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ヒュービック大陸興亡記  作者: 田中好雄
第7章 王都攻防戦
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7-11 絶命

朝靄の立ち込める平原の戦場に、最悪の駒が並べられた。


クリスの左手によって引きずり出された、薬物によって意識が朦朧となっている姉メラニア。 そして、クリスの右手によって無様に引きずられる実の兄、ブライトン伯爵。


その二人を目の当たりにした瞬間、帝国軍総司令官ディック・ブライトン少将の息が完全に止まった。

ディックは無意識に手を握りしめ、一度だけメラニアへ視線を向けた。そしてその姿に怒りが湧いたがもうどうすることもできない。すぐにクリスを睨み返した。


「その二人は好きにするがいい! 私には、もはや何の関係もない人間だ!」

「ふっ、そんな冷たいことを言うなよ、大将」

「私は大将ではない。帝国軍少将だ」

「ディック、お前には本当にがっかりしたぞ。その点、メラニアは立派だった。メラニアは自分の命をかけて教会に復讐をしたぞ、しかも自分の力だけでな。そういうお前はなんだ?側近の力だけじゃなく帝国の力を借りての復讐か?メラニアを見習え!この馬鹿者め!」

「何だと!何も知らんくせに!」

「知らんよ。だがな、お前が亡命した後のメラニアのことはよく分かってるさ。メラニアはな、本当にたった一人で貴族の半分と聖導教会の司教、神父を何人も潰したんだぞ!誰の力も借りずにな!」


ディックの目がメラニアへ向いた。一人で、貴族の半分を?


「よく出来た姉と違ってお前は本当に不器用で駄目な弟だな。メラニアの爪の垢でも煎じて飲め、ほらよ」


クリスの合図によって拘束を解かれ、地面へ放り出されたメラニア。そしてクリスはまだブライトン伯爵の拘束を解かずにいた。

メラニアの姿を見た瞬間にディックは駆け出し、泥まみれのメラニアをその両腕で強く抱きかかえた。


「姉上! 姉上、私です、ディックです!」


だが、その血の繋がった美しくも哀れな姉弟の抱擁を目にした瞬間、クリスはブライトン伯爵の拘束を解いて言った。


「よく出来た姉と弟ですな。それに引き換えあなたはどうだ。前近衛兵団団長だった父上を越えられず近衛兵団の団長を引き継げなかった。名声ではディックと比較にならん。そしていつもいつもディックとメラニアの尻拭い。どうだ、また尻を拭ってやれ」


それを聞いたブライトン伯爵は目の前が真っ赤に染まった。


「そうだ、俺はいつもディックの名声に嫉妬し、メラニアの美しさに惚れていたがメラニアの男遊びを苦々しくも思っていた。そこに来てあの事件だ。栄光のブライトン家を何だと思ってる!許せん、許せんぞ二人とも!」


そういって振り返り、クリスが腰に刺していた剣を引き抜いて奪った。そしてクリスもまた、奪われることをまったく防ごうとしなかった。ブライトン伯爵の拘束を解く直前、クリスはあえて剣の柄を男の手が届く位置へずらしていた。すべては、彼の計算どおりだった。


「元はといえばお前たちの、あの忌まわしい婚姻の約束が原因で、我がブライトン家はすべてを失ったのだ! メラニア、お前があの時、余計な告発をして教会などに駆け込まなければ! 殺してやる! お前たちを、絶対に殺してやる!!」


これまで無様に命乞いを繰り返していたはずの気弱で凡庸な実兄。その男が絶望の極限で急に獣のような力を取り戻した。


「死ねぇ!」


狂乱した実兄は勢いをつけて妹メラニアの体を目掛けて鋭い刃を突き刺した!


「危ない、姉上っ!!」


その瞬間、持ち上がった腕の下、胸甲と脇当てのわずかな隙間へ、兄の剣が深々と突き入った。


ズスッ・・・・・・!!


実兄の放った刃は防具の隙間からディックの胸部へ深く突き入り、致命の一撃となった。


「がはっ・・・・・・!!」


鮮血がディックの口から激しく溢れ出た。剣を握ったまま、伯爵の顔から血の気が引いた。


「ひぁっ・・・・・・あ、あぁ・・・・・・っ」


膝が折れ、その場に崩れ落ちた。 足元に抱きかかえられたメラニアは、目の前で何が起きているのかさえ理解できていない様子で、虚ろな瞳のまま、ただ座り込んで虚空を見つめ続けているだけだった。


「ディック様ー!!」


絶叫を上げて駆けつけてきたドギーの顔は、すでに大粒の涙で濡れていた。


「ドギー・・・・・・か」

「坊っちゃん! しっかりしてください! ディック様ぁッ!」

「ドギー・・・・・・、あとは・・・任せた・・・・・・」


ディックを抱き起こしたドギーは、主君の胸に突き刺さった刃と溢れ出る血の量を見て、彼が絶対に助からない致命傷を負っていることを瞬時に悟り、ディックの身体を抱きしめた。ディックは最後まで言い終えることなく、ドギーの腕の中で力を失った。


ドギーは一瞬、腕の中のディックを見つめた。そして、顔を上げて叫んだ。


「帝国兵! 少将をお守りしろーーーっ! そして・・・・・・お前らぁぁぁ! 殺してやるぅぅぅ!!」


ドギーは猛獣のような咆哮とともに、腰の鍛層剣を素早く引き抜き、涙で濡れた目を光らせた。そして凄まじい横薙ぎの一閃が、腰を抜かして怯えるブライトン伯爵の首に入り、一撃で絶命させた!さらにドギーの怒りは、それだけでは収まらなかった。


ドギーにとって、ディックの人生を狂わせ、この最悪の破滅を呼び込んだ元凶。目の前で何が起きたのかも理解できず、虚ろな目で座り込むメラニア。その胸へ、ドギーは泣き叫びながら鍛層剣を突き立てた。


かつてディックが命を懸けて愛し、守ろうとした姉。そして幼い頃から距離を感じていた兄。そしてディック。ブライトン家の三人兄妹はこうして王国の泥濘の平原において、同時にその命を散らすこととなった。


ロランは動けなかった。血の中に倒れた男を、ただ見つめていた。あの人の下でもっと戦いたかった。その思いを、ロランは誰にも口にしたことがなかった。


ロランの眼には大粒の涙が浮かんでいた。ロランはクリスを主人として忠誠を誓っていたが、それは復讐のため、そして自分とは異なる分野での巨大な才能を認めていたからだ。だが同時に、クリスのその目的のためなら手段を選ばないその手腕に関してはすべてを是としていたわけではなかった。あくまでも復讐のため。復讐が終わったときには・・・


しかしディックは違った。もし自分が貴族を恨んでいなければ、間違いなくディックに忠誠を誓い、命を燃やしたはずだった。その意味では、ディックが帝国へ亡命したことはロランにとって幸いだったのだ。王国の地で復讐を果たした後、クリスから暇をもらい、ディックのもとへ馳せ参じることも可能だったからだ。


復讐相手であるシータ家もこの混乱で壊滅した。帝国軍によって捕縛された貴族は誰一人として生きながらえてはいない。全員がこの乱戦の中で神の元へ召されていた。復讐を終えれば、いつかクリスのもとを辞し、ディックへ仕えることもできる。ロランは密かに、そんな未来を夢見ていた。だが、その夢は今、目の前で潰えた。


スパイクもその場へ膝をついた。作戦には穴が多く、ドギーとの子供じみた応酬を好む、不思議な総司令官だった。それでも戦場へ立ったとき、ディック以上に堂々たる旗印となる男を、スパイクは知らなかった。その旗が、今、血の中へ倒れていた。


目の前で起きた惨劇のため、ドギーの刃が噴き上げさせた血飛沫を浴び、左上半身と頬を赤く染めたクリス。そしてクリスは知らなかったが絶命したディックの身体を支え、涙を流すジロフがいた。ジロフは叫んでいた。「ディック様!疑ってすみませんでした!」


クリスは数歩離れた安全な場所から、その凄惨な結末を氷のように冷たい視線で見つめていたが、その瞳からは滂沱の涙が溢れ出ていた。


「ジュリアン、お前の仇はとったぞ。クロエ、お前を破滅に追い込んだローブ家もこの混乱で壊滅した。俺の復讐は、終わったんだ!」


クリスはこのように心のなかで静かに叫ぶと涙を拭った。そしてドギーへ歩み寄った。


「ドギー殿。ディック殿のご遺体は、ブライトン家の墓地に埋葬するか?」


クリスは初めて宿敵を「ディック殿」と呼んだ。ドギーは涙を拭おうともせず、低く答えた。


「いいえ。帝国に残る、奥方様の元へお帰りいただきたいと思います」

「そうか。ディック殿をお運びできるよう、棺と状態を保たせるための薬草を手配しよう」

「恐れ入ります」

「メラニア殿とブライトン伯爵のご遺体に関して、何か要望はあるか?」

「いいえ、ございません」

「分かった。あとな、もう戦は終わりにしないか。以前、王国軍が皇城を破壊した時の仕返しは十分できただろう?」


ドギーは主君の遺体に目を落とし、静かに首を振った。


「そうかとは思いますが、私がそれを判断する立場ではございません。ブライトン少将が斃れ、帝国本土も危機にある以上、幕僚たちも撤退に反対はしますまい」

「わかった。追撃はしない。あとな、帝国の皇帝陛下と政府首脳に裏で伝えてほしい。できれば今後は戦争をしないよう、外交で平和を作りたい、と。私も政府に働きかけ、合意が得られ次第、外交文書を届けさせよう。北へ向かわせた別動隊も戻す」

「承知いたしました」


こうして、戦争は終わった。

クリスが立ち去ると、大きな影がドギーへ近づいてきた。


「ドギー殿、お気を直されよ」

「ロラン殿か。坊っちゃんが、坊っちゃんがぁっ!」


ドギーの顔は涙と鼻水でドロドロになっていた。もちろん、ロランの顔も同じであった。


「ドギー殿、これからどうされるおつもりか?」

「これから、ですか。これから坊っちゃんと一緒に、奥方様の元へ戻ります。そして坊っちゃんの坊っちゃんを、立派に養育してみせます」

「何と! ディック様には御子息がおられたか」


ロランは思い詰めたように目を伏せた。そして、それ以上は何も告げず、壊れた王都の城壁の向こうへ消えていった。


帝国軍による王国侵攻がすべて終わった後、王都の酒場では今年四十九歳の一等兵が静かに濃い酒を舐めていた。


「おいテイン、また死神の鎌を振ったそうだな」

「おいおい、物騒なことを言うなよ。俺は何もしちゃいないぜ」


しかし今回もまた隣に配置された新入りが先に逝っちまったんだから仕方ない。


「だがよ、俺もとうとう現場から下がることになった」

「おいおい、ほんとかよ。死神テインも職場が無くなったのか!」


酒場のオヤジは豪快に笑っていたが、テインも笑いたい気分だった。

王国軍の平民出身兵の前線勤務は四九歳までと決まっていた。テインも来年は五十歳になる。自分でもよくぞここまで生き延びることができた、と思っていた。


「じゃあお前さん、王国軍を辞めるのか」

「いや、来年からは恐らくだが新入兵を鍛える学校の現場教官に、と軍から言われている。最前線じゃないからな、安心できるってもんさ」

「なんだ、死神もお役御免か」


王国軍は平民が入隊すると必ず三ヶ月間の初任軍事訓練を受けるため、専用の施設に入る義務があった。ここで最低限の集団生活や戦闘、行進などの訓練を受けないと全く使い物にならないからだ。そして更に希望する者にはその後一年間の専門課程教育機関も用意されていた。これは現場の専門兵として、槍、弓、騎馬などの戦闘、輜重部隊、伝令、諜報、と科目があり、希望者が受講することができるが、ほとんどの者は専門課程には行かず、全体の十%程度の人員しか専門課程へ進む者はいなかった。


これは王国の平民がそもそも就学率が高くなく、勉強をすることに苦手意識を持っているから、と考えられていた。


「今までの経験を生かしてほしいんだとよ。まあ俺の経験を話したらお偉いさんは嫌がるだろうけどな」

「違げーねーよ」


二人は豪快に笑っていた。テインは心の底から笑ったのは何年ぶりだろう、と後で思ったという。


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