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ヒュービック大陸興亡記  作者: 田中好雄
第6章 それぞれの苦しみ
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6-1 出世

ガルディニア帝国皇帝、ガルディニア八世は頭を抱えていた。南の隣国・アルカディア王国から、何とも厄介な客が亡命を申請してきたからだ。

亡命を受け入れるだけであれば問題はない。しかし、その男はあろうことか「帝国軍への入隊」を強く希望してきたのである。軍部から最終判断を求められた皇帝は、帝国軍情報部長官を執務室へ呼び寄せた。


「長官、この度の亡命者だが、一体何者なのだ?」

「は!。調べによりますと先年の王国軍による侵攻の際、敵陣営において最も華々しい手柄を立てた若手将校の一人、とのことです。王国内での評価も絶大でありましたが、軍内の権力闘争に巻き込まれ、挙句には国王への反乱容疑をかけられ、国外脱出を余儀なくされた模様にございます」


この情報は、ヴァルディス共和国から極秘裏にもたらされたものであった。 事実と微妙な食い違いはあるものの、全否定もできない。絶妙に「帝国にとって都合の良い解釈」へと歪められている点こそが、共和国の底知れぬ恐ろしさであった。


「その者は帝国軍に入り、何を目論んでいるのだ? 内部から我が軍を弱体化させるための王国側の工作員という可能性は?」

「その可能性は極めて低いかと。調査によれば、男は常に最前線で命を張る生粋の実戦叩き上げであり、裏での諜報や工作といった類とは無縁の性質でございます」

「そうか。では、兵を率いる将としての資質は本物か? 先年の戦いも単なる偶然ではあるまいな?」

「実戦部隊においては群を抜く逸材と評されており、二十七歳という若さで中尉まで上った男です。将としての能力に疑いの余地はないかと」


情報重視の姿勢が薄い帝国情報部において、本来ならここまで詳細な個人の素性は追えない。これも全て、共和国が裏で糸を引いて自然な形でもたらした情報であった。何も知らぬ皇帝は長官の報告に深く頷き、ついに決断を下した。


「分かった。亡命を受け入れ、帝国軍の客将として迎えることとしよう。ただし条件がある。貴族の誰かの下に置いて監視させろ。そうだな、貴族出身軍人と手を組まれてもいかんしな。監視役には、軍部との結びつきが薄く、かつ信用のおける貴族を選べ。誰か適任はいるか?」

「陛下、それならシーナイン家はどうでしょう。ほとんどの貴族家は軍人を出しておりますがシーナイン家の軍人は女ひとりだけです。他のシーナイン家出身者は文官の地位にあります。軍所属の女も後方勤務ですし年齢も若いですので、ゆくゆくは婚姻させてしまう手もあります。監視役には適任かと」

「いいだろう。王国時代は中尉か。敵国の将校を同格で迎えては、我が国の器量を疑われよう。ひとつ上の大尉とせよ。ただし客将であるうちは指揮権を制限し、功績を見定める」


こうして、ディック・ブライトンは帝国軍において「亡命大尉」と呼ばれる存在となったのである。


亡命を果たし、帝国軍人となったディックであったが、彼が真に望んでいたのは、何だったのだろうか。

王都を飛び出し、ドギーと二人で北へ向かう道中、ディックは夜ごと自問自答を重ねていた。 一旦は王国を出る。だが、必ず戻る。こんな極寒で苛酷な地に一生骨を埋める気など毛頭ない!

とある宿場の安宿でのことだ。翌早朝より出立のため早めに就寝したのだが、慣れぬ寝台とすえた匂いになかなか眠れない二人だった。


「ドギー、寝たか?」

「いいえ、まだ起きております」

「色々あったが実際、王国で今の王室が存続する限り、俺はまともな帰参など叶うまい。メラニア姉さんとの婚姻は諦めねばならぬ。でもな、正義は俺にあったはずだ。なぜこうなった?」

「坊っちゃん・・・・・」

「今の王国と教会は腐りきっている。平民のみならず貴族の令嬢にまで凄惨な婦女暴行を働き、多額の寄付金を貪り取る教会だ。そしてそれを罰することもできず、見て見ぬふりを決め込む王室と軍部だ。歪みきった王国など、一度根底から叩き潰すほかないと思わないかドギー。だがな、国王陛下は正義の国王だと思っていたんだが」


その過激な思考の行き着く先には、必ず悲劇の主人公女性であるメラニアの存在があった。


「俺の手で王国を正したその先にあの不憫で清らかなメラニア姉さんが待っているんだ。夜な夜な教会の恐怖に怯え、身を震わせている姉さん。結ばれる時が来れば、私はすぐさま駆け寄り、傷ついたその肩を優しく抱きしめてあげるのに。そして涙を拭い、抱きしめて安心させないと。あの汚らわしい教会に汚された身体を、私のこの手で清めてあげるのだ!」

「あー、それ何度目ですかな?坊っちゃん。もう諦めて下さいな」


そして寝台から跳ね起きたディックは、宿屋の便所に駆け込んだ。しばらくして戻ってきた彼は、何事もなかったかのように寝台へ潜り込んだ。


このように言うディックだったがその頭の中にあったのは若き日に定めた天命だった。ディックは己の天命を忘れたことも、変えたこともなかった。それは亡命のために帝国を目指しても同じであった。


だがドギーは知っていた。ディックが心の中で「清らかな乙女」として神聖化しているメラニアが実は男遊びに耽っていたことを。そしてドギーは知らなかった。今この時点でメラニアは王国の裏路地にある怪しげな娼館にて、とある男に組み敷かれて狂わされているということを。 そしてそれが思いもかけない事件を引き起こすことになるとは想像の範囲を超越していた。


帝国軍「亡命大尉」として職務を開始したディックは、まず帝国と王国との「軍構造の違い」に強い衝撃を受けた。


王国の軍隊は、基本的に「半農半兵」で構成されている。 准尉以下の一般兵士は平民や奴隷身分出身だ。しかし王国軍の規定では奴隷の入隊は禁止されているため奴隷出身者は入隊時に裏で軍から資金が支給され、平民身分を購入して、いや、正確には買い戻してから正規兵となる。


そして訓練を重ねた彼ら一般兵は、種まきや収穫などの農繁期にのみ軍を離れて帰郷し農作業を行う。そしてすぐに軍へ復帰し、野戦、夜襲、攻城戦、防衛戦に至るまで訓練を重ね、一人前になっていく。


「坊っちゃん、どうにもこの帝国の下級兵のほとんどは戦争の時だけ駆り出される招集兵ですな。これでは練度なんか全然期待できませんし山岳戦や要塞戦なんかの特殊な戦場では最初から最後まで期待もできません。逆に足を引っ張りそうですな。だから帝国はいつも平地での会戦ばっかり選んできたんですな」

「これでは話にならん! 帝国軍がまず成すべきは、職業兵制度の確立と育成だ!」


財政難の帝国において、即座に全員を職業兵化するのは不可能であった。そこでディックは現実的な「次善策」を軍上層部へ提示した。


「下級部隊の中核に若い職業兵を配置し、その傘下に臨時兵を組み込むのです。そして臨時兵にも軍事訓練への参加報酬を支給し、連続参加するごとに手当を増額させる。さらに、農村の長男はできる限り免除し、次男以下の参加を優遇して報酬に差をつける。これなら農家の存続を守りつつ、兵の練度を劇的に底上げできます!」


この「亡命大尉の臨時兵改革案」は軍内で大きな波紋を呼んだ。


「訓練に参加するだけで金を払うだと? そんな財源が帝国のどこにある!」

「昨日まで敵だった亡命者が、帝国軍の制度に口を挟むか!」


そのような声にもディックは直接反論せず、監視役であるシーナイン家を通じて、軍上層部へ一通の意見書を提出した。


「訓練されていない兵を戦場へ送り、武具と食糧を失った挙げ句に敗北する方が、よほど高くつきます」


意見書には、改革に必要な予算と、敗戦によって失われる費用の概算までが詳細に記されていた。 ただしこの様な計算をディックができるわけがなく、帝国事情にも詳しくないため、ディックの話を聞いたシーナイン家がすべての資料を整えた。


このように議論が紛糾したが、最終的にはディックの案が採用されることとなった。増大する予算を捻出するため、帝国政府は以下の財政対策を打ち出した。


1.ヴァルディス共和国へ銅、錫、青銅製品、鉄粗材、木材、食肉等の各輸出量を増やし、単価引き上げの交渉を行う。

2.今年始まったばかりの「帝城再建工事」を簡略化し、出費を抑える。

3.森林開拓をすすめ、遊牧地を増やす。


帝国領には他地域ではまだ見つかっていない豊かな銅と錫の鉱脈が発見され採掘されているため、特に貴重な輸出品として共和国と交渉を行った。更に帝国領は北にあるため穀物収穫はあまり見込めないが、その分だけ牧場農家が多く、広い牧草地で放牧が行われている。この放牧面積を拡大し、税収と食料の増加を見込んだのだ。


そして共和国への輸出量増加については共和国側から一つの条件が提示された。


「我が国が誇る鍛層剣を輸入されたし。ただし製造難度が高いため、供給量は月間三十~四十本、年間四百本を上限とする」


門外不出の最高機密である共和国の「鍛層製品」。


この国外輸出はヴァルディス共和国にとっても非常に勇気のいる決断であった。 当然、帝国に対しては「他国への再輸出禁止」および「破棄する際は必ず共和国へ輸送し、自国で処理させる」という厳格な契約が交わされた。


共和国の真の狙いは別にあった。鍛層剣はしなやかで折れぬ凄まじい性能を持つ剣だが、鉄製品である以上、どうしても錆びる。そして、錆止め用の特殊薬品や専用の研磨砥石は、共和国からの輸出が厳しく禁止されていたのだ。


帝国においても錆止め油に国内産の油を塗布したがどうしても油のノリが悪く、錆止め効果の長続きがしなかった。更に研磨砥石についても国内産の様々な砥石を使ってみたが共和国から送られてきた鍛層剣の切れ味をまったく再現できなかった。


また、共和国の密偵がこの帝国が行った様々な工夫を共和国へ報告したため、共和国からは強烈な外交圧力がかかった。


「帝国が行った鍛層剣の研磨、錆止め油の塗布などは完全な契約違反である。鍛層剣の研磨と錆止め専用薬品の塗布は共和国のみ行うこととして契約したはず。今回は見逃してもよいが次回は無い。次回もし同じ様なことがあれば、それは共和国への宣戦布告とみなす」


このように言われてしまえば帝国側も折れるしか無い。そもそも鍛層剣の売買契約時に研磨と錆止め薬品塗布を帝国国内で行うことは厳に禁じられた項目であり、それを帝国が受け入れたものだから致し方ない。


つまり帝国は、鍛層剣の性能を維持するために、定期的に剣を共和国の工房へ送らねばならない。 万が一、帝国が共和国に対して強硬な態度を取れば、共和国は「研ぎと錆止めの拒否」および「剣の修理や返還延期」という強力な外交的切り札を行使できるという仕掛けであった。


思惑と欲望が渦巻く中、ディックは現場でひたすら愚直であった。 実戦を想定した模擬訓練を丹念に繰り返し、臨時兵たちと汗を流すディックは、兵たちの深い信頼を着実に勝ち取っていったのだった。


一方、同階級の帝国軍人たちは、この「亡命大尉」を複雑な目で見つめていた。王国訛りの言葉には苛立ちを覚えるものの、純粋な軍人としての圧倒的な手腕と洗練された佇まいには一目置かざるを得ない。元敵国の将でありながら堂々とした態度は嫌味にならず、かえって悔しい。軍上層部が認めた客将へ、正面から喧嘩を売る度胸もなく、将校たちは悶々とした日々を送っていた。


そんな折、城下町の飲み屋街で一つの「事件」が発生した。


地方から新しい帝城を見物に来た老夫婦が、観光気分で街を歩いていたところ、ほろ酔い加減の大柄な帝国軍人とぶつかってしまったのだ。運の悪いことに、その大柄な軍人は片手に酒杯、もう片手に串焼き肉を持っていた。衝突の拍子に足をもつれさせた軍人は車道へ倒れ込み、運悪く走ってきた荷馬車の車輪に片脚を轢かれた。


「ぐあぁぁぁぁっ!」


絶叫してのたうち回る軍人。老夫婦は蒼白になり、夫人は慌てて救護所へ走り、夫は倒れた軍人を介抱しようと必死に声をかけた。 やがて意識を取り戻した大柄な軍人は、押し潰された片脚の激痛に絶叫した。そして、介抱しようとする目の前の老人へ、理不尽な怒りを爆発させた。


「このジジイ、殺してやるっ!」


血走った目で腰の軍剣へ手を伸ばしたその瞬間、一人の男が老人の前へ立ちはだかった。


「そこまでだ」


制したのは、通りかかったディック・ブライトン亡命大尉であった。

ディックの見立てではこれは完全な事故であった。 串焼きと酒を手に千鳥足で歩いていた軍人側にも落ち度がある。老夫婦も注意が足りなかったとはいえ、路上での偶発的なトラブルに過ぎない。ディックが倒れている大柄な軍人の前に立ちはだかり、察したドギーが怯える老人に「逃げろ!」と短く促す。起き上がれない男が何とか軍剣を抜こうとした瞬間、ディックはその手首を掴み、傷ついた脚へ負担をかけぬまま押さえ込んだ。激昂する軍人を、巧みに制圧した。この一件により、ディックの公平な人柄と、巨漢を更に傷つけることなく制した軍人としての技量は、軍内でさらに高く評価されることとなった。


この沙汰はすぐさま憲兵司令部へ持ち込まれた。一部の将校からは「亡命大尉を処分すべきだ」との声も上がったが、居合わせた市民たちの証言によって、ディックの行動は民間人を守るための正当なものであったと認められ、処分なしとなった。


一方、大柄な軍人は、酩酊状態で騒ぎを起こしたうえ、民間人へ軍剣を抜こうとした責任を問われ、謹慎処分を受けた。負傷についても「私的な事故によるもの」と裁定され、治療費はすべて自己負担となった。

この軍人は何と、「皇城再建護衛責任者」の大尉であった。大尉は久しぶりの休暇で羽を伸ばしていたところだった。娼館を二軒はしごし、良い女を抱いた後の美味い酒と肴に気を良くし過ぎた結果があの大失態であった。


片足骨折、加えて酩酊の末に民間人へ刃を向けようとした不祥事が重く見られ、男は護衛責任者の職を正式に解かれた。その結果、皇城再建護衛責任者の席が空き、ディックは事件の責任を取る形でその席に入る事となった。


しかしこれは亡命将校としては破格の異例の人事であるため、軍内部から強い異論が出たのは当たり前のことであった。だが兵制度改革の立案能力、現場での指導力、そして兵たちからの人望など、軍人としての能力では何も問題はなかった。


さらに監視役であるシーナイン家からも問題なしとの報告が上げられ、追加として先日の騒ぎで助けた老夫婦からの推薦もあった。あの老夫婦はお忍びで街に繰り出した帝国貴族の伯爵夫妻だったのだ。


これらのことから帝国軍上層部はひとつの条件付きでディックの処遇を定めた。その条件とは、ディックが何かしら問題を起こしたときにはシーナイン家も連帯責任とする、ということであった。ディックはひとつ、また重荷を背負うことになった。


人の運命とは、どこでどう転ぶか分からない。 こうして「亡命大尉」ディック・ブライトンは、北の帝国において、新たな歴史の表舞台へと足を踏み入れていくのであった。


「坊っちゃん、亡命して早々、大層な役目を任されましたな」

「喜んでばかりもいられん。失敗すれば、亡命者だからと真っ先に切られる。お前にも苦労をかけるぞ」

「何を言いますやら。それでは今までが楽だったみたいじゃないですか」

「・・・確かにな」


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