8-1 光陰
四十一歳の年を迎えたクリスティ・ギャロットは、文字通りの激務の極地に身を置いていた。
アルカディア王国の最高権力たる首席宰相を務め、同時に貴族院と衆民院の両院議長を兼任。執務室は昼夜を問わず明かりが灯り、燭台の匂いが消えることがなかった。クリスは国家予算のすべてを独断で動かし、国政改革の政策を決定しては行政庁へ矢継ぎ早に指示を飛ばし続けた。そして国家予算を自分のため、もしくは不正に流すことなどまったくなかったのだ。
同時に軍部に対しては、旧態依然とした身分優先の組織を解体し、国軍の再整備と最新装備の調達を急ピッチで進めさせたのである。しかし、それ以上に重大だったのが、崩御した国王夫妻の葬儀と「次なる国王の選任」という問題であった。
崩御した前国王夫妻には正当な王位継承権を持つ子弟が三名遺されていた。だが、彼らは富裕層が暮らす貴族街区の邸宅で優雅に暮らしていたことが災いし、先日の帝国軍による貴族街襲撃の戦火に巻き込まれ、三名とも神の元へ召されていたのである。
前国王の弟やその外戚たちまでもが、ディックの動乱によってことごとく神の元へと召されていた。
「ふん・・・・・・次の王位継承者が、完全に不在というわけか」
クリス自身には、玉座に就いて王を名乗る意思など毛頭なかった。仮に周囲から「王に就く気があるか?」と問われたとしても、彼の答えは間違いなく冷徹な「否」であっただろう。なぜなら、クリスは人生のすべてを懸けた目的を、すでに達成していたからである。
最愛の弟ジュリアンを殺したブライトン伯爵家。妹を陥れたローブ子爵家。そして、義兄とタチバナを罠に嵌めたモーリン子爵家。そしてシロタとロランの復讐も含めてほぼ完全に達成していた。
なお、生き残った門閥貴族の当主は結局、軍人であった。軍籍以外で生き残った門閥貴族当主も若干いたが、クリスは軍を派遣してことごとく捕まえさせた。罪状は「王命違反」である。王国において最も重い罪、それが「王の勅命違反」であった。王国の決まりでは国王直接の吟味によって許されない限り即刻死刑というものである。そして即座に執行された。
結局、門閥貴族で生き残った当主は帝国軍との戦いで命を落とさなかったわずかな軍人と、多くの貴族家の伝統であった「収穫感謝のために霊峰へ巡礼」に出かけた貴族家子弟とその実母だけであった。王国の門閥貴族家当主とその後を継ぐ青年若手貴族は事実上、完全に消滅した。
だが、混沌の底に沈む王国には、いまだ復讐の炎を燃やし続ける不気味な青年がいた。 青年が狙いを定める復讐の対象は、今や国家の絶対権力を握る強大無比な存在であり、その知性は無限と思われるほどの怪物、クリスである。
「ふふっ、我が復讐の相手に不足なし」
青年は暗闇の中で冷たく笑い、自らの牙を鋭く磨き上げながら、その喉元を喰い破る最悪の好機をじっと待ち続けていたのだった。
そんな陰謀の気配にも気づかぬまま、クリスは身を粉にして政務に励み、シロタに命じて「前国王の隠された血筋」を捜索させた。 しかし、王室の血脈は門閥貴族家との繋がりが深すぎたこともあり、ディックの短期決戦によって驚くほど綺麗に、根こそぎ刈り取られていたのであった。
同時進行で、クリスは外交にも力を注いだ。
ヴァルディス共和国に対しては、帝国への鍛層剣輸出を激しく非難。タチバナを使って王国に厳しい姿勢を取る共和国議員らを罠にかけて圧力をかけた。
「王国の指図は受けん」
と突っぱねる共和国に対し、クリスは穀物肥料の品質改良を要求。
「品質改良の研究資金を拠出せよ」
このように求める共和国に対し、クリスは即座に言い放った。
「断る。ならば王国内で独自に肥料生産の道筋を立てるまでだ」
強気に出られなくなった共和国は、最終的に肥料の品質改良を約束せざるを得なくなったのである。
ガルディニア帝国に対しては、互いに和平を尊ぶ外交方針で一致。 「今後十年間は互いに侵略行為をしない」という相互不可侵条約を締結した。そして国境地帯に費用折半で共同外交施設を建設し、定期的に両国協議を行う仕組みを整えた。
一方、ディックによって解体された「聖導教会」は、中心人物の多くが犠牲となり、逃げ延びた関係者も身分を隠したため、王国内からほぼ消滅していた。これに困ったのがヴァルディス共和国である。裏工作の拠点だった教会を失った共和国は、王国に対して「教会の復活」を強く求めてきた。
「教会の再建を認めていただきたい」
「断固拒否する。金の亡者の神など、我が国には不要だ」
クリスが突っぱねたため、この点において両国には深い溝が刻まれることとなった。
そして月日は音もなく流れていった。
クリスは独裁者として不眠不休で動き続け、荒廃した国内を強権的にまとめ上げた。 民衆を鼓舞し、瓦解した王国軍を再編し、農地を開拓し、諸外国との外交に全力を注いだ。傍らには常にシロタ・カンタが控え、天才的な実務能力でクリスを補佐し続けた。
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「クリス様、もうあの戦乱から五年が過ぎようとしています」
「そうだな。長いようであっという間だ」
「国王不在でも何とかなるものなんですね」
「そうだな。国民の忠誠と敬意が向く先が王家だったが、今では国そのものになっている、ということじゃないかな」
「国に敬意を持ってもらうためにも公平であること、不正を減らすことに随分と力を尽くしましたからね」
クリスとシロタは多くの議員や政治家と仕事をともにし、裏切りや連携など様々な状況を経た上での各種の政治改革に没頭していった。
特に議員が決めることが出来る国家予算、つまり税金の使い道については長年の念願だったため念入りに、貴族制度の廃止による王国制度の調整や政府、政治の仕組みを変えていった。
そしてそれらの貴族の力を削ぐ政策を作る度に夜中に暴漢に襲撃され、食事に毒を盛られ、それらから身を守るためにシロタとタチバナは汗を流した。
とある日、クリスに近づいてきた妖艶な女性がいた。彼女の目的は、自身を粛清対象から外すという政治的な例外を求めることであった。しかも、その女はタチバナの実妹であった。しかしクリスはその事実を知らなかった。
「お名前をお聞かせ下さい、レディ」
「サキ・モートンと申します、閣下」
「サキ殿はこの私に何用ですかな?」
タチバナと似たような雰囲気の女性だ、と思いつつ、どうせ没落した貴族の復権願いか、生き残った家族への追求の緩和願いであろう。その場は挨拶だけで終わらせた。やがて部屋を辞したサキの姿を廊下で見かけ、タチバナは急いで後を追った。
「サキ、久しぶりね。美しくなったわね」
「姉さん!姉さんじゃないの、生きていたの?」
「今まで黙っていてごめんなさい。でもね、伝えれば必ずあの豚子爵が感づくから近寄れなかったのよ」
「姉さん、姉さんは今何をやっているの?」
「私はね、ずっとクリスティ・ギャロット様の下で働いているわ」
「え!・・・ではね、お願いよ姉さん。助けて!」
サキ・モートンの話は切ないものであった。タチバナ・サキはモートン準男爵家に妾として嫁いだ。残念ながら子供は産まれなかったが早くに当主正妻が死に、モートンはサキだけを愛したのだ。
そして運命の日。ディック率いる帝国軍が王都に攻め込み、多くの貴族家の人たちが犠牲となる中、幸運にもサキは実家に戻っていたため難を逃れたのだ。しかし妾とはいえ嫁いだ身である。クリスの貴族粛清対象となっていた。
そんなタチバナは肉親の情もあり、何とかサキの窮状を打開させたく、また、長年姉らしいことをしてやれなかった悔いもあり、クリスにこっそりと頼んだ。
「クリス様、モートン家の生き残りに対する処分を、今一度お考えいただけませんでしょうか」
「なんだタチバナ。珍しいな。例外は駄目だ、といつも言ってるじゃないか」
「そうなのですが・・・」
「しかしだな、何故タチバナがサキ・モートンの肩を持つのだ?何か理由があるのか?」
「それは・・・」
「まあいい、考えておこう」
クリスは今まで貴族が妾を持つことを深く考えたことは無かった。それは単に色恋、もしくは性欲を目的としたものだけであり、妹のクロエがマクドネルから言われたのもこの妾であったことでより悪い印象しか持っていなかったのである。
クリスが公式文書を調べたところ、この妾は非常に中途半端な位置づけであることが分かった。王国では法的にこの妾を規定しておらず、嫁ぐといってもそれは慣習であり、公式文書には何一つ記録されない慣習上の身分にすぎなかった。ここまで考えてクリスはタチバナを呼び伝えた。
「サキ・モートンが、モートン家の正式な一員であったことを示す公文書はあるのか?」
「いいえ。妾については、婚姻証明も戸籍上の記録もございません」
「ならば政府は、彼女を貴族として裁くことはできん。証拠なき処罰は認めない」
タチバナはすぐに妹のサキと会い、クリスの言葉を伝えた。サキは身の安全を喜び、姉であるマリと積もり積もった話を交わすのだった。




