7-4 神罰
日が落ちても、両軍の野営地から緊張が消えることはなかった。夜襲を警戒する帝国軍司令部天幕で、ディックとスパイクは翌日の作戦を練っていた。
「スパイク、明日はどうなる」
「私にわかるはずがありません」
「では聞き方をかえる。明日はどうする?」
「少将はどうなさるおつもりでしょうか?」
「今日のやり方で成功したんだが敵も対策を考えるだろう。明日は絡め手を仕掛けてくるかもな」
「例えば?」
「そうだな。私が王国軍なら帝国本土で大洪水が起き、死者が続出している、そんな噂を流せば、敵は後方が気になるだろう」
「いいですね、それ。それを使いましょう!」
「では王都に大洪水が来た、という噂を流すか」
「いやいや、なぜ急にそんな雑な案になるんですか。最初の発想は良かったでしょう」
「ではどうする?」
「そうですね。捕虜を使いますか!」
スパイクの作戦はこうだった。ここまでに捕虜となった王国軍兵士を釈放し、王国軍に戻らせる。その際、感染症に関する偽情報を吹き込む。捕虜へ吹き込む噂は、次のようなものだった。
「帝国軍は妙な感染症にかかる兵士が続出している。この感染症は神の罰らしい。なんといっても神の祝福を受けた王国だからな」
「帝国軍には神罰病が発生した」
「肌が赤く腫れ、高熱になり、三日で死ぬ」
「捕虜の中にも発病者がいる」
まず数人の帝国兵へ高熱で苦しむ演技をさせ、顔には赤い湿疹を描いた。別の兵には咳と吐血を装わせ、捕虜の目の前で倒れさせる。解放時には巨大な焚き火の脇を通らせた。炎の中へ獣の頭や内臓、皮を投げ込み、人肉を焼いているような悪臭を漂わせた。
「もし私が王国軍司令部でその報告を聞いたら、もう戦えません。感染すると分かれば士気は崩壊します」
「卑怯なような気もするが」
「まあ卑怯ですよね。ではあと何千、何万の兵士が死んだらやりますか?」
「うむ、そうだな。いや、いいだろう。これで平民出身兵だけでも逃げてくれれば楽になる」
こうしてスパイクの策略が実行され、最初に数名の捕虜が釈放された。捕虜の中には、ベイク・ランスリー配下の元王国兵を紛れ込ませていた。彼らの役目は、原隊へ戻った後、各部隊で感染症の噂を広めることである。
そして次に釈放しようとした捕虜が帝国軍の偽装に気づいてしまった。それは燃えている炎で人を焼いているように見せかけようとして投げ込んだ豚の頭や内臓などを見られ、「豚の内臓をもっと奥へ放り込め・・・・・・」と帝国兵が漏らした呟きを、捕虜に聞かれてしまったのだ。
捕虜を率いていた帝国兵が真っ青になりドギーに知らせ、ドギーは作戦失敗を恐れてその捕虜が話せないように猿轡を噛ませ、ディックに進言した。
「ディック様、王国軍捕虜に偽装伝染病がバレましたな。こうなれば仕方ありませんな。殺しますかな」
「いや、それはいかん。捕虜虐待になるしその捕虜はまだ悪いことをしておらん。こちらの都合で捕まえたものを勝手に殺すことなど私にはできん」
「ディック様、もしこの伝染病偽装作戦が成功すれば敵味方とも大幅に戦死者が少なくなります。大局を見てご判断を」
「うむ、少し考えさせてくれ」
ドギーは苛立っていた。偽装を見破られる失態を犯した兵に。主人へ決断を迫りながら、自らは手を汚そうとしない自分自身に。しかしドギーは主人が被るべき泥をときには従者である自分が被る必要があることも理解していた。そして席を立ち、伝令に告げた。
「命令だ。その捕虜を処刑し、炎に投げ込め」
命令は即座に実行され、ドギーはディックに伝えた。
「ディック様、入ります」
「入れ」
「捕虜が死亡しました。原因は私にあります。私が自分の判断でその捕虜の処刑を命じました。ディック様のご判断を待つ前の勝手、どのような厳罰も受け入れる覚悟であります」
ディックは目を閉じた。命令を下したのはドギーだ。だが、その結末を望んだのが自分であることまで否定するつもりはなかった。
「そうか。処罰はせぬ。この罪は、お前一人のものではない。汚れ役を背負わせた。すまぬ」
ディックはそれきり、この件について二度と口にしなかった。
帝国軍から釈放された捕虜たちは当初、病気の話をせず各部隊へ戻った。原隊復帰後に、工作員が噂を広め始めていった。そしてその噂は王国軍司令部にも届いた。
「解放された捕虜を連れてこい、噂を確認する」
帝国軍から解放された王国兵の一人は、青ざめた顔で証言した。
「帝国では妙な病が流行っています。帝国軍の兵士が次々と倒れ、血を吐く姿を見ました。あと解放されるときに見かけましたが、巨大な火が燃やされていました。もしかしたら死亡した人を燃やしているのでしょうか、人体らしきものが積み上げられ、炎を上げておりました。私たちは運良く解放されましたが、まだ捕まっている捕虜はもう駄目かもしれません」
司令部が事態を把握した頃には、噂はすでに各部隊へ広がり切っていた。そしてすぐに軍の後方から騒ぎの声が聞こえてきた。
「何事か!」
「は!平民兵が百人規模の集団で離脱を図りました」
「なんと!」
「そのためやむなく見せしめとして先頭の一人を射殺しました。それを見た脱走集団はそこで脱走を中止しました」
「それはまずい。すぐに通達を出せ。帝国軍の神罰は王国軍には下されない。王国軍は神の祝福を受けた神聖なる軍隊である!王国軍は大丈夫だ、とな」
だがその通達もベイク・ランスリー配下の偽装兵が打ち消した。
「実はな、一緒に捕まって捕虜となった王国兵が何人も神罰病にかかったんだ。神罰病にかかった奴らはすぐにどこかへ連れて行かれてしまったよ」
平民兵は王国軍への忠誠と戦う意欲を急速になくしていった。なぜなら神罰を恐れて逃げれば味方に射殺され、味方の矢を恐れて残れば神罰病に襲われる。帝国軍の後ろで燃え盛る黒い煙は増える一方だ。恐怖に支配されてしまっていた。
そんな中、紛れ込ませた偽装解放捕虜が最後の演技を行った。それは顔に湿疹の赤い点を書き込み、化粧で顔色を土気色に染めた上で咳き込ませた。そして「神様、お助けを・・・」といって倒れたのだ。それを見た下級指揮官を含む周囲の兵士たちは、一斉に逃げ出した。
「一等兵殿、神罰です!」
「そのようだな」
「逃げましょう!」
「逃げたら矢で撃たれるぞ」
「でも神罰は恐ろしいです」
「そうか。無理には止めん。好きにしろ」
「わかりました。すみません!」
テイン・カースは、今更病気が何だ、病気でも戦死でも死ぬのは同じだろう、と思って逃げずにいたが、話によると昼間に話した新入りは味方の矢に射抜かれたらしい。
「馬鹿が・・・」
それは誰に言ったのか分からなかった。
そして翌日の朝日が上り、司令官は驚きの報告を受けた。
「司令!平民兵の二割が軍を離脱しました!」
「何だと!」
下級指揮官の一部まで逃亡を黙認したため、兵士たちは夜陰に紛れて四方へ散っていた。王国軍八万のうち、平民出身兵はおよそ七万二千。その二割、実に一万五千人近くが一夜で姿を消していた。
もちろん王国軍の周りに諜報員を放っていたディックもこの状況を把握していた。
「よし、戦わずに待機だ」
「坊っちゃんも策略家になりましたな」
「そうかもしれんな。だが、正面から斬り合うよりはいい。王国は敵国となっても、そこで生きる者まで敵視しているわけではない」
両軍が睨み合ったままディックは、さらに多くの焚き火を後方で燃やさせた。その黒い煙は王国軍からもよく見えたのだ。それがまた恐怖を誘った。そして日が暮れ、翌朝。
「司令官閣下、もう戦えません」
「平民兵は逃げたか」
「はい。残念ながら」
「残った兵の様子はどうだ?」
「問題は二つあります。第一に、残った平民兵の多くも恐怖に支配されており、今夜さらに脱走する可能性があります。第二に、次の戦闘で帝国軍と接触すれば、自分たちも感染すると信じ込んでおります」
「こうなっては致し方ない。ティーツー要塞まで撤退する」
「は!」
王国中央軍は、再戦の機会すら得られぬまま陣を畳み、双丘要塞ティーツーへ向けて撤退を開始した。
初日の刃が肉体を削り、二日目の神罰が心を砕いた。
八万を誇った中央軍は、わずか二日で戦う軍隊ではなくなっていた。




