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ヒュービック大陸興亡記  作者: 田中好雄
第7章 王都攻防戦
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7-7 復職

ディックによる教会の簡易弾劾裁判が執り行われていたまさにその最中。 沈黙する王都の内部においては、王国軍による「次の一手」の極秘準備が着々と整えられていた。


それは、徹底的な籠城を諦め、王都の城門を開き放って帝国軍へ反撃を敢行する決死の作戦であった。

このまま包囲され続ければ、早晩深刻な飢餓に直面することは火を見るより明らかである。この包囲状態を脱するには「城壁を出ての交戦」「迅速な和議」「食料搬入路の確保」の三つの道しか残されていなかったのだ。


王国政府はまずディックの実兄を交渉役として送り出したが、冷酷な矢の洗礼を受けて逃げ帰る結果に終わっていた。だが、この程度の失敗は最初から織り込み済みであった。歴史上、対等な和議を結ぶためには、攻め寄せる敵に対して予測を超える大損害を与え、継続戦闘能力をへし折らねばならない。その上で初めて対等な交渉の席に着かせることができるのだ。


また、表向きは帝国軍への反撃。だが政府上層部には、兵数を減らして籠城期間を延ばすという、口に出せぬ思惑もあった。しかし、この冷酷な引き算は、自軍の兵士を「厄介な食料消費のゴミ」として間引きすることを意味していた。誰もがその凄惨な現実に気づきながら、決して口には出さなかった。


この欺瞞に満ちた作戦を知ったクリスは、シロタへ吐き捨てた。


「和議しか頭にない愚か者どもと、血を流す兵を食料消費の厄介者としか見なせない無能どもめ。・・・・・・反吐が出るわ」


しかし残念なことに、政治家へ転じたクリスは軍の最高意思決定機関に席を置いていなかった。


やがて王都全体を深い夜の闇が支配し始めた頃、固く閉ざされていた巨大な城門が音もなく開き放たれた。 王国軍の精鋭「右翼軍二万」が一斉に闇へと躍り出たのである!狙いは、街道の先にある帝国軍「侵攻軍最高司令部」の壊滅。 だが、ディックら帝国軍の指揮中枢は、夜間は後方のティーツー要塞へと司令部を戻していたため、この夜戦は街道上に展開された警戒陣地を巡る凄惨な前哨戦となった。


奇襲を企てる王国軍にとって不運なことに、その夜は満月に近く、不気味なほど明るい夜であった。本来なら月のない夜を待つべきだった。だが王都の食料事情は、数日を待つ余裕すら許さなかった。隠れる場所のない王国軍に対し、警戒を強めていた帝国軍は敵の接近を容易に看破した。


「敵襲ーっ!!」

「弓兵、構えろ! 前方の木製柵越しに一斉射撃ぃッ!」

「ぐあぁぁぁ!?」

「上だ! 上から矢が降ってくるぞ! 盾を掲げろ!」


頭上からの死の雨を防ごうと斜め上へ大盾を掲げる王国兵たち。だが、それによって視界が遮られ、大盾の隙間を帝国兵の長槍によって横から執拗に突かれて絶命していった。両軍は夜の闇の中で凄まじい鮮血の犠牲を出し合った。


だが、帝国軍総大将ディックが、このような決死の夜間突撃を想定していないはずがなく、夜戦に出てきた王国軍に対する策を十分に全軍へ知らしめていたのである。激突地点の脇を、漆黒の外套を纏った帝国軍の別動隊が音もなく駆け抜けていく。 彼らは激戦を無視し、強固に閉じられているはずの「王都の城門」へと瞬時に取り付いたのだ。


その際、城壁上から矢が降り注いだが、別働隊は大盾を頭上へ重ね、犠牲を出しながら門へ取り付いた。


「門破りを打ち込め!門扉を歪ませろ! 閉じられなくしてやれ!」


ドスーーーンッ!! ドスーーーンッ!!


凄まじい鉄槌の破壊音が夜空に響き渡った。 これに極限のパニックを起こしたのは、城外へ打って出ていた王国軍右翼軍であった。


「な、なんだあの音は!?」

「バカな! 奴ら、城門を叩き壊す気だぞ!?」

「門が歪んだら俺たちは二度と城内に戻れなくなるぞ! 戻れ! 門を守れぇぇっ!」


本能的な恐怖に駆られた王国兵たちは陣形を完全に崩し、我先にと城門へ向けて狂ったように反転・突進した。 その無防備な背中へ向けて、帝国軍司令部からさらに濃密な矢の雨が降り注ぐ。城壁の前は、一瞬にして王国兵の死体の山で埋め尽くされたのだった。


翌朝。王都の最高司令部では、残された高級幹部たちが緊急招集され、全員が青ざめた顔で軍議を開いていた。だが、円卓を囲む将軍たち。その多くはクリスより二回り以上も年上だった。いまだメラニア事件による上級指揮官や司令官級の人材は不足しており、退役後の老軍人が何人も軍に呼び戻されていた。

繰り出される発言は、何一つまともな打開策もなく、ただの責任転嫁であった。


「右翼軍が壊滅だと!? 一体誰が指示を出したのだ!」

「何を言うか! 籠城の食料を減らすための出撃は貴殿も賛成したではないか!」

「いや、食料について小官は何も発言しておらんぞ」

「ええい、見苦しいぞ! 今必要なのは敵を追い払う策だ!」

「策などあるか! 前線の指揮官は平原戦で根こそぎ失われているのだぞ!」


醜悪な泥仕合が続く中、中央軍情報部の副司令官が、苦々しく絞り出すように発言した。


「もはや、我々にはこの窮地を打破する作戦案がございません。そこで・・・・・・非常に不名誉極まりない提案ではありますが、一つの案がございます」

「何だ? 申してみよ!」

「昨年、多くの貴族が失脚した混乱により我軍は深刻な指揮官不足を招いております。そこで臨時で政治家へ転進されたクリスティ・ギャロットを軍へ呼び戻してはどうかという提案です。彼は帝国遠征において『戦功一番』を勝ち取った優秀な作戦参謀でした。その頭脳に頼ることを提案します」


その瞬間、老将たちの顔が一斉にパッと輝いた。


「おお! ギャロットか!」

「そうだ、あの男なら帝国軍で兵糧作戦を成功させた実績がある!」

「いい提案だ! 今すぐ呼び戻せ!」


これで敗戦の責任をあの若造に押し付け、自分たちだけは安全な場所へ逃げ延びられる。老将たちは醜悪な笑みを噛み殺し、競うように賛意を示したのだった。しかしこれに対して強硬に反対意見を述べたのがバルト・シールド中佐であった。


「クリスティ・ギャロットの復職には断固として反対します」

「なぜだね」

「ギャロットは非常に頭が切れる男です。しかも恐らく王国を恨んでいる人物。このような危険な輩を軍に戻すわけにはいきません」

「バルト・シールド中佐。貴殿の発言には証拠はあるかね」

「いいえ、ありません。しかし長年、クリスを調べてきた私には直感めいたものがあります。クリスティ・ギャロットは王国を恨んでいます」

「わかった。根も葉もない、とは申すまい。貴殿の今までの活躍や貢献は大きな物がある。しかしな、事実なのかもしれぬが証拠がなくては採用のしようがない。せめて証拠なり証人なり、何とかするなら検討しよう。今日の夕方まで待つ」

「は!」


バルトには何も証拠がなく、証人もいなかった。しかしクリスの経歴を調べたバルトには確信めいたものがあった。クリスの実の家族に起きた不幸。その直後の養子縁組。軍人になったクリスはシロタ・カンタを副官に据えたがシロタの身に起きた入隊前の出来事はすぐに内容が判明した。そしてクリスの影に潜む妖艶な女性。どのような女であるかは調査しても不明だったが、どうにも只者ではない。


これらを見れば何か非常に大きな闇を抱えていることだけは分かったバルトであったが、証拠となると何も無かった。その直後、行政庁に出向いたバルトは思い切ってシロタを待ち伏せ、話しかけた。


「貴殿は、シロタ・カンタ殿だな」

「はい、そうですがあなたは?」

「初めてお目にかかる。憲兵隊所属のバルト・シールド中佐だ」

「は!初めてお目にかかります、中佐殿」

「ズバリ聞くが、クリスティ・ギャロットは王国に仇成す存在か?」

「中佐殿、急に何を言われます。そんな事あるわけがありません」

「ふむ、まあそうだな。失礼した」


バルトはこれでシロタが吐く、とは思っていなかった。しかし、証拠も証人も無いバルトにはもうクリスの復職を止めることは出来ない。しかし、それならばクリスが自由に動けないよう、外から見ている目があることを分からせておくくらいは必要であろう。その様な考えからシロタへ接触したが、やはりシロタはまったくボロを出さなかった。


そして同日夕方、バルトは昨日の老将に詫びを入れ、事態を見守ることを告げた。


そしてその日の夜、貴族院の執務室にいたクリスの元へ一通の緊急通達が届けられた。


「クリスティ・ギャロット元大佐へ下命する。未曾有の国難を鑑み、速やかに軍部へ戻り旧職務に復帰せよ。復帰後には正式な昇進と、全軍を指揮する要職への任命を約束する」


執務室で羊皮紙を受け取ったクリスは、冷酷極まる笑みを浮かべ、秘書シロタを見上げた。


「おい、シロタ。予想通り、無能どもから急場しのぎのお鉢が回ってきたぞ」


シロタも眼鏡の奥で不敵に目を細めた。


「クックッ。おめでたくもあり、哀れな老害どもですね。クリス様、どうなさいますか?」

「決まっているだろう。着替えるぞ」

「しかしクリス様。先ほどとある軍人が私のところに来ました」

「ほう?名は?」

「バルト・シールド憲兵隊中佐です。クリス様が王国に仇成す存在か?と私に聞いてきました」

「そうか。王国軍にも面白い人物がいるものだな」


クリスは埃ひとつないかつての大佐時代の軍服に身を包み、「大佐」の徽章を胸につけた。そしてシロタを伴って中央軍情報部の最高司令部へ悠然と乗り込んだ。

司令部の重鎮たちが、クリスを迎えるための昇進辞令書を読み上げようとしたその瞬間、クリスはそれを手で制し、氷のように冷たい声で言い放った。


「その紙切れを受け取る前に、私から唯一の条件を提示させていただきます」

「な、なんだと?」


クリスは老将たちを冷ややかに見下ろした。


「私に、アルカディア王国全軍の統帥権をお渡しいただきたい。帝国軍撤退までの間、軍事作戦に関しては国王陛下を含め、何者にも私の命令を覆させない絶対的な権限です」

「なっ!全軍統帥権だと!? バカな、一議員にそのような権限を授けられるか!」

「では、失礼する。どうぞ皆様で帝国軍とやらをお迎えください」


クリスが踵を返そうとした瞬間、中央軍副司令官が青ざめて叫んだ。


「い、少々待てッ!」


中央軍副司令官は大慌てで王城へ緊急伝令を飛ばした。 わずか半刻後。冷や汗を流しながら戻ってきた副司令官が、震える手で新たな辞令を差し出した。


「承知した。これより貴殿をアルカディア王国軍の臨時総司令官に任じ、全軍統帥権を与える。階級は臨時として国王陛下の大将位に次ぐ中将とする。この職務と統帥権、そして臨時階級は帝国軍が撤退するか、正式な和議が成立した時点で失効するものとする」


王国軍では国王が大将位にあり、職業軍人が到達し得る最高階級は中将であった。


「結構。だが、階級など要らん。必要なのは統帥権だけだ。もっとも、くれてやるというのなら、もらってやろう」


クリスは冷たく微笑んだ。その直後、国王臨席のもと、緊急の親任式が執り行われた。クリスは国王から直々に歴代の王国軍総司令官だけが佩用を許された金色の徽章を受け取った。


「頼むぞ、ギャロット・・・・・・我が国の行く末はそなたの双肩にかかっておる」

「お任せください、陛下」


深々と礼を執りながら、クリスの腹の中では黒い嗤いが込み上げていた。


これで王国軍のすべてがクリス・ギャロットという怪物の手足となった。 ディック率いる十万の帝国軍を文字通り地獄へハメ殺すための、最悪の大鉈が静かに振り上げられたのである。親任式を終えて臨時総司令部へ戻ると、待機させていたタチバナを呼びつけた。


「タチバナはいるか?」

「はい、クリス様」

「とうとう全軍が俺の指揮下に入ったぞ」

「おめでとうございます、クリス様」

「いよいよだ、いよいよ俺の復讐が始まるんだ!」


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