第十話 眠り姫 2
フレデリカは記憶が戻って、元居たところに帰った。
理事長から事務へは、そのように通達が出ているので、冬休み明けにはそれが事実になるだろう。
彼女の遺体は秘密裏に回収され、街の教会に寄付金を弾んで、内密に埋葬して貰った。
内密と言っても、警邏と市長には話を通してある。
ジャガーノートの擬態だと話しているので、教会関係者も口を噤んでくれた。
教会の管理する墓地は、街の郊外の寂しい場所にあった。
そこに眠る人の名前や生年月日、没日と故人を偲ばせるような一言。
墓石の形を、生前に好きだった物にするなど、個性的な墓も散見される。
そんな中、名前も無い真新しい墓は、ひどく素っ気ない物に見えた。
誰かが掃除をしていったのか、磨かれた墓石はまだ湿っている。
記されない墓碑銘を眺めながら、アルカは黙って立ち続けていた。
「来てたんだ」
そんな彼のところに、箒を手にした修道女カリーナが近づいてきた。
バケツなどは見当たらない事から、墓石を掃除したのは彼女ではないようだ。
そもそも、管理者として墓地全体の掃除はしても、個々の墓石にまで手を入れたりはしないだろう。
彼女は、フレデリカとは知り合いですらないのだから。
「何度か来てるみたいだけど、ちゃんと話せてる?」
「死人は喋ったりしないだろ」
「分かってないわね」
腰に手を当てて、やれやれとカリーナが首を振る。
墓地に佇む黒い服の女には、未亡人めいた色気があるものだが。
彼女の場合、肉感的な体と蠱惑的な表情により、場の空気を自分の色で塗り潰していた。
「お墓ってのは、故人の為じゃなくて、生きてる人の為にある物よ。
死んでからも大事にするとか、そういう事じゃなくてね。
胸の中にある故人と話すきっかけにして、その死を受け入れる為にあるの」
「俺が、あいつの死を受け入れられてないって?」
「そりゃそうでしょ。
気持ちの整理がついてる人は、命日ぐらいしか墓参りに来ないわよ」
「ごもっともで」
痛いところを突かれて、アルカは苦笑した。
死んだというのは分かっているし、それを認められないわけじゃない。
なにせ彼自身が殺したのだから。
問題は、フレデリカが、ああいう形で死ぬしかなかった事にある。
とてもではないが、アルカには認められなかった。
罪には罰があるとしても、ただ生きているだけで罰せられるほど、彼女は罪深くは無かったはずだ。
ツコ・ガバーニに復讐心するだのといった、能動的な意欲は湧いてこない。
心の芯が冷えてしまったらしく、何をするにも心が動かないのだ。
「霊媒師とかに頼みでもしないと、俺は話せそうにはないな」
「ああいうの胡散臭くない?」
「そうだけど、お前の商売道具だろ、尼さん」
「死んだ後の事なんて、死んでみなけりゃ分からないわよ。
主が本当にいるかどうかを論じるのと同じくらい、馬鹿げてるわね。
あくまで信仰の問題であって、信じるか信じないかというだけでしょ」
さばさばとした口調ながら、カリーナは意外に信仰心が篤そうなのが伺えた。
死霊術師と呼ばれる者達もいるのだが、彼らの存在が、霊魂の実在を示す証拠にはならない。
死体をゴーレムのように操れるだけで、死んだ人間と話せるわけではないのだ。
霊媒師は口寄せといって、使者の霊を呼び出し、自分に乗り移らせて会話するものの。
彼らは、どうとでも取れる曖昧な内容しか話さない。
つまり、死んだらどうなるかについては、誰にも証明出来ないのだ。
もしかしたらアルカのように、死んだ人間は過去に戻ってやり直しているかもしれない。
記憶を失くしているから分からないだけだとしたら、否定する証拠など無いのだから。
「故人と語り合う、か」
「やり方は人それぞれじゃないかな。
礼拝堂で、故人を奪った主を口汚く罵ってる人もいたし」
「まあ、八つ当たりしたくなる気持ちは分かる」
「泣いたり喚いたり、なんだっていいのよ。
亡くなったという事実を、受け入れる為の過程なんだから。
教会というか、宗教の役割ってそういうものでしょ」
どんなに辛い事や悲しい事でも、時間が経てば記憶も薄れ、痛みも和らいでしまう。
それを自分が薄情だからではないという理由に出来るのが、宗教の良いところだと彼女は言った。
「で、どう? もしどうしても故人と話せそうにないなら、私が話を聞いてあげてもいいけど」
「いや、大丈夫だ。
ありがとな。
そのうち帰るから、しばらく放っておいてくれ」
多少は気が晴れたらしいアルカを見て、カリーナは頷いて去っていった。
しばらくは箒で掃く音が聞こえていたものの、気がつくとそれも無くなっていた。
これまでは墓の前に来ても、ただ立っていただけだが。
その日、アルカは気が済むまで、故人を悼み続けた。
泣き叫んだり、喚き散らすような事は無く、静かにフレデリカの想い出を振り返る。
彼女の死を、受け入れられたのかは分からない。
それでも日が暮れる頃には、いつまでもこうしていられないと、アルカは顔を上げる事が出来ていた。




