘を言っているとは思わない。お腹の子の父親は息子だと信じています。でも、今の話はおかしい。大学のことだけうちに頼るというのは(すじ)が通らないし、妻の言う通り、虫がいい。だいたい自分の生活もおぼつかない人に子育てなんで無理でしょう。ならば、生まれた子はうちで引き取り、あなたは生活を立て直す。この前、そう言い渡したはずですよ」


 仁も赤ちゃんも手放すなんて。

 二重に引き裂かれるなんて、そんなの、受け入れられない。

 

 出産と、出産後の二ヶ月は預金と退職金でやっていける。それに会社都合の離職なら雇用保険もすぐにもらえる。働いて暮らす母子家庭なんていくらでもいるんだし……。


 よし、土下座しよう!

 ほんの少し腰を浮かせた、まさにその瞬間、お父さんが言葉を継いだ。

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