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ヒュービック大陸興亡記  作者: 田中好雄
第7章 王都攻防戦
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7-10 悪魔

北の城門を力ずくで破砕した瞬間、ガルディニア帝国軍総司令官ディック・ブライトン少将は、全軍へ向けて城内への一斉突入を命じた。突撃に先立ち、ディックは侵攻軍の全将兵に対して「四つの絶対禁令」を厳格に通達していた。


1 一般平民および奴隷階級の無差別殺戮の禁止

2 民家に対する略奪および婦女暴行の禁止

3 戦術的な意味を持たない放火の禁止

4 井戸や貯水池といった水源の汚染行為の禁止


「よいか! 我らは略奪を好む野蛮な野盗ではない! 無抵抗の平民には一切手を出すな!」


かつて略奪と暴行を繰り返した帝国軍とは、もはや別の軍隊であった。四つの禁令は各部隊へ厳しく通達され、違反者には即座の処刑が宣告されていた。 その上で、城内へ雪崩れ込む将兵へさらに下された命令は、ディックの意図を如実に示すものであった。


「聖導教会関係者、門閥貴族、王族、政治家は、一人残らず拘束せよ。抵抗の意思を失った王国の兵士は拘束後、速やかに郊外の収容所へ移送せよ」

「特権階級どもを拘束した兵士には、その身分に応じて莫大な金一封を与える!」


ディックの公式発表に全軍の士気は爆発した。


だが、王国軍の側も死に物狂いの組織的抵抗を維持していた。城壁内のあらゆる大通りや路地裏において、血飛沫の舞う激しい市街戦が繰り広げられたのである。王都全域が混乱に陥る中、最高司令部に君臨するクリス中将にとって、この混戦はただの「想定内の荒波」に過ぎなかった。クリスは首席参謀シロタを呼び寄せた。


「シロタ、例の件だ。手筈通りに動け」

「では、行ってまいります」


シロタは不敵に目を細めると、闇の中へと消えていった。


ここで帝国軍は、戦術的に「致命的な一つの失敗」を犯すこととなった。北門が完全に破られた後も、依然として王都の「南門」は王国軍が死守していた。しかし、北門突破の勝報を受け、南側を攻めあぐねていた帝国軍の部隊は独断で動いたのだ。


「おい! 北門が開いたぞ! いつまでもここで足止めされている場合か!」

「そうだ! 一刻も早く北から乱入して貴族どもを捕まえて金一封をせしめるぞ!」


南部隊の一指揮官が、褒賞に目が眩んで独断で北門へ転進した。隣接部隊も「貴族捕縛に出遅れる」と焦り、次々と持ち場を離れた。やがて南門前には、監視兵すらほとんど残らなくなった。

特権階級捕縛への褒賞は帝国兵の士気を上げた反面、功名心と欲望までも過剰に煽っていた。


「シロタ少佐、南門の先から帝国軍が完全に消え去りました」


バスクからの報告を受けたシロタ少佐は、全権を預かった王国中央軍の残存騎兵一万を率い、音も立てずに南門から王都の外へ打って出た。


暗闇の平原を南下し、大きく円を描いて北へと転進。凄まじい速度で目指したのは、ウェルディ大佐が工事を行って切り開いた隠し街道「キャメリート街道」であった!


キャメリート峡谷には、かつてウェルディ大佐率いる工作部隊が仮橋を架け、山肌を削って切り開いた秘密街道が存在した。完成後も絶対秘匿とされ、一度も軍事利用されることなく、ウェルディの部隊によって維持されてきたのである。本線はすでに通行可能だったが、帝国側出口だけは発見を避けるため、森林で偽装された未完成状態にされていた。


そしてシロタ率いる騎兵一万は王都を出て四日後、キャメリート街道へ入った。


「ウェルディ大佐! 進捗はいかがですか!」

「これは・・・・・・シロタ殿!? 一体どうされた、その大軍は!?」

「王都が帝国軍によって破られました。これより帝国深くへ攻め込み、皇城を直接攻め落とします!」

「何だと!? 王都が!?」


衝撃を受けたウェルディ大佐は、即座にシロタが率いた軍の意味を理解した。


「あなたたち聞いて! 王都が壊滅したわよ! これより復讐戦を行うわ! 寝る暇なく動くのよ! 峡谷内の防御門と城壁を完成させなさい! 帝国兵がこの道へ入ってきても、ここで食い止めるのよ!」

「「「おぉぉぉッ!!」」」


王都はまだ陥落していない。城門が破られただけだ。だが、疲れ切った作業兵を奮い立たせるには、この程度の誇張がちょうどよかった。


シロタ率いる一万とウェルディの工作部隊が総力を挙げ、隠し街道の最後の区間の木をできるだけ切り倒さず、帝国側からは街道があるようには見えないことを最優先した上で地面を固め、馬車などが通れる道を作ったのだった。

そしてシロタは王都からの伝令を待った。このまま北上して帝国の皇城を撃つも良し、南下して帝国軍を挟み撃つのも良いだろう。それは王都の状況次第もあり、クリスからの伝令によって判断する必要があった。


王都内部の局地戦が深夜に入っても混迷を極める中、クリスは王室警護の「近衛兵団長」を司令部へ呼び出していた。


「近衛兵団長殿。未曾有の混乱の中、お越しいただいたことに感謝する」

「クリス中将。私に何のご用で?」

「要請はただ一つ。今すぐ国王陛下と王族の皆様を、城内の秘密の隠し通路から安全な地方へとお落ち延びさせてほしい」


老練な団長は眉をひそめ、顔をこわばらせた。


「それほどまでに、この王都は危険なのですか?」

「ええ。王都の陥落はもはや時間の問題でしょう。我が仕掛けた罠が間に合うか、王室が捉えられるか時間勝負です。もし陛下がディックの手に落ちれば、我が国のすべてが終わります」

「承知いたしました。即座に行動に移ります!」


だが、国王と近衛兵団長が把握していた秘密通路は長年使われておらず、点検などもされていなかったため現在は内部が崩落し、通ることができずにいた。さらに古い脱出路も存在したとされるが、入口も経路も記録から失われ、現在の王室にはその存在を知る者すらいなかった。


クリスの元には次々に報告が入ってきた。


「報告します。統制を失った王国軍の一般兵らが次々に王都各地で討ち取られております!」

「帝国軍の鍛層剣によって多くの兵が盾ごと、鎧ごとに斬られています!」

「王都防衛の左翼軍の半数が壊滅しました!」


状況はクリスの思惑通りに進んでいなかった。思惑以上の速度で進んでいたのだ。クリスの最大の狙いは、国政改革の障害である門閥貴族の一掃であった。「敵の刃を使って、もう一つの敵を制す」。自らの手を汚さず、虐殺の天罰と逆賊の汚名はすべて攻め込んできたディックに背負わせる。それがクリスの冷徹な方程式であった。


「バスク!」

「は!クリス様」

「王都に入った帝国兵をうまく誘導せよ。貴族街と行政街へ導け!」

「は!承知」


そしてタチバナに下した密命はブライトン伯爵の身柄確保だった。メラニアは既にその身柄を確保してある。そしてついに帝国軍の主力は、大富豪の門閥貴族たちが邸宅を構える「貴族街」、そして政府の「行政庁」へとバスクらの諜報工作員らの誘導によって突入を果たしたのだ!


「貴族どもを縛り上げろ! 金一封だぞ!」

「逃がすな! 官僚も政治家も全員捕らえろ!」


帝国兵たちは召使いや奴隷には目もくれず、特権階級の人間だけを狙い撃ちで拘束。大量の門閥貴族や政治家たちが無様に縛られ荷車に無造作に放り込まれ、城外へと芋蔓式に連行されていった。


ただし奇妙なことに貴族家の夫人や子弟の姿は非常に少なく、当主や青年貴族などが多く連行された。王国では古くから秋の収穫期になると一定年齢以下の貴族子弟が実母とともに霊峰マウント・ヒュービックを訪れ、豊穣への感謝と翌年の豊作を祈願する慣習があった。


というのは表向きの話であり、実のところ、子供の教育と収穫への感謝という名目で奥方と子供を遠ざけ、その機会に女奴隷や娼婦を家に連れ込み、淫らな乱痴気騒ぎに耽るのが、この秋の時期における貴族男性たちの密かな楽しみであった。


「報告します!貴族街と政府機関が制圧されました。多くの貴族と行政関係者、そして残った教会関係者が次々と帝国軍によって捕縛されています!」

「そうか・・・」


クリスは表情こそ暗かったがクリスの心の中は誰にも読み取れなかった。そして待ち望んだ『その時』が来た。


クリスはバスク以下の諜報工作員に特に指示を出し、以下の貴族家の状況を確認させた。クリスの実妹クロエを破滅させたローブ子爵家、ロランの母を無惨に踏みにじったシータ男爵家、タチバナに虚偽の告発をさせてクリスの義兄を害したモーリン子爵家、そして大学生だったシロタ青年を試験日の朝に拉致した幾つかの準男爵家。それぞれの貴族家がディック率いる帝国軍によってどのような運命を辿るのか。


諜報工作員からの報告によればいずれの貴族家も当主以下主だった人達はほとんどが帝国兵に捕縛されていった、ということだった。更に自分を養子に迎えたギャロット家当主も連行されたと報告があった。クリスはギャロット家当主だけを密かに救出する方法も考えたが、他の貴族や軍人に悟られず助け出す手段はなかった。養父から受けた恩は忘れていない。それでもクリスは、王国を作り替えるために情を捨てた。そして、後方に温存していたロラン中佐のもとへ出撃命令を下した。


「ロラン中佐。待たせたな。半刻後に出陣せよ。狙うは敵の総大将、ディック・ブライトンの首ただ一つだ。あとな、シータ家も帝国軍に捕縛されたぞ。恐らくこの後の運命は・・・わかるな」

「は!」

「なおディックの司令部周囲には、捕縛連行された貴族や政治家どもが人質として縛られている可能性が高い。人質は帝国軍を退けた後に救出すればよい。今はディックを討ち取ることだけを絶対最優先とせよ」


救出、と命じながら、クリスには彼らを救うつもりなど最初からなかった。交戦によって人質に犠牲が出たとしても、その責任もまた帝国軍へ押しつけられる。


「は! 力を尽くします」


平民の檻を破って自分を引き上げてくれたクリスへの狂気的な忠誠を胸に、ロラン中佐は部隊を引き連れ、出陣した!王都郊外には凄まじい地鳴りとともに黒い暴風が迫ってきた。


「な、なんだあの突進は!?」

「王国軍の騎兵だ! 速すぎるッ!」


ロラン率いる五千の精鋭騎兵隊は、破壊された北の城門から城外へ躍り出ると、帝国軍最高司令部へ一直線に突撃した。


「ディック・ブライトン! 勝負ッ!」


鬼と化したロランは大剣を振り回し、立ち塞がる帝国兵を肉塊に変えて突き進む!帝国軍の司令部付近にある臨時収容区画は、ロラン隊が城門からディックのいる司令部へ突撃するその進路上にあった。偶然ではない。諜報員から届いた最新の配置図によりクリスはその位置を承知した上で、進路変更を命じなかったのである。


「ま、待て!私は子爵だ! 助けた者には望むだけ金を払う! 頼む、止まってくれ!」


泥にまみれた豪奢な衣服の上を、軍馬の群れが容赦なく駆け抜けた。貴族、政治家、逃げ遅れた教会関係者たちは乱戦の下敷きとなり、蹄に踏まれ、流れ矢に射抜かれていった。


そして何とか自力で起き上がり逃げようとした貴族もいたが両軍が振り回す剣の餌食となり、次々と血を流して絶命していった。


「射て! あの黒人将校を射ち落とせ!」


四方八方から矢の嵐が放たれた。


「ぬおおぉぉっ!」


ロランの甲冑、そして甲冑の継ぎ目や露出した腕、腿へ矢が次々と突き立った。それでもロランの強靱な肉体は倒れず、その眼光はなおも燃え盛っていた。西の空に日が傾き始めたその瞬間。 両軍の司令部へ、血相を変えた伝令兵たちが雪崩れ込んできた!


「緊急報告! 王都南門より出撃した多数の王国軍が、凄まじい速度で帝国方面へ移動中! およそ四日後には国境を越えて帝国領へ入る模様です!」

「なにっ!?」


総司令官ディックの顔から、一瞬で血の気が引いた。


「坊っちゃん!奥さまと坊っちゃんが!!!」


ドギーの声も裏返っていた。


「クリスだ・・・・・・クリスの策だ! してやられた!皇城に残るのは近衛と老兵を合わせても二千ほどだ。一万に攻められれば持たん!」


帝国本土には、愛する妻フェリス・シーナイン・ブライトンと幼い我が子が待っている。これ以上皇城を無防備にしておくわけにはいかない。


「坊っちゃん、もう十分に復讐したじゃないですか。教会を解体しましたし王都の権威と城門を壊しました。腐った貴族どもにも結果的にですが多くが神の元へと召されました」

「全軍へ告ぐ! 王都への攻撃を中止し、直ちに城外へ離脱せよ! 騎兵隊は再編も待たず帝国へ急行し、皇城防衛に当たれ!」


ディックが悲痛な退却命令を響かせた、まさにその時。王都城門近くの瓦礫の向こうから、漆黒の外套を翻した「本物の悪魔」が悠然と姿を現した。アルカディア王国軍臨時総司令官、クリス・ギャロット中将。


冷酷な笑みを浮かべるクリスの左手には、首輪を握られ、薬漬けにされて虚ろな目をした姉メラニアが引きずられていた。 そして右手には、短剣を突きつけられてガタガタと震える実の兄、ブライトン伯爵家現当主の姿があった。


「あ・・・・・・あ・・・・・・っ! 姉上・・・・・・兄上・・・・・・!?」


姉へのかつての盲目的な執着は、とうに消えていた。だが、自分が王国へ置き去りにした姉が、首輪を嵌められ、薬漬けにされて引きずられる姿を見て、何も感じずにいられるほどディックは冷酷ではなかった。


「クリス・・・・・・貴様、姉上に何をした!」

「何をした、だと? お前が捨てた姉を、十年間大切に飼ってやったのだ。礼を言われても、恨まれる筋合いはないな」

「じゅ、十年ではない。八年だ!」

「そこを訂正する余裕はあるのだな。安心したぞ、ディック」


宿敵クリスが最悪のタイミングで突きつけてきたあまりにも残酷な最終手段の前にディック少将の復讐は、一瞬にして凍りつくこととなったのである。


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