8-2 計略
四十五歳となったクリスの髪には、白いものが混じるようになっていた。
この間、クリスは王国の国内を立て直し、帝国とは条約によって戦争を回避していた。そして共和国だが、最近の共和国は帝国へ裏から工作を仕掛けているようなのだ。バスクが各地に放った諜報員からの報告によると、帝国軍の軍備を再建させ、再度王国へ攻め込ませようとしている情報があった。
そこでクリスはタチバナに命じ、共和国の調査と対策を行わせた。
タチバナは早速バスク配下の諜報員を二十人ほど使って共和国に潜入させた。もちろん共和国訛りの大陸標準語を話せる人員を使ったことは言うまでもない。そして調べ上げた結果、共和国軍出身の与党政治家であるフート・ペッパーが裏で動き、帝国を王国に攻め込ませようとしていることまでが判明した。
フート・ペッパーには三十歳になる息子がおり、その妻は前大統領ウィリー・クーパーの娘だった。クーパーは退任後も共和国政界を裏で牛耳る大物である。しかしフートの息子は妻となかなかうまくいかず、子供に恵まれなかった。そしてフート自身は数年前に奥方を亡くしており、現在は独身であった。
タチバナは少し考えた。フート自身に色仕掛けをしてもあまり効果はない。色仕掛けで効果を出すのは別れられない事情がある奥方を持つ男性なのだ。独身では単なるご褒美になるだけだ。
そこでフートの息子を調略し、そこからフートを操ることを考えた。バスクに命じてフートの息子を調べさせ、女の罠を仕掛けさせた。そしてフートの息子はあっけなくその罠に堕ちた。やはり若い男を堕とすのは簡単だ。タチバナはフートを待ち伏せ、すれ違いざまに耳打ちした。
「フート様、貴方様の御子息の浮気、ご存知でしたか?」
「!!!!」
フートは次の大統領選挙に立候補予定であった。今このようなときに息子のことで足を引っ張られるわけにはいかない。
「嘘をつけ。息子はそんな淫らではない」
「おや、そうでしたか。ではお相手の女性をフート様の地元新聞社に連れていきますわね」
「少し待て」
かかった!タチバナは内心、もうこの仕事は九割終わったわね、と思った。
「はい」
「何が望みだ」
「いいえ、何も。ああ、そうだわ。帝国は今ね、内政が大変なの。帝国へちょっかい出すのをやめてくださいます?」
「お前は帝国の手のものか」
タチバナはただ微笑むだけだった。
「フート様、もし受け入れてくださいましたらお礼にあなたのお望みをひとつ、叶えますわ」
「私の望み?何だそれは?」
「簡単ですわ」
そういってタチバナは振り返り、仲間に目配せをした。そして一人の女性を連れてきたのだ。
「この女をあなたの身の回りの世話にお貸ししますわ。この女も全部、承知しております。かわいがってあげて下さい。あと、これを断ればクーパー前大統領にこっそりと耳打ちしますわ。何を、かはお分かりですわよね。フート様、お答えを」
「少し時間をくれないか」
「わかりましたわ。三日間だけです。あと、この女は先にお連れいただいて構いませんわ」
「なぜだ?その女はお礼に、と言っていたではないか」
「はい。ですのでそのお礼の先渡しですわ」
タチバナはフート・ペッパーが好む女を調べ上げ、工作員を王国中に派遣して該当する女奴隷を探させ、連れてきたのだ。そしてフート・ペッパーはタチバナが用意した女を自宅に連れて帰った。連れて帰りはしたが、手を出す気にはなれなかった。なにせ敵が用意した女だ。手を出した瞬間、何をされるか分かったものではない。
フートは眠れぬ夜を過ごした。妻を亡くして以来一人だった屋敷に、好みの若い女がいる。しかしその女は敵が送り込んだ餌でもあった。敵の用意した女に手を出すのは負けを認めることと等しい。しかし断れば息子の浮気はクーパー前大統領へ渡る。タチバナを殺しても意味はない。諜報員は一人ではない。大統領選を諦めるか。
翌日、タチバナが連れてきた女、マリオラの前でつぶやいてしまった。
「そう簡単に諦められるわけがない」
マリオラはつい聞いてしまった。
「フート様、何を諦められないのでしょうか?」
それを聞いたフートはついカッとなってしまった。
「お前を連れてきた女が余計なことをするからだ!」
「も、申し訳ありません。ですが私は何も知りません」
「すまぬ、お前は工作員ではないのか?」
「私は王国で借金奴隷でした。あの方に助けられ、ここで三ヶ月働けば自由になれます。お名前も知りません」
「そうだったのか。お主も苦労したのだな。でも私もどうしたらいいかわからん。お主に言っても詮無きことだがな」
「わかりました。ではご主人様、その寝台に私が座ってよろしいですか?私の膝を枕にして下さい。何でもお話になって下さい。私は難しいことは分かりませんが、お辛いことを吐き出せば少しは楽になる、と申します」
フートは眼の前の若くて魅力のある女性を気に入り始めた。なぜか弱音を吐ける相手なのだ。そして三日目に交わった。答えは決まった。
そしてタチバナと会い、承諾した。
「分かった。ただし、マリオラは置いていけ」
フート・ペッパーは堕ちた。タチバナは静かに微笑んだ。
彼は帝国へ関与することをやめ、子息には浮気をやめさせた。これで何とか前大統領クーパーに知られることなく事件を納めたつもりだったが後日、タチバナから、「私に歯向かったら御子息の浮気をクーパー前大統領にバラすわよ」と脅され、完全に屈服したのだ。
そのような政治、謀略、軍事など、多方面の仕事を精力的にこなしつつ時間を見つけては執務室にタチバナを呼び出し、その成熟した身体を貪って疲労を散らしていたクリスだった。しかし最近では彼女を呼ぶ回数も激減していた。最後にいつ抱いたのかさえ思い出せないほど、彼の肉体は冷え込み始めていた。
いつかの夜、タチバナがクリスの腕の中でふと囁いたことがあった。
「クリス様。・・・実は、私には息子がおりますの」
「そうか。いくつになった?」
「今年で、ちょうど十七になります」
「十七か。昔の私なら確か中等学校の貴族部に入学した頃だな」
過去の交わりの時期を逆算すれば、何の不思議もない当然の事実であった。
クリスはそれ以上は詮索しなかった。国政の激務の中にあった彼は、疲労を癒やすことだけに意識が向いており、この話題の真意を再び思い出すのは、相当な時間が経過した後のことであった。




