↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヒュービック大陸興亡記  作者: 田中好雄
第7章 王都攻防戦
60/64

7-2 出兵

クリスが政治家へ転身し、二度目の秋を迎えた四十歳の頃。 アルカディア王国右翼軍の情報部から、国家の根幹を揺るがす極秘情報がもたらされた。それは実に十年ぶりとなる、ガルディニア帝国による大規模な再侵攻の予兆であった。


諜報員からの伝令によれば、今回の帝国軍には「画期的な新戦術」と、それを駆使する「少数精鋭の未知の部隊」が存在するという。実態を掴もうとした王国の隠密諜報員たちは、次々と正体を暴かれ、闇へ葬られた。しかし、彼らは多大な犠牲を払いつつその機密の断片を王都へ持ち帰ることに成功した。


裏付け調査を急ぐ王国軍であったが、事態は刻一刻と悪化した。 莫大な量の食糧、武器防具などの装備の集積、主要街道の急速な修復、数万頭規模の家畜の強制徴発、先遣隊による野営地の整備。さらに、帝国内のあらゆる地域で大規模な招集が行われ、大量の臨時兵が連日猛訓練を施されている光景が確認された。


複合的な兆候から、出兵はもはや疑いようのない事実であった。そして帝国が向かう先は唯一の陸上国境の先にあるアルカディア王国以外に存在し得なかった。


報を受けた中央軍は、即座に国境警備隊へ厳戒態勢を発令した。 糧食や装備の緊急備蓄、防壁の修復と対突撃設備の増設、そして何より「光伝令」の再訓練が急ピッチで進められた。


この光伝令は、かつてクリスが軍情報部時代に構築した独自の高速伝令網である。これは見晴らしの良い中継地点から、光の符牒を次々と送り継ぐ仕組みであった。符牒を用いた極めて短い文面であれば、早馬でも通常三日かかるところを、わずか半日足らずで王都の司令部へ届けることができる画期的な仕組みであった。 クリスが提案し訓練を経て実戦配備された最新鋭の伝令網が有益な成果を出したのである。


一方、帝国においては、皇帝により正式に侵攻軍の承認が行われ、三十六歳となったディック・ブライトン少将の「侵攻軍総司令官就任式」が厳かに執り行われていた。御前に進み出たディックに対し、皇帝は下問した。


「ディック・ブライトン少将、いや、侵攻大将軍よ、そなたに問う。今回のアルカディア王国侵攻の目的を示せ」

「謹んでお答えいたします。最大目的は、王国の完全なる解体、およびその国土の帝国への編入にございます」

「そこまで可能と思うか?」

「現実的には多大な困難を伴いましょう。しかし、王国の国王を捕らえ、政府上層部へ決定的な圧力をかけることは十分に可能と考えております。国王を捕らえた後は、帝国の意向を飲ませて属国化するも良し、莫大な賠償金を課して王国の国力を長年にわたり削ぐも良し、国王の子女を帝国へ人質として住まわせるも良し。これらを次善の目的としております」

「それはいいだろう。そしてそなたに聞く。我が軍の最大の課題は何か?」

「は!我が軍最大の課題は、補給線の長さと兵の管理です」

「補給線に関しては、王国国内で農村から食料を調達できるのではないか?」

「皇帝陛下。それは具体的に二つの手段があります。一つは金銭を出して購入すること。もうひとつは略奪をすることです。そして我が帝国軍は今回、いや、今後は王国の農村から食料を略奪することは致しません」

「ほう、なぜだ?」

「それは帝国軍の敵は王国軍であり、王国政府と王国の国王だからです。決して王国民を敵に回してはなりません」

「もう少し具体的に説明せよ」

「は!もし帝国が王国を併呑したらどうなるでしょう?その時から王国民は帝国民となります。一旦敵となった民よりも、敵ではない民の方が統治しやすいはずです」

「それは理解できる」

「はい。ですので王国民をできるだけ敵にせず、食料は買い上げ、農地も農村も荒らさず、です」

「あいわかった。ところで王国軍に対する徹底した調査はできているのだろうな?」

「は!今年に入ってから徹底して諜報員を放って調べさせております」

「その前提で問う。勝てるか?」

「は!勝てるよう全力を尽くします」

「うむ」


すべてを納得したわけではない皇帝ガルディニア八世であったが、王国民を敵にしない、という意見を聞いたことが初めてだったため、じっくりと考えてみるべきことと思ったのだった。


今回の帝国軍は長年行われてきた王国に対する小規模侵攻や突発・偶発的な戦闘を控え、戦力と兵員を動かすための補給を整えてきた。しかしあくまでもそれは帝国領内の整備と、そして王国領に侵攻した後は輜重部隊とその護衛兵の整備であった。それらの糧食とともに重要なことは、兵士の健康管理、治療や病気への対策、性の管理、王国領内でも振る舞い方や必要な物資の調達であった。


皇帝は将来まで見通したその現実的な回答に満足し、全権をディックへ委ねたのだった。そしてその翌日、皇帝臨席のもとで出陣式が行われた。その後、十万の侵攻軍を進発させたディックは、行軍と兵站の実務を後方任務の専門家、サトウへ託した。サトウは、ディックが帝国へ亡命して反乱騒ぎを鎮圧した直後、軍から後方参謀候補として推薦された平民出身兵だった。


「サトウと申すか。家名は何だ?」

「はい。サトウが家名にございます。サトウ・ジロウと申します」

「サトウ、お主は平民出身の一等兵ということだが、なぜ後方部隊の仕事に精通している?」

「は!二等兵の頃から長年、ディック様の奥方であるフェリス様の下で働いてまいりました」

「なに!フェリスの下にいたと申すか」

「は!」

「そうか、分かった。ではこれからは俺の元で後方参謀として働け!」

「は!」


その後サトウ一等兵の働きぶりを見定めたディックは、彼を正式に後方任務の専門家として重用するようになった。


「そなたの軍務記録を見たが、十四年前の王国遠征では、五千人の部隊の撤退を実質的に指揮したそうだな」

「そのようなこともありました。間違いありません!」

「そうか、あの見事な撤退はサトウの仕業だったか」


あの撤退を成功させた人物だと知り、ディックの信頼は決定的なものとなった。


今回の出兵は帝国の大都市の人口に匹敵するほどの十万もの出兵である。当然ながら指揮官級の人員よりも平民兵を中心とした上等兵以下の兵隊が九割を占めるため、しっかりとした平民兵の管理ができなければ帝国軍は戦う前から瓦解し兼ねない。


そこでディックは後方部隊の専門家である妻のフェリスの助言を得、反乱軍事件以降に側近となったビスボン少佐を表向きの行軍を中心とした行軍司令官に任命した。


そしてビスボン少佐の直下にサトウ一等兵を配置し、実際にはサトウ一等兵の指揮のもとで行動を行うこととした。ディックは出兵準備の合間にサトウに聞いた。


「サトウ、大軍が移動するときに最も重視しなければならないことは何だ?食料以外で重要な事を三つ、上げてみてくれ」

「は!食料以外では衛生管理、性欲管理、治安管理です」

「具体的にどう対処する?」

「は!まずできるだけ侵攻した先の村民に被害や損害が出ないようにします。つまり、敵は敵国軍隊とし、敵国民とは敵対せず、です。そうすることで食料を村民から金で購入したり、村が協力的であれば、娼婦や従軍希望者の紹介を受けられる可能性があります。

「ふむ。続けてくれ」

「は!行軍中は水浴びや湯浴みができません。運良く川沿いを行軍できればいいですが、それでも飲用水の確保が先です。ですので行軍中は不衛生になります。また、行軍中の排泄は近隣村落に大きな迷惑をかけることになります。なのでできましたら排泄のたびに地面に穴を掘り、排泄後に埋め戻すこと。小さなことですが疫病の蔓延も防げます」

「ふむ、そのようなことも大軍では気にしなければならないのだな」

「は!そして重要なことが性欲処理です」

「ふむ、それは理解できる。しかしここは軍だ。そのようなことは我慢すべきだろう」

「そのお気持ちは理解できますが、しかし多くの兵は平民です。性欲はディック様が思うよりも遥かに恐ろしいです。どんなに厳格に縛っても例えば相手国の村近くを進軍したときに女性の姿が見えたら一気に兵士が群がって乱暴を働く、などの行為は昔からありましたし、そうなったらもうその村落と有効な関係にはなれません」

「ではどうしたらいい?」

「は!以下の策をご検討ください。まず、お金で来てくれる娼館の女を従軍させます。もちろん十分に報酬を渡します。次に奥方、恋人がいる兵士は奥方、恋人を同行させます。もちろん他の兵士に乱暴されないよう、十分に軍が護衛を行います。この点に限っては帝国軍がもつ規則である女性士官を前線に送らない、ということをやめ、兵士の奥方や恋人を護衛する部隊の指揮官に女性士官の活用を提案したいのです」

「それらを行うと軍の性欲管理はやりやすくなるか?」

「は!女性に飢えた兵は戦闘時には問題ありませんが非戦闘時には問題行動が頻発します。女性との接触を長く絶てば中には男色へ走る者も現れます」

「分かった。ではお主の献策を十分に反映できるようにしよう。ビスボンとともに献策をまとめて提出しろ。私から軍に言って許可を取ろう」


こうして帝国軍の出兵では、娼館の女、兵士の恋人や奥方で従軍を希望する者、の同行とその警備が認められた。また、帝国の内外を問わず先遣隊を行軍先に派遣し、村々で備蓄されている食料の高額買取りや女性の提供、傷病兵の一時的な休息などが前もって打診され、また、受け入れの有無に問わず帝国軍はその村々には一切手出しをしない、と確約がなされた。


そうした努力もあり、後年、この出兵の記録では「もっとも帝国軍の威信を示した輝かしい最初の出兵」と評された。そしてサトウとのやり取りがなされた日の夜、寝室で二人きりになったディックは、昼間のサトウとのやり取りをフェリスへ話した。


「サトウに様々なことを教えたのはフェリスと聞いたが、サトウの献策をどう思う?」

「サトウの献策で間違いありません。ただ、まだまだのところがありますわね」

「ほう、聞かせてくれ」

「まず、兵に支払う事前の報酬をもう少し増やして下さい。せっかく娼婦を連れて行ったのにお金がなくて、ということになります。報酬は後で換金できる木札などでいいですわ。あと、飲料水だけは最優先になさってください。川の上流で体を洗ったり洗濯をするとその下流で取った飲料水は問題が生じます」


ディックはなるほど、サトウの先生だな、と思ってフェリスを見つめ、また妻を抱き寄せて汗を流した。そして出陣式を終えた帝国軍は皇城を出発し、南下を開始した。


「いいか、全軍に徹底させろ! 軍を二つに分け、二本の国境街道へそれぞれ分散して進軍させる!」


行軍の地図を広げたディック少将の言葉に、副官ドギーが眉をひそめた。


「ですが坊っちゃん、兵を二手に分ければ各個撃破される危険があります。連絡にも時間がかかりますぞ」

「国境警備隊に野戦へ出る余力はない。合流地点と時刻はサトウが計算している。敵と接触する前に合流できる」


ディックは指で街道を示しながら、呆れたように首を振った。


「サトウの計算では、ひとつの街道に十万を詰め込めば、隊列が伸びすぎるしひとつの街道に糞尿などの負担もかかり過ぎる。更に王国に入ってからもし側面を突かれれば容易に分断される」

「なるほど、各個撃破の危険はあるが、長大な一列を作るよりも、二本の街道を使って短時間で進み、予定地点で合流する方が総合的な危険は小さい、というわけですな」

「そうだ。国境を越えたら、両部隊は最短距離で合流する。王国軍と相まみえる前に全軍を一つにまとめるぞ!」

「は!坊っちゃんの仰せのままに!」

「坊っちゃんはやめろと、何度言ったら分かる・・・・・・!」

「は!分かりました、大将軍!」

「・・・・・・」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。