6-7 狂乱
時間は一年ほど遡る。クリスティ・ギャロット中佐、三十六歳の夏に王都の一角で、後に「オルガノ事件」と呼ばれるようになった事件が勃発した。
それは王都の一角にあるオルガノ公爵邸で起きた近年稀に見る大きな規模の集団わいせつ事件であった。この事件の首謀者はオルガノ公爵であり、その裏にはメラニア・ブライトンがいた。そしてこれはクリスが軍人時代の最後に関わった事件となった。
事件のあらましは以下である。
メラニア・ブライトンはオルガノ公爵家で約三年を過ごしていた。そして最近は公爵の性癖を深く理解し、その急所を完全に掴んでなんと、オルガノ家の裏の支配者となっていた。
「公爵様、公爵様は本当に若い女性がお好きなんですのね」
「まあワシも男だからの」
「そうですわよね。でも、この王国で二家しかない絶対の存在である公爵様は、もっとたくさんの女性を囲っていると思っておりましたわ」
「ワシ個人としてはそうしたいが、我が家の品格としてはできんのだ」
「あら、そうでいらっしゃいますの? では私が公爵様への恩返しに、素敵な女性たちを用意して差し上げますわ」
「ワシのことがバレるわけにはいかんが、できるのか?」
「大丈夫ですわ。誰だか分からないよう、顔を隠した仮面夜会にいたしましょう」
仮面、と聞いて以前発生したディック・ブライトンによる覆面兵団のことを思い出して不吉さを感じたオルガノだったが、仮面と覆面は違う、と思い込んだ。
オルガノ公爵家は、王国に二家しか存在しない公爵家の片方であり、王国の絶頂期を根本から支えた由緒ある家柄であったため、「絶頂と雅のオルガノ」と呼ばれていた。そしてもうひとつの公爵家はバギネルといい、王国の郊外や地方で特に権力を持ち、武力を背景にした立ち振る舞い、王都を包み込むように支えたため、「包容と武のバギネル」と呼ばれていたのである。
またオルガノ公爵家は長年に渡り王国聖導教会の大司教を輩出してきた家格だった。大司教は王国聖導教会の事実上の最高権力者であり、大司教の上には教皇たる国王陛下しかいなかった。そして現オルガノ公爵も王国聖導教会の大司教職を担っており、王国において宗教的な最重要の重職であった。
そして対抗のバギネル公爵家では近衛兵団の団長こそ長年、配下のブライトン伯爵家、もしくはランスリー伯爵家に譲ってきたが、両家が出せないときにはバギネル家が団長を輩出した。そして軍の警察たる憲兵隊をまとめる総監、そして中央軍司令官、地方の治安を引き受ける辺境・国境警備隊司令官、などの国軍をまとめてきたのがこのバギネル公爵家であった。
メラニアは、そのオルガノ公爵の元で約三年を過ごした。
「公爵様、準備はすべて整いましたわ・・・・・・」
メラニアが企てた仮面夜会。それは王国聖導教会への復讐のためオルガノ公爵を使い、結果として門閥貴族を巻き込んだ壮絶な復讐計画であった。
オルガノ公爵が計画した宴席は表向き、王国聖導教会の司教、神父とオルガノ派貴族たちの親睦と結束を深めるための優雅な社交会。しかしその裏にはメラニアが仕掛ける欲と汗と快楽の狂宴があった。広大な宴会場に振る舞われたのは、メラニアが用意した酒と肉。少し薄暗い照明に厚く閉ざされた窓。そして長時間の薬効が続く強烈な媚薬・・・
オルガノ公爵は配下のオルガノ派貴族、そして配下の王国聖導教会の司教、神父たちを集めると、にこやかに宴席の開始を告げた。
「皆様の執事や従者、馬車はすべてお引き取り願った。今夜は無礼講だ。オルガノ公爵家が責任を持って皆様をお送りするゆえ、心ゆくまで楽しんでいただきたい!国王陛下万歳、聖導教会万歳!王国に神の祝福を!」
こうして王都郊外に用意された公爵家の広い屋敷に、数多くのオルガノ派閥の貴族たちと教会関係者がおよそ百二十名ほど集まった。そしてメラニア渾身の一撃となる宴会が始まったのだった。
「ブライトン伯爵家もこの場にいれば、まとめて地獄へ落としてあげられましたのに」
壁際で葡萄酒の洋杯を傾けながら、メラニアは密かに毒づいていた。ブライトン家は雅なオルガノ派ではなく無骨な色が強いバギネル派貴族だったのである。
宴会も最初の内は立食形式での和やかな宴であったが、夜が深まるにつれ、その様相は一変した。給仕を務めていた男性奴隷がすべて下がり、代わりにメラニアが連れてきた若い女奴隷たちが入ってきたのだ。
「さあ、皆様。素敵なお酒をどうぞ」
彼女たちは全員が飲酒で酔っており、さらにそのお酒には最近開発されたばかりの、長時間の薬効が続く強烈な媚薬が投入されていた。そして露出度の高い衣服をまとった女奴隷たちが千鳥足で入ってきては、次々と葡萄酒を差し出す。
「む? なんだか急に視界が」
「脳がギュッと鷲掴みにされるようだ。身体が熱いっ!」
葡萄酒を口にした貴族と司教、神父たちは、気がつけば異様な興奮に包まれていた。
「おい、この女たち、奴隷じゃないか!」
「ハハハッ! 奴隷ならどう扱っても構わんだろう!」
最年少で当主を引き継いだばかりの若い侯爵が、ひとりの女奴隷を乱暴に捕まえた。
「おお! ワシも我慢できん!」
「!」
薬物の影響で正常な判断力を失った貴族や聖職者たちは、次々と醜悪な乱痴気騒ぎに身を投じていった。
その凄惨な光景を、壁際の寝椅子にゆったりと横たわったメラニアは、葡萄酒の洋杯を片手に冷ややかな笑みを浮かべて眺めていた。
「あはっ!見苦しい豚ども。存分に果てなさいな」
宴が最悪の絶頂を迎えたその瞬間。
バターンッ!!
厳重に閉ざされていたはずの宴会場の扉が、大きな音とともにこじ開けられたのである。
「これはこれは、オルガノ公爵殿のようだが、随分ときらびやかな仮面ですな。首から下は酷い状態ですが」
「いや、違う! ワシはオルガノではない!」
取り乱す男を見下ろし、バギネル公爵は連れてきた憲兵隊に素早く指示を出した。
「憲兵隊! 皆さんは暑がっておられるようだ。涼しくなるよう、親切に仮面を剥いで差し上げなさい!」
「はっ!」
次々と仮面が剥ぎ取られ、ついにオルガノ公爵の仮面も力ずくで剥がされた。
「ひぃっ!」
オルガノ公爵は衣服を乱したまま寝椅子の上で醜態を晒していた。その傍らには、薬物の影響で正気を失った女奴隷が横たわり、身をクネらせていた。
「な、なにをする! ここはオルガノ公爵家の屋敷だぞ! 貴殿は何の権限があって入ってきた!? 不法侵入ではないか!」
「それはそうなのですがね。軍の憲兵隊からも、ぜひに、と言われては、私も致し方ありませんでな」
「なに!?」
バギネル公爵の後ろから憲兵隊が歩みでて、さらにその背後から、クリスティ・ギャロット王国軍中佐が姿を現した。
「け、憲兵だと!? 憲兵が何だ! 私が我が家で何をしようと勝手だろ!」
「オルガノ公爵閣下。それはそうなのですが違法薬物の使用、そして多人数によるわいせつ行為となると話は変わります!」
話は少し遡る。
メラニアがオルガノ公爵家で復活の兆しを見せた後、クリスは隠密に命じていた。
「どうせメラニアのことだ。復活すればろくでもないことを考えるに決まってる。徹底的に探れ!」
メラニアは昔の友人であったランディと久しぶりに再開し、ランディから媚薬を大量に買付けた。さらに奴隷商から見栄えの良い女奴隷をかき集めていた。クリスの諜報員はすぐにランディ、そして奴隷商に接触したがメラニアが何をたくらんでいるか、までは知らなかった。
その奴隷商からは奴隷一覧表をバスクの軍権限で押収させ、奴隷女と接触して買収した。その結果、メラニアの最終的な目的までは不明であったがオルガノ公爵家に多数の奴隷女が呼ばれていること、酒が飲めて避妊薬を飲めること、処女ではないこと、などが確認されたという。若い女を大量に集め、酒を飲ませ、避妊薬まで準備する。これほどの人数となれば、狙いは乱交宴会しかあるまい。
報告を受けたクリスは鼻で笑った。
「なるほど、先祖からの因果応報。いや、オルガノ公爵は大司教だ、ということは教会への復讐だな。これは使える」
クリスは軍の憲兵隊を動かし、さらにバギネル公爵のもとへ足を運んだ。
「バギネル公爵閣下。オルガノ派閥を一網打尽にする、千載一遇の好機がございます」
「ほう、ギャロット中佐、詳しく聞かせてもらおうか」
そして淫靡な宴会の当日、バギネル公爵は憲兵隊を従え、クリスの合図とともに突入したのだった。
「な、なんだこれはっ!?」
踏み込んだバギネル公爵と憲兵隊員たちは、あまりの惨状に絶句した。
「ひ、許してくれっ!」
「あはぁっ、もっとっぉ!」
オルガノ公爵をはじめ、傘下の貴族当主や嫡男たちは、薬物の影響で醜態を晒していた。衣服も乱れ、宴会場には目を覆いたくなるような光景が広がっていた。彼らは一網打尽の形で、動かぬ醜聞の証拠とともに捕縛された。罪状は「違法薬物の使用」と「大人数によるわいせつ行為」である。
「大人数でのわいせつ行為だと!? 貴族が何をしようと勝手だろうが!」
「お忘れですか? 数十年前に近衛兵団団長を輩出していたブライトン家の当主と軍が組み、政治力を駆使して成立させた法律ですよ。その時には聖導教会もその法律の成立に一役買ったと言われています。治安と風紀を乱す愚行は神の威光に背く、とね。」
クリスが冷ややかに言い放つ。皮肉にもその法律によって、オルガノ公爵派閥の三十一家近くに及ぶ貴族家の当主と嫡男たちの政治的生命、そして多くの聖導教会司教たちの名誉は、一夜にして完全に壊滅したのである。
「うぅ、許してくれ、頼む!」
全裸のまま地を這って命乞いをする公爵の前に、メラニアが静かに歩み寄った。その手には、密かに飲み干した媚薬の空瓶が握られている。
「オルガノ公爵、貴方は私を地獄から救ってくださった。感謝いたしますわ公爵。でもね、あなたが大司教なのは始めから分かってた。私を地獄に落とした罰を受けなさい!」
「メラニア、お前っ!」
媚薬の効果により焦点が定まらなくなり、膝から崩れ落ちるメラニア。
すかさずクリスがその身体を抱き支えた。
「あなたはギャロット! ギャロットじゃないの!」
メラニアはクリスを睨みつけ、最後の力で叫んだ。
「ころしてやるーっ!」
しかし、全身に巡った媚薬が急速に効果を発揮し、うわ言のような声を漏らすとすぐに大人しくなった。
「バギネル公爵閣下、ならびに憲兵隊長殿。このメラニアはあのブライトン伯爵家の長女であり、現在は追放されている身です。ですが非常に危険な娘ですので、私が預かり保護した上で、適切な治療のもとで回復しましたら裁判を受けさせようと思いますが、よろしいでしょうか」
「む、ギャロット中佐に任せよう。よいな、憲兵隊長」
「はっ! 異存ございません!」
憲兵隊長も厄介払いができると安堵の表情を浮かべた。意識を朦朧とさせるメラニアを抱き抱えながら、クリスは口元を歪めた。
「メラニア、お前は本当に役に立ってくれたいい女だったな。だが、ここで殺してしまうのは惜しい。どこかもっと面白い場所で、もう一花咲かせてやろう」
腕の中の劇薬をどう使うか、胸の中で新たなる策略を練るクリスであった。
オルガノ派三十一家。そのうち当主と嫡男の大半と、王都と郊外にある聖導教会の司教の八割と神父の二割が逮捕された。翌日、議会では議席の半数近くが空席となり、政府の会議室にも軍司令部にも欠席者が相次いだ。政治も軍務も混乱に陥り、王国はかつてない行政麻痺に見舞われた。そして王国聖導教会も組織的な教会活動に大きな支障を生じることとなった。その日以降、政治の現場も軍務も教会も混乱に継ぐ混乱が続き、事態の収拾にはまったく目処が立たない状況が続いた。
クリスはこの事件で中佐から大佐へ階位をあげた。これはバギネル公爵がオルガノ公爵失脚のきっかけを作ったクリスに対する礼であった。クリスは貴族に対する私的な感情はともかく、階位を上げる結果となったことに満足した。
「タチバナはいるか?」
「はい、クリス様」
「メラニアを預かってくれ。逃さず、適当な男を与えて暴れさせるな」
「分かりました。でも殺しませんの?」
「まずはジュリアンの件だ。自白させたい。あと、これだけの大成果を出したんだ。メラニアのためにも最高の舞台を用意してやらんとな」
「そうですわね」
そしてこれらメラニアが引き起こした事件は王国軍憲兵隊から詳細な報告が軍上層部へあげられ、更に関係者からの聞き取り調査などを経て全てが王国全軍司令部記録処の若手担当官、リノス・ヤーヴェア少尉三十歳によって詳細に記録され、王国軍書物庫に納められた。




