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ヒュービック大陸興亡記  作者: 田中好雄
第7章 王都攻防戦
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7-1 転身

あの「告発文」を寄せた謎の貴族女性の特定を命じられて以降、中央軍情報部の司令官たちは、クリスティ・ギャロット情報部参謀に対して不信感、とまでは言えずとも、容易には信用しがたい不気味な底知れなさを感じ始めていた。


そして当のクリス自身もまた、このまま王国軍人として組織の枠内に留まり続けることに強い限界を感じていたのである。


ある日、シロタはクリスから告げられた。


「シロタ、軍を辞めるぞ!」

「突然気でも狂いましたか?クリス様」

「そんなわけあるか!色々考えたのだがな、軍人では天井が低すぎる。軍隊という暴力を担う実力組織のことは、よく分かった。次は権力だ」


それを陰で聞いていたタチバナが、珍しく自分から口を挟んだ。


「クリス様、反対ですわ」

「なんだ、タチバナ。お前は反対か?」

「はい。反対ですわ。政治家になれば、一番の下っ端から始めることになりますわ。しかし軍では既に大佐。この後は将軍にもなれますし最高位まで上り詰めることも出来ましょう」

「シロタはどう思う?」

「そうですね、この点ではタチバナ様のご意見に賛同します」

「しかしだな、伸びしろという意味では軍人の伸びしろはもうあまりないぞ。大佐の上は准将、少将、中将だ。王国軍は大将が国王ゆえ大将にはなれん」

「別に伸びしろのために軍人をやっているわけではないでしょう。目的達成のためにはどうか、です」

「そうだ、その目的だ。私の目的は復讐だし、それに付随する目標がある。それが、国家予算の使い道を決める議員の長になることだ」


クリスは、税金が貴族のために使われ、その使途を議員が決めていることを二人へ説明した。


「クリス様が議員になられても復讐は可能なのですか?」

「あぁ、可能だ。特にブライトン家などの一流貴族へはやりやすくなるかもしれん」

「ですが貴族家が実力部隊を使ってきたらどうしますか?クリス様は貴族とはいえ準男爵家。準男爵家では実力部隊などあってないようなものですからご自身を守れません」

「そうよクリス様、シロタの言う通りですわ」

「しかしな、実力部隊を出させるようなことをしなければいいんだろう?大丈夫だ」

「クリス様がそこまでいうなら」

「駄目よシロタ、軍にいた方がいいでしょう?どう考えても貴族と対立したときの対処は軍の方がやりやすいわ」

「まあクリス様の決意は固いようですし、もし何かあっても私が切り抜ける方法を考えます」

「おいおい、俺はそんなに信用ならんか?」

「まあそういうわけではありませんが、タチバナ様が心配なさるお気持ちも察してあげてください。大好きな人なんですよね?」

「うむ、まあその、だな。えっと、タチバナ。お前の仕事はまだであろう?」

「そうですわね、すぐに行きますので失礼しますわ!」


なんだ、タチバナも可愛いところあるんだな、と心のなかで思ったシロタだった。そんなシロタの気持ちを知ってか知らずかクリスは強引に話を戻した。


「裏方とはいえ、軍の上層まで来たからこそ理解できた。これ以降は軍じゃない。政治だ」


軍は行政組織の一部に過ぎない。権力順位は国王、政府、議会、行政組織。つまり軍は四番目の権力だった。クリスがどんなに軍で上り詰めても結局は、第四位に位置する組織の長に過ぎない。そのため彼は軍を抜けて二位の座を狙うことにしたのだ。

まず議会へ入り、そこを足場に政府の頂点へ上る。狙うのは二位の座、政治の長たる首席宰相である。


「クリス様が軍の頭上に君臨する行政庁長官よりも、さらに上の権力を握ればどうなりますかね?王国の貴族は相当嫌がって反対工作しそうですね」


三十七歳のクリスティ・ギャロット大佐が下した決断。 それは「軍人から政治家へ」の転身であった。

そしてそんな軍を辞めるクリスを見て密かに胸を撫で下ろす人影がいた。バルト・シールド中佐であった。しかし彼もクリスが政治家を目指すことを知れば別の不安を感じていたことだろう。


なお、バルト・シールド憲兵隊中佐はその遠慮のない性格から上司によく思われず、手柄を得る機会を度々同僚や後輩に譲らされてきた結果、いまだに中佐階級であった。しかし本人は何も思っておらず、日々愛国心を燃やしていた。


クリスは翌年行われた王国議会選挙に、貴族院議員候補として立候補した。得票率第一位の圧勝を収め、初当選を果たした。その当選を決めた夜、クリスは自室で赤ワインを注ぎ、タチバナと祝杯をあげた。


「乾杯」

「クリス様の当選に、乾杯」


この日のワインは特に爽やかな辛口で喉を滑り落ちた。


「クリス様、当選おめでとうございます」

「タチバナ。裏で色々と動いてくれたこと、感謝する」

「当然ですわ。ですが他の立候補者を蹴散らして得票率一位ということには驚きました」

「まあ当然だろう。軍時代に帝国の皇城を落とした兵糧攻めを軍が散々宣伝してくれたからな。救国の英雄、クリスティ・ギャロットだ、と。軍が当選させてくれたようなものさ」

「ですがそれを活用されたのも手腕ですわ」

「そうかもしれんが、裏で他の候補者の醜聞を暴き、引きずり下ろしてもらったことも大きかった」

「お役に立てたのでしたら何よりですわ」


当選直後からクリスは新人議員でありながら連日「国政改革」と「軍政改革」を熱っぽく唱え、怒濤の如く精力的に活動した。彼が特に強く弾劾したのが、旧態依然とした身分優先の人事の仕組みにより才能ある若き芽がことごとく摘まれていく軍部の異常な現状であった。その最たる悪例が、忠実な部下であるロランだった。


ロランの戦場における武勇は文字通り一騎当千。制度上、平民兵士が到達し得る最高階級は少尉だった。だが実際にそこまで昇った者は、過去三百年、一人もいない。その一つ下の階級の准尉であっても平民出身兵が准尉にまで登った例は珍しいのだ。そして肌が黒いというただそれだけの理不尽な理由で、ロランは未だに「二等兵」の地位に据え置かれたままであった。


そしてこれはロランに限った話ではない。情報部が誇る天才シロタ・カンタであっても、平民出身であるがゆえに同じく「一等兵」止まりという冷遇を受けていた。


クリスの試算では、もし適正な能力評価が存在していたならばロランもシロタも現時点で間違いなく「中佐」以上。ロランに至っては「大佐」階級であってもおかしくない傑物であった。


ある日、クリスはシロタに命じた。


「シロタ、王国軍の過去数百年にわたる人事事例を徹底的に収集・分析してくれ。目的は平民出身兵士や軍人の出世記録だ」

「そんなものは調べなくても分かると思いますが、わかりました、二日ほどお時間を頂きます」

「いや、客観的な記録を知りたいんだ」


そしてきっかり二日後にシロタが戻ってきた。


「クリス様、こちらが資料です。概略を説明しますと、過去三百年にわたり平民出身の兵士が准尉を超える階級へ昇進した者はおりませんでした。過去三百年間の記録では平民出身兵の退役時階級は、二等兵が数千万、一等兵が数十万、上等兵まで昇った者はわずか百三十人、准尉に至っては四人でした」

「つまり平民出身の准尉が出る可能性は八十年に一人、ということだな。能力ある者が、血統と肌の色によって一生泥をすすり続ける国家か」


政治家クリス・ギャロットが最初に狙いを定めたのは、この王国軍の頭上に厳然と横たわる「目に見える天井」の完全なる破壊であった。


それは単に軍政を改革するだけではない。いずれ帝国軍を率いて戻ってくるであろうディックを迎え撃つための軍隊を自らの手で再構築するための布石に他ならなかった。


だが、クリスも理解していた。肌の色による差別は、軍だけを変えれば済む問題ではない。奴隷制度や貴族制度もまた、王国社会全体に深く根を張っている。貴族が建国の功労者の末裔として一定の尊敬を集めているのも、王国に根付いた価値観であった。


こうした歴史的背景と各階層の利害を踏まえながら、改革案を組み立てなければならない。そして議会へ法案を提出し、審議を経て、最終的に議員の多数決で可決させねばならない。


「シロタ、お前が衆民院議員ならどうする?どうやって、軍において貴族、平民、奴隷を平等に扱う法案を可決させる?」

「そうですね、私なら・・・教会を引き込みます。二十人の教会議員に工作をかけます。金では貴族にひっくり返されますから弱みを握って脅します」

「それもいいな」

「クリス様ならどのようになさいますか?」

「簡単だ。貴族院と衆民院は同数だ。ならば貴族院議員を二、三人、採決へ来られなくすればいい。衆民院が全員そろえば可決できる。二、三人を罠にかける程度、造作もない」


王国の政治史においても、正義感に燃える貴族出身議員が改革を訴え、採決までこぎ着けた例は何度かあった。だが、そのすべてが否決されてきた。それこそが、現状維持を望む勢力が長年暗躍してきた証拠であった。


ふん、どれほど腐りきった盤面であろうと、楔は打ち込んで見せる。暗い執務室で、政治家クリス・ギャロットは不敵な冷笑を浮かべた。来たるディックとの決戦に備え、使えるものは何であろうと使い尽くすつもりだった。


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