8-5 王位
クリスが過労で倒れたという知らせは、瞬く間に王都全体へ広がった。そしてその知らせは、平民たちの間に思いもよらぬ熱狂を生み出した。
「いつまで国王不在のままなんだ?」
「この五年間、私心を捨てて命を削って国を守ってくれたのは、誰だと思ってるんだ!」
「クリス様だ! クリス様こそ、我が王国の新たな国王に即位されるべきだ!」
民衆の熱狂的な待望論は、あっという間に王都全体を包み込んだ。
クリス自身は、心の底から王位に就くつもりなど毛頭なかった。そんな地位など求めてもいなかったのだ。 だが、民衆の叫ぶ「王国の象徴たる国王が空位なのは困る」という道理もまた、痛いほど理解できた。
「就く気はないが・・・もし国民の大多数がそれを強く望むのであれば、その意志に答えるのも悪くないか・・・」
クリスもまた、孤独な人の子であった。そんなある日の早朝。執務室へ入ってきたシロタが、静かに一礼して口を開いた。
「クリス様。そろそろ観念して、国王になってください」
それを聞いたクリスは、自嘲気味に半分冗談混じりで言い放った。
「ふっ・・・そうか。ならば、国を挙げて国民投票でも行うか。もし投票で、私の即位に対して八割以上の賛成票が集まるような奇跡があるならば・・・その時は、国王でも魔王でも、何でも引き受けてやるさ」
それを聞いたシロタは、眼鏡の奥の細い瞳を不気味にギラリと光らせた。
「承知いたしました」
シロタは何も答えずに一礼して退室していった。 激務に追われていたクリスは、その時の軽い口約束のことなど、すっかり忘却の彼方へ押しやってしまったのである。
それから数日後の早朝。 執務室を訪れたシロタが、極めて淡々と告げた。
「クリス様。一か月後にクリス様の国王就任をかけた国民投票を実施いたします」
ブーーッッ!!
クリスは口に含んでいた朝食のスープを盛大に吹き出し、手に持っていた湯呑から熱い茶を執務机の上にこぼして激しく狼狽した。
「ゲホッ、ガハッ・・・! な、何だそれは!? 聞いてないぞ!一体何の投票だ!?」
「クリス様が、ギャロット朝の初代国王として王位に就くことの是非を問う、王国各地の成人平民を対象とした国民投票です」
「どうしてそうなった!? 誰がそんなことを許可した!!」
「クリス様ご自身です。八割以上の賛成が集まれば引き受ける、とお仰いましたので、法的手続きを完了させました」
「じょ、冗談に決まっているだろうが!」
シロタから丁寧かつ冷徹な法的手続きの説明を受けるに至り、クリスは己の口が滑ったことを激しく後悔した。 だが、時すでに遅し。
「くそっ・・・! あとは投票結果の賛成票が八割未満になってこの悪夢のような冗談が立ち消えるのを祈るしかないじゃないか!」
しかし、不吉な予感ほど的中するものである。
『クリスティ・ギャロットの新国王就任について、王国民の意思を問う』
開票された国民投票の結果は、王国の歴史上あり得ざる驚愕の数字を示していた。
賛成:97% うち「大賛成」の追記あり :10%
わからない:1%
反対:1%
無効票:1%
「・・・・・・反対が、一パーセント・・・・・・?」
投票用紙には「賛成」「反対」「判断保留」の三欄しか設けられていなかった。ところが、賛成欄へ丸をつけたうえで、余白に「大賛成」と書き加えた票が全体の一割にも達していた。
この完璧すぎる数字にはシロタすら驚き、クリスはシロタによる不正選挙を本気で疑った。
「おいシロタ、裏で手を回しただろう!賛成が九十七%など、あり得るはずが・・・!」
「いいえ、裏調査を行わせましたが、紛れもない真実の数字です。民衆は本気でクリス様を求めておられます」
クリスは右腕シロタによって、瞬く間に即位への外堀を完璧に埋め尽くされ、退路を完全に失ったのだった。
そして戴冠式の日。
王城前広場を埋め尽くした民衆の歓声が、石造りの王宮を震わせた。王冠を戴いたクリスティ・ギャロットは、かつて憎悪の象徴でしかなかった玉座へ、静かに腰を下ろした。こうしてアルカディア王国に、新たなギャロット朝が誕生したのである。 国王となったクリスは、主権者としての最初の命令を発した。
「シロタ。お前を次の首席宰相に指名する。議会が立ち上がるまでの間、臨時首席宰相として国政全般を預ける。私が王になったのだ、お前も宰相として、その底知れぬ腕を見せろ」
シロタは僅かに頷き、冷酷な笑みを浮かべた。
「はっ。仰せのままに」
首席宰相となったシロタが最初に成立させたのは、議会再建までの期限付きで国王へ非常大権を付与する「臨時王権法」であった。
適用期間は、総選挙を経て新議会が成立し、正式な首席宰相が職務を開始するまで。新国王クリスと新首席宰相シロタによる、無敵の二人三脚の分業体制が確立されたのである。
そしてクリスティ・ギャロット新国王の戴冠式翌日、クリスは軍人出身のとある人物の面会を受けた。
「新陛下、お初にお目にかかります。シールド家のバルトです」
「ほう、お主がバルトか。シロタから話は聞いている」
「は!クリスティ陛下、戴冠おめでとうございます」
「挨拶はいい。何用かな?まだ私をお疑いかな?」
「はい!・・・あ、いえ、そうではございません。今までの非礼を謝罪しに参りました」
「謝罪だと?」
「は!私が陛下の昇進を妨げたり、陛下の軍復帰に異を唱えました」
「では何か?貴殿は私的な好奇心や猜疑心で私を疑っていたのか?職務として疑っていたなら何も謝罪する必要はない。それがお主の職務であったならそれは当たり前のことだ」
「私的な好奇心や猜疑心ではありませんが、恐らく陛下はご不快であったろう、と思いました」
「つまらぬ心配をするな。そうでなくても優秀な人材が軍にも政府にも不足しておるのだ。貴殿は憲兵として必要だと思われる職務をまっとうした。その経験を今後の王国に活かせ」
「は!」
バルト・シールドはディックの王都攻めの際に当主であった実父を無くしており、次期シールド侯爵家の当主であったが、王都の混乱が収まるまでは跡目相続は避けねばならず、また、クリスティ陛下率いる新王国では貴族の立場がかなり変わる可能性があるため、跡目相続の時期を見計らっているところであった。
そしてバルトはクリスが王国再建のために尽力を始めて以降、ずっとクリスの仕事ぶりを見てきたが、正直これほどの働きを一人で出来るとは思えないほどの仕事量とその質の高さ、そしてそこから導き出される未来の王国への期待。とても王国に恨みを持つ人間の仕事とは思えなかった。もちろんクリスは個人的な復讐を完全に成し遂げたからであったが、それはバルトの知るところではなかった。
そのようなこともあり、バルトはクリスとの面会の際に首を斬られる覚悟をしていた。しかし、クリスの公正な物の見方に感心したバルトは今まで以上に王国のため命を燃やす覚悟を決めた。
クリスはバルトが退席した後に側近に命じ、前々から一度話してみたい、と思っていた男を呼び出した。その男とは王国全軍司令部記録処の中堅担当官、リノス・ヤーヴェア少尉だった。
「リノス・ヤーヴェア少尉、前々から話は聞いていた。王国軍、そして王国の様々な事を記録している専門官、ということだな」
「クリスティ陛下、お初にお目にかかります。リノス・ヤーヴェア少尉です。陛下のご指摘はほとんど正しいものですが、一部は修正が必要です」
「ほう?聞こう」
「は!私は王国と王国軍に関する記録をまとめておりますが、情報部傘下の諜報員からもたらされる各国の事情についてもできる限りまとめております」
「そうであったか。認識を改めよう」
「は!」
「お主は若くして王国軍に入ったそうだがいまだに少尉なのは何故だ?」
「は!記録係は出世の機会がありません。手柄を立てる、ということがありません」
「ふむ、だが記録を残すことは重要と考える。私が口利きをしようか?」
「いいえ、不要です」
「そうか。今回お主を呼んだのはな、私が見えていない軍の側面、王国の様々なことを聞きたいからだ。記録係であれば多くの情報を見ているだろう。王国を良くするためにも私が知らないことをお主から聞きたいのだ」
「承知いたしました!」
「では今後は定期的に面談にてお主から話を聞こう。今日はな、帝国でディック・ブライトンがどのようにしてきたのか、分かっている範囲で話してくれ」
「は!」
こうしてクリスは王国内と各国の情報を王国全軍司令部記録処のリノス・ヤーヴェア少尉から直接得ることとしたのである。
首席宰相となったシロタは総選挙の前に、議会制度そのものを抜本的に刷新した。特権まみれの「貴族院」を廃止し、「右翼院」へ改称。平民の「衆民院」を廃止し、「左翼院」へ改称。
王国でいう右翼と左翼は政治思想を指すものではない。古来、右は進撃、左は守備を象徴してきたが、実際には東西と同じく、単なる位置上の区分として使われていた。
双方の定数は各百名。同数の場合は首席宰相が決定票を投じる。議員から宰相が選ばれた場合、議員資格は自動失職。宗教特権は一切なし。あらゆる法案・予算は最終的に「国王の裁可」を経て確定する。議員・行政職員の報酬は平民の平均所得と同額とし、利権を排除。
そして迎えた新生総選挙。 定数二百名に対し、立候補者はわずか百二十名。旧貴族の絶滅による「定員割れ」であったが、民衆はこの再スタートを「利権争いのない清廉な議会の始まり」として大いに歓迎した。
総選挙から七日後。議員たちの投票により、新たな首席宰相が選出された。新宰相が誕生したその日、シロタ・カンタは自らが握っていたすべての国家的権限を新しく決まった首席宰相へ引き渡し、潔く辞任した。そしてその引き渡しの席でシロタは新首席宰相から声をかけられた。
「シロタ様、お疲れ様でした。これからはクリスティ陛下と我々が担って参ります」
「はい」
「しかし陛下は素晴らしい手腕ですね。次々と打たれる手が王国の民に明るい希望を持たせてくれます」
「そうみえますか?」
「はい、もちろんです」
「そうですね、では今後はよろしく頼みます」
シロタはあえて否定はしなかったが分かっていた。クリスは王国の民を救うことそのものを目的としている訳ではなく、ましてや良い国を作る、などという曖昧な理想を掲げている訳でもなかった。王国民が経済的に豊かにならねば国を守れず、経済的に豊かになるために王国民を働かせる。これが表向きには善政とみえるのは当然であった。
そして更にクリスの大きな目的を知るシロタにとっては焦燥感に近いものを覚えていた。クリスが以前に言っていたことがある。それは、クリスの大いなる目標である大陸から戦争を無くすこと。その方法はいまだにまったく何から手を付けていいのか分からないが、実力と権力が備われば見えてくるだろう、というものだった。
しかし、クリスは王国において最大の権力を手にした。しかもそれは戴冠によって得たものではなく、それ以前に首席宰相となって以降はほぼ最大権力を手にしていたのだ。しかも実力もある。しかし、クリスの口からは大陸から戦争を無くすことについて、具体的な方策が語られることはなかった。
以前、クリスが首席宰相となって間もない頃に話したときのことだ。
「クリス様、王国を良くする方法ですが・・・」
「王国を良くする?良い国とはどういう状態を指すのだ?」
「経済的に豊かで他国から攻め込まれず、王国民が幸せに暮らすこと、と思います」
「ではそう言え」
「は!」
「王国民が幸せに暮らす、これを否定する気はない。だがな、他国から攻め込まれないようにするには軍で守らなければならん。軍を養うには大きな予算がいる。結局、王国民が幸せで豊かに暮らすためにも、国を守るための金が必要になる」
「結局、税金なんですよね」
「そうだ。しかも経済的に豊かになるほど税収は上がるし王国民の人数が増えればやはり税収が上がる。国を守るためこの二つが重要だ」
「クリス様は復讐が終わった途端に名君になった、と思ってましたが・・・」
「結局、金なんだよ。前にも税金の使い道の話をしただろう。王国民が金と無関係なら放置するが王国民が税金を払う以上、俺がやることは決まっている」
「やはりクリス様はクリス様ですね」
「当たり前だろ」
「しかしクリス様、その先にある大目標、大陸から戦争を無くす方法ですが、どうお考えですか?」
「実はな、シロタ。それがどうしたことか、まったく思い浮かばないんだ。シロタは何か思いつくものはあったか?」
「申し訳ありません。国内事情は分かりますが他国のことは諜報活動で知り得るものしかなく、なかなか難しいです」
「そうだろう。こうなれば仕方ない、帝国、共和国、公国、そして蛮国。俺がまとめてこの四カ国を征服すれば大陸から国家間の戦争は無くなるな。それしかないかもしれない」
「またまたクリス様、御冗談を」
「まあな、でも他に方法が思いつかないんだよ」
このようなやり取りを思い出したシロタは自嘲気味に薄い笑みを浮かべた。
「これにて、私の仕事はすべて終了いたしました」
約十日間の政務引き継ぎを終え、シロタはすべての政府職務から解放された。これこそが、彼が最初から描いていた完璧な引退のシナリオだったのだ。
新しい首席宰相のもと、新生議会が最初に可決すべき第一議案。 それこそが、現在も有効である「国王の絶対権力」を廃止し、「国王は権威を持つが、権力は一切持たない」という、クリス本来の計画通りの象徴君主制へ移行するための法律案であった。
しかし。
その法律案が議会で採決にかけられる、まさに当日の早朝。ギャロット初代国王が即位してから、わずか一ヶ月が経過したその日に、王国の歴史を血塗られた奈落へと突き落とす、最悪の事件が勃発したのである。




