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64.生殺し

 御子柴社長が重大発表を行った翌日には、飛島先輩と青木は、有給休暇の消化を計画し始めた。僅かながら残っている仕事を協力して片付けつつ、休みが重ならないようにうまいこと調整している。

 あのふたり、こんなに仲良くなったのに……、もったいない。


 逆に、玲夢は忙しくなった。仕掛かり中の仕事のクロージングが大変なのだろう。最近は小巻主査とふたりして直行直帰の繰り返し、もはや完全に営業職だ。

 出先が御子柴ワイズになっている日も多い。廃業と何か関係があるのかもしれない。土日も出勤する勢いだ。


 ……ということで、戸田嶋が玲夢と顔を合わせる機会はずいぶんと減ってしまった。


 本当は会って話したい。

 柏崎家とのあいだにあったことやお父さんとの約束のこと。なのに電話しても留守電だし、ラインは既読が付いてもレスは遅い。



 そんな玲夢から、ある夜、珍しく電話が掛かってきた。麦茶に牛乳を入れた偽コーヒーを飲んで気を紛らわしていたときだ。


 〈体調はどうよ〉


 「うん、とうとう炊き立てのご飯がだめになった」


 〈つわり?〉


 「そう。でもシャルムの海老ピラフは大丈夫なんだよね。今はあれ食べるために会社行ってるようなもん」


 〈ピラフだってご飯じゃん〉


 「あそこのは違うのよ、バターのせいかな。海老かもだけど、妊婦の身体って神秘ねー」


 ご無沙汰を少し(なじ)ってやろうと思っていたのに、玲夢の声を聞いたら、なんか、どうでもよくなった。

 溝が心地よく埋まっていく。


 〈バターでも海老でもいいんだけどさ、あっちの話はどうなったの。行ったんでしょ、仁君の家〉


 「行ったよぉ~」


 〈何よその言い方〉


 「玉砕した」


 戸田嶋はすべて話した。

 お母さんに思い切り(なじ)られたこと。

 弁護士を立てて訴えるとまで言われたこと。

 後日、お父さんにも会って、理解はしてくれたものの厳しい条件が付いたこと。


 あと、勢い余ってプロポーズ同然のお願いをしたことまで話したら、玲夢は一瞬ののち、けたたましく笑い始めた。


 〈ほんとに言ったのそれ。息子さんをわたしに下さいって? 聞いたことないんだけど、前代未聞だよ、それ〉


 「そんな、四文字熟語まで出して大層な、あ、大概だっけ」


 〈それを言うなら大袈裟な、でしょ〉


 「だって。ほんとに欲しいって思ったんだもん。でもちょっと大っきな声出しちゃってさ」


 〈お父さんは何て〉


 「えっと、とりあえず座りましょうって」


 そう言ったらまた笑われた。

 

 「何がおかしいのよ」

 

 〈ごめん。てことはヘタ子、それ、立ち上がって言ったんだ。見たかったなぁ〉


 「そのあとは婿入りの話にまで発展しちゃって」


 〈へ~、じゃあ良かったじゃん〉


 「良くないよ、今後の計画が口先に終わったら結婚どころか赤ちゃんだって取られちゃうんだよ」


 口に出したら、追い詰められている現実を思い出して泣きたくなる。




 〈ヘタ子ってほんと、ディールが下手だね〉


 「何よディールって、トランプみたいなこと言い出さないでよ」


 〈んなのカッコつけないで将来の約束だけして、仁君が大学卒業するまで向こうの家を頼っちゃえばよかったのよ。向こうだって孫がかわいくないわけないんだから、そのうち必ず折れるんだよ。わたし言ったよね、大風呂敷広げちゃダメだって〉


 「そんなこと今さら言われたって。知ってるでしょ、あたし追い込まれると『うん』て言っちゃう性格なんだって」


 〈いや違う、そんなしおらしい性格じゃないね、ヘタ子は。追い込まれると自信もないくせに正々堂々受けて立つんだよ、清く正しく美しくってタカラヅカも衣装放り出して逃げ出すくらいにさ〉


 「だってしょうがないじゃん」

 とむくれたところで、玲夢が話を変えた。


 〈そっち連絡行った?〉


 「何」


 〈コンペ、一次審査通ったって〉


 「へ」


  言っている意味が一瞬わからなかった。


 「早すぎない? だってこないだ応募したばっかだよ」


 「群を抜いてたんじゃないの? ヘタ子の企画。通過したの三社だけだって」


 「まじで?」


 予定では五社が残るはずだった。



 ……もしかして、闇の向こうに光が現れた?


 まだ点のような光だけど。

 でも、もしコンペを勝ち抜いてグルーヴさんの事業に参加できれば……。

 御子柴社長に本業回帰を約束したうえでちゃんと利益も出るとなれば、方針は変わるんじゃないか。

 

 

 実をいえば、戸田嶋はついさっき決心したばかりだった。

 仁のお父さんに現実を話そう、と。

 『わたしの力では仁を大学に行かせられなくなりました。だから、仁の進学の希望を叶えてあげてください』

 そうお願いするつもりだった。

 とにかく、どうあっても、仁の人生を犠牲にするわけにはいかない。そのためには、一緒に暮らすのを少し先まで我慢するしかない、と覚悟したばかりだったのだ。


 でも、赤ちゃんは自分で育てたい。だからそっちはもう土下座でも裸踊りでも何でもしてお願いしようと思っていたのが……。

 こんなにあっさり一次審査を通ったんなら。

 何かが変わるかもしれない。


 〈ヘタ子、大丈夫?〉


 「うん、大丈夫じゃない」


 もう駄目だと諦めて白旗を揚げようすると光が見える。でも、この光だって何とも頼りない。ふっと消えてしまいそうだ。

 戸田嶋の脳裏には『生殺し』ということばが浮かんでいた。

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