6-3 奸計
シロタは、ミルキーの口を完全に封じるための仕上げに入った。 彼女に自らを徹底的に惚れさせ、精神ごと骨抜きにする工作である。シロタは幾度もミルキーと密会を重ね、彼女の心を完全に虜にしたのだった。
再び設けられた密会の席で、シロタはソファーに深々と腰掛け、眼鏡の奥の冷淡な瞳でミルキー・ランダーを見つめた。
「侍女殿」
「ミルキーと及びください」
「・・・・ミルキー殿。私のことや、メラニア様の秘密を私に売ったことを外部に一言でも漏らしたら、もう二度と君とは会わない」
突き放すような冷たい声。だが、ミルキーは怯えるどころか、真剣そのものの熱い眼差しでシロタを見つめ返した。
「シロタ様とまたお会いできるのでしたら・・・・・・私、今ここで死んでも構いませんわ」
完璧に口を封じたシロタはタチバナの元へ戻り、ミルキー・ランダーから引き出した「メラニアの裏切り計画」の全貌を報告した。報告を聞いたクリスの判断は、冷酷そのものであった。
「ふむ。ブライトン伯爵家から勘当されたメラニアは泣いて怯えているかと思っていたが・・・タチバナを娼館に売ろうとしていたのか。中々の気丈ぶりだな。タチバナ、子細はお前に一任する。メラニアを娼館に落とせ。その後は策がある」
「承知いたしました」
タチバナは静かに深く首を垂れた。
そしてシロタがタチバナに話しかけた。
「ですがタチバナ様。王国の法律上、単に女性を拉致して娼館へ売るだけでは通用しません。女性が娼館で働くには2つの条件があります。ひとつは女性自身による娼館勤務の承諾書、そしてもうひとつは娼館所属の証明となる太もも内側への特殊な入れ墨です。メラニアはどうするつもりなんでしょうか?」
「さあね、恐らくは誰かに頼むんでしょうけど、今のメラニアに協力する人なんかいるのかしら?」
そしてタチバナは冷ややかにその時を待った。 それは、メラニアがタチバナを娼館へ売り飛ばそうと動く具体的な決行日であった。
メラニアの計画は、タチバナを自身のアパートへ誘い出して睡眠薬で眠らせ、待機させた入れ墨職人に処置をさせ、その間に偽造書類へタチバナの拇印を押させるというものであった。そしてある日、メラニアから「アパートで夕食をご一緒に」という招待状がタチバナのもとへ届いた。
理由は考えるまでもなかった。ブライトン家から追放され、侍女も失ったメラニアの手元資金は完全に底を突きかけていたのだ。お金が尽きる前にまとまった大金を稼ぐ必要があった彼女は、例のランディ準男爵を呼び出し、必要書類の調達と入れ墨職人の手配を急がせていたのである。
しかし、そのランディ準男爵は、メラニアが伯爵家を勘当されたと知った時点で、すでに彼女との関係を断ち切るつもりでいた。 メラニアからの呼び出しを無視しようとしていた彼だったが、その直前、クリス配下の私的諜報員から不意に背後で耳打ちをされたのだ。
「あなたに会いたがっている軍人がいる」
連行された先で男はランディとメラニアの関係、そしてタチバナを娼館へ売り飛ばそうとしている計画のすべてを情報部が完璧に把握していることを突きつけられた。
「み、未遂です! 私は言われただけで!」
逃げ出そうとするランディに対し、諜報員は邪悪に微笑み、一つの悪魔的な提案を囁いた。
「あなたに良い提案がある。金銭的な報酬は山分け、さらに罪に問われる心配もゼロだ。乗るかね?」
その提案とは「タチバナを売る計画をそのまま逆手に取り、メラニア自身を娼館へ売り飛ばす」という、最悪のハメ技であった。 手伝えば、娼館から支払われる高額な身代金の半分が手に入るという。逆に手伝いを拒否すれば平民であるタチバナを同意無く娼館に売り飛ばそうとした罪を問うて拘束する、という。絶対に安全だと約束されたランディは、実利を取って計画に便乗することを決意した。
「むふふっ。もう二度と味わえなくなるメラニアの極上の肉体を、最後に思い切り味わっておくとしよう」
下卑た計算を働かせたランディは、決行日の昼間、メラニアの指示通りに書類、睡眠薬、葡萄酒、夕食のすべてを用意し、あらかじめ入念な準備を整えた。
そしてタチバナが来訪する数時間前、ランディは最後のお別れとばかりにメラニアと濃密な時間を過ごした。メラニアもまた、実家からの理不尽な追放劇を、その間だけは忘れることができたのだった。
夕方、身体を洗い流したランディは計画通りに退室し、入れ墨職人が入れ替わりでアパートへやってきた。職人を隣の控室に待機させた後、メラニアは平然とした顔でタチバナを自室へ迎え入れた。
メラニアの計画通りに夕食と葡萄酒が運ばれた。 だが、彼女がタチバナに頼まれた追加の食器を取りに台所へ向かった僅かな隙を突き、タチバナは手際よく洋杯の位置を入れ替えた。
「では、素晴らしい夜に、乾杯」
「乾杯っ」
睡眠薬入りの葡萄酒を煽ったメラニアは、何が起きたのか理解できぬまま、唐突に全身の脱力感とともにその場に崩れ落ち、深い泥のような眠りへと落ちていった。タチバナは冷笑しながらメラニアの鞄から偽造された労働契約書を取り出してその場で破り捨て、自らが用意してきた「本物の契約書」を机に広げた。 そこには、娼館で働く債務者として『メラニア・ブライトン』の名前が克明に刻印されていた。
タチバナはぐったりとしたメラニアの親指を掴み、朱肉をつけてその名前の横に鮮明な拇印を捺させた。 その後、隣室で待機していた入れ墨職人を呼び入れる。
「この女の左太ももの内側に、指定の入れ墨を彫りなさい」
タチバナはそう命じると、通常よりも遥かに多額の報酬を前払いとして職人の手に握らせた。
約一時間後。 意識を取り戻したメラニアの視界に飛び込んできたのは、机を挟んで優雅に葡萄酒を嗜み、夕食を平らげているタチバナの姿であった。
「ん?。タチバナ様、申し訳ありません。疲れが溜まっていたようで、つい意識を失ってしまいましたわ」
メラニアを見下ろし、タチバナはおもむろに、しかし低く甘い声で告げた。
「いいえ、構いませんわメラニア様。貴方様が実家の件でご苦労されていると聞きましたので、私、貴方の今後の生活が立ちゆくように、特別な場所を手配して差し上げましたの」
「え?手配?」
その言葉と同時に、メラニアの左太ももの内側から、皮膚を刺すような強いヒリつきと違和感が襲いかかった。 彼女の顔が恐怖で強張るのを見届け、タチバナはパン、と優雅に手を叩いた。
「さあ皆さん、お入りになって。こちらのお嬢様が、明日から貴方のお店で一生懸命働いてくださいますわ!」
バタン!と扉が開き、入ってきた屈強な四人の男たちに囲まれ、メラニアは絶叫した。
「タチバナ様、これは一体何事ですの!? この人たちは誰ですか!?」
「あら、嫌ですわメラニア様。貴方がお呼びになった、娼館の方々ですわよ。明日からそちらで身体を張って頑張るのでしょう? 貴方の人生ですもの、私がとやかく言うことではありませんが、陰ながら応援しておりますわ」
タチバナは男たちに向けて、完成したばかりの書類を差し出した。
「これがこの女の労働契約書よ。左太ももの内側には、間違いなくお宅の入れ墨が彫ってありますわ。条件はすべて揃っているはず。この女がどれほど喚こうが構いません、連れて行きなさい」
「嘘よ! 放しなさい! タチバナ様ぁぁっ!」
悲鳴を上げて暴れるメラニアだったが、正規の訓練を受けた娼館の男四人に抑え込まれては、若い女の細腕など無力であった。即座に口内へ使い古した汚い雑巾をねじ込まれて声を奪われ、手足を固く縛られたまま、荷物のように馬車へと運び出されていったのだった。
去っていく馬車を見送り、タチバナは冷ややかに一言だけ呟いた。
「自業自得ね」
そしてタチバナから報告を聞いたクリスはバスクを呼び出し、下命した。
「バスク、自然な形でオルガノ公爵に伝わるようにせよ。メラニアがいる娼館の場所とそこに国王陛下ゆかりの女がいる、とな」
「は!」
娼館に連れ込まれた後のメラニアの運命は地獄であった。最下層の娼館へと監禁された彼女は、逃亡防止の鍵付きの密室で、教会の例の避妊薬を無理やり飲まされようとした。
「触るな、無礼者! 私はあのブライトン伯爵家の女よ! こんな小さな娼館なんか、私の指一本で潰せるんだから触らないでぇっ!」
バチンッ・・・・・・!!
強がりを叫びかけたメラニアの頬を、娼館の男が容赦なく引っ叩いた。 口の端から切れた血の味が広がり、髪を掴まれて強引に粗末な寝台へ投げ出される。
「黙れ!」
数人の男たちに組み伏せられ、鼻をつままれる。息ができずに口を開けた瞬間、葡萄酒と共に教会の避妊薬が喉奥へ流し込まれた。 鼻をつくのは、黴臭い地下室の臭いと、寝台が放つ汗臭い不潔な異臭。かつての伯爵邸では一度たりとも嗅いだことのない不快な臭いの連続に、メラニアは涙を流した。
「やめて、やめてぇっ」
その後、娼婦として従わせるため、メラニアは幾日にもわたって娼婦の仕事を娼館の男達から代わるがわる叩き込まれた。抵抗を続けていた彼女も、数日後には絶望と諦めに沈んでいた。
そして数日後、ついに最初の客を取る日がやってきた。
その記念すべき最初の客は、娼館の経営者すら、いや、並み居る王国貴族のほとんどが平伏する、国家最高峰の秘密の人物であった。 覆面を被ったとある公爵家の中年当主である。
仮にも由由しき公爵家の当主が、このような最下層の娼館に出入りしていることが発覚すれば、国家規模の恥さらし事件となる。そのため、公爵は顔が完全に隠れる専用の仮面を被り、平民風の衣服に身を包み、筆頭執事の長男一人だけを伴って極秘裏に門をくぐっていた。
とある情報筋から「元・最高級貴族出身で国王陛下ゆかりの、とびきり極上の女が落ちぶれて入った」と耳打ちされ、その初めての顧客となる権利を巨額の金で買い取ったのである。鍵の掛けられた密室で、メラニアの顔を見た中年公爵は、衝撃のあまり息を呑んだ。
そこにいたのは、間違いなくあのブライトン伯爵家の長女であり、先日の教会弾劾事件の被害者だと噂されていたメラニア・ブライトンその人だったからだ。
ブライトン家といえば、先代の奥方が「前国王の妹君」にあたる超名門。つまり、目の前の女には、気高き王家の血が流れているのだ。そして何よりメラニアの顔立ちは、前国王の妹君である彼女の母親に生き写しであった。
実はこの中年公爵、若い頃からその「前国王の妹君」に対して狂おしいほどの恋心を抱いていたが、年齢が合わないというだけの理由で正妻に迎えることができなかったという、苦い過去を持っていた。あの時、私が世界で最も欲し、手の届かなかった至高の聖女! その血を引き、顔立ちまで瓜二つな女が、今、私の目の前に転がっている!
公爵の脳内で、理性のタガが完全に崩壊した。
彼は激しい狂気に突き動かされるまま、太った腹を揺らしてメラニアの上へと跨がった。メラニアは怯えながらも、相手を見上げて言い放った。
「私を買いなさい! 貴方も貴族なら、私の価値が解るはずよ!」
「分かった。お前を買おう。買い取って、ここから出してやる。ただし、今ここで私と交わり、私を満足させることができたら、の話だがな」
「何ですって!? なんで私が貴方なんかと! 私はあのブライトン伯爵家の女よ! 貴方なんかとは格が違うんだからッ!」
「確かに格が違うな。ただし、私のほうが上だがな」
バチンッ! と公爵はメラニアの頬を叩いた。
「買わんぞ!」
その一言で脅されたメラニアは、逃げ場を失い、すべての抵抗を諦めて泣き伏した。公爵はそんな彼女の懇願に耳を貸さず、自らの歪んだ執着を満たしたのだった。
その後、メラニアの肉体にすっかり魅了された中年公爵は、多額の金を積んで彼女を娼館から秘密裏に引き取り、自らの隠し別邸へと囲うことにした。この成果に裏で情報を流したクリスは口角を上げた。
「想像以上に上手くいったな。ブライトン伯爵家の令嬢であり、王家の血を引くメラニアが、今度は名門公爵家の当主を裏から骨抜きにする道具となったか。これを利用すれば、さらに多くの周辺貴族ども、いや、オルガノだから司教も含めてまとめて引きずり下ろせるかもな」
クリスは暗い部屋で、一人不敵に呟くのだった。
「メラニアよ。お前は我が復讐のためにディックを捧げてくれただけでなく、他の貴族どもと司教どもまで捧げてくれるのか。ふふっ、最後の時には、心からの感謝を込めて、お前を天国へ送ってやるとしよう」




