第十話 眠り姫 1
よく晴れた冬の空に、薄っすらと裏月が浮かんでいた。
大陸西部の冬季は湿度が高く、裏月の軌道もあって、雲で隠れていない昼の月は珍しい。
枯れ枝の間から覗く月を見ながら、アルカは楓の森へ向かって歩いていた。
石畳を踏む足音は一つしか響いていないが、学院の散歩道に人影は二つあった。
濃紺のローブを身に纏うアルカに少し遅れて、ぶかぶかの外套を着たカヤが続いている。
アルカは月を眺めたまま、後ろの彼女に話しかけた。
「前に、カヤの知る未来で、ニーナが修道女を殺したって言ってただろ。
今になって思うけど、あの時、予想して然るべきだったんだよな。
ああいう理由でもなけりゃ、ニーナが殺すわけないんだから」
「あらかじめ分かっていれば、深入りせずに済んだかもしれませんね」
「それは違う」
苦く答えたアルカは、頭を振って続けた。
「あいつの想いを誰も知らないなんて、悲しいじゃねーか」
自分が死ぬか、みんなが死ぬか。
そんな選択に正解なんてものは無いし、簡単に選べるものでもない。
たった一年という時間で、あんな決断をさせるほどのものを、彼女に与えられたはずもないだろう。
それでもフレデリカは、みんなを生かす事を選んだのだ。
吹聴する気は無いが、せめて自分くらいは覚えておきたいとアルカは思っていた。
「このまま鏡を見てもいいんですか? もしかしたら、彼女を救えるかもしれませんよ」
「どーかな。
マルグリットが必死に探しても駄目だったのに、自分なら上手くやれるだなんて言えねーよ。
それに」
懐から短筒を抜いたアルカが、振り返ってカヤに突きつける。
銃口を向けられた彼女は、微動だにせずに見返した。
撃つ気が無いのは、引き金に指がかかっていない事からも分かる。
それに、短筒を持つアルカの手は激しく震えていて、とても撃てそうには見えなかった。
ついには持っていられなくなったようで、もう片方の手を支えに懐にしまい込んだ。
「次は殺せそうもない」
もし、後少しで助けられたのだとしたら、彼も迷ったかもしれない。
だが、実際には手がかりどころか、糸口すら見つけられなかったのだ。
解決するまでに、何度殺す事になるか分からない。
その犠牲が、いつかどこかで別の君を助けるためだなんて、その場で殺すフレデリカに言えるはずもないだろう。
他の彼女が助かったところで、アルカの自己満足にはなっても、死にゆくフレデリカには何の意味も無いのだから。
鏡の祠は、暖かい日差しの下、穏やかに佇んでいた。
借りてきた鍵で中に入り、古い銅鏡を覗き込む。
鏡面に映るアルカは、冴えない顔で自分を見返していた。
祠を後にした二人が、同じ道を辿って戻っていく。
冬休み中なのもあって、この辺りは普段よりも静かだ。
風に揺らされた枝の、かさかさという音ぐらいしか聞こえてこなかった。
「詳しく聞いてなかったけど、カヤはどうやって未来から来たんだ? ああ、えっと方法というか、俺とは違うんだよな」
「魔法ですよ。
父の研究を元に、ヒルダさんが開発した道具を使っていますので、正確には魔導技術でしょうか。
あの鏡を目印に、体ごと未来からやってきています」
「やっぱり、あの鏡には何かあるのか」
「どうなんでしょう。
別の時間からでも観測可能な、特徴的な信号を発しているそうですけど。
初代学院長が何を考えて作ったのかは、ヒルダさんにも分からなかったみたいですね」
鏡を覗く儀式も、意図的なものだったのかは定かではない。
偶然こうなったのだとしたら、調べても何も出てこないだろう。
「かなり危険なんだよな?」
「ええまあ」
かつて、アルカの死のきっかけを作った別の彼女は、どことも知れない場所へ飛ばされている。
目の前にいる、ぶかぶかの格好をした隙だらけの少女は、それだけの覚悟を持って過去に来ているのだ。
「お父さんのやろうとした事を、確かめに来たって言ってたけど。
そこまでして見届けなきゃいけないのか?」
「いけなくはないでしょうね。
無意味だと言う人がいても、当然だと思います」
彼女の知る未来で、竜は確かにカール達によって倒された。
だが、それまでの被害が消えてなくなったわけではない。
大勢の人が死に、破壊され尽くした瓦礫の山が広がる。
復興にかかる費用も時間も果てしなく、生き残った人々が、喜びよりも無力感を抱くほどだったそうだ。
カールを主役にした英雄譚がもてやはされたのも、暗い世相で人々が縋る対象を求めたからだった。
カヤの父は平行世界を観測する方法を知り、慰めのためだけに、ある事を調べたらしい。
竜によって、自分の妻が殺されずに済む可能性を。
あくまで可能性であり、それを知ったところで、現実が何か変わるわけではない。
死んでしまった妻が生き返ったりはしないし、どうやっても過去は取り返しがつかない。
それでも、どこかの世界で妻が幸せにしているのなら、慰めにはなると。
しかし、待っていたのは絶望だけだった。
「無かったんです、そんな可能性。
観測出来る、あらゆる世界で竜は帝国と周辺諸国を滅ぼし、母も殺されていました」
「ちょっと待った」
静かに語るカヤの迫力に気圧されながらも、アルカには聞き流せない事があった。
「竜を倒せば終わると言ったのはカヤだろ。
なのに、そんな可能性あり得ないって?」
「矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、この結末を覆す為に、父は過去に戻って何かを変えたんです。
自分が消滅する事も承知の上で。
私は、父の願いが叶うかどうかを確かめに、ここへ来ました」
「よっぽど奥さんを愛してたんだな」
「どうなんでしょうね。
無口な人でしたから」
カヤが確かめたかったのは、そちらの方なのかもしれない。
社会的立場や、自分の存在に、娘まで捨てて、ひたすら父親が追い求めたものは何なのか。
それが母の幸せであれば、娘としては納得出来る部分もあるのだろう。
「誤解してないか確かめたいんだけど、それってカヤの居た未来が何か変わるわけじゃないんだよな?」
「ええ、ただの自己満足です。
研究者なんてそんなものですよ。
ただ、父が全てを賭けた事ですから、その結果ぐらい見届けたくて」
「なんとも業の深い話だな。
つまり俺の知り合いの誰かが、そうなっちまうんだろ? ちょっと想像つかねーわ」
懐中時計に似た物を出して見たカヤが、少し首を傾げながら答えた。
「流石に、父の名前を出すのはまずそうですね。
ま、帰る前にはお教えしますから、もし気になるようでしたらそれまでお待ち下さい」
「楽しみにしとく」




