5-6 弾劾
ディックが放った弾劾文。 そこには匿名とされながらも、とある高級貴族の令嬢および平民の婦人が教会内で凄惨な婦女暴行を受けた事実が記され、教会の不徳と犯罪行為が激しい言葉で糾弾されていた。
要求内容は極めて具体的であった。 暴行の実行犯および上司責任者の厳罰処分。該当教会の即時閉鎖。そして治安維持を怠った軍担当者の職務怠慢に対する処罰と、被害女性への全面的な救済と補償。
ただし、教会の最高司祭を務める「国王陛下」に対しては配慮がなされていた。 『本件は教会の末端神父および司祭による内部犯罪であり、国王陛下には何ら罪も非難されるべき瑕疵も存在しない』と、王室への忠誠を保った文面となっていたのである。
ディックは弾劾文を投函した後、固唾をのんで政府や教会の反応を待った。 しかし、どこからも、何ひとつとして反応は返ってこなかった。
握りつぶされたというのか? なぜ誰も動かない!?
無風状態のまま十日が過ぎ、焦燥と怒りで痺れを切らしたディックは、ついに第二弾の弾劾文を送付した。 今度は送付先を三箇所から「五ヶ所」へと拡大する。貴族令嬢が被害者であることから「貴族庁」、そして前文では庇ったものの『厳粛かつ公平な対応がなされた場合に限る』と文面を書き換えた上で「王室管理庁」へと叩きつけたのだ。
事態は、ここから急転直下で動き出した。
「王室の名に不名誉な傷がつく」
事態を重く見た王室管理庁の報告を受け、国王陛下の直接指示のもと、軍・教会・王室管理庁と貴族庁の責任者が一堂に会する「極秘裏の四者会議」が緊急招集された。
後日判明することとなるが、その閉ざされた会議で決定された内容は、まさに驚くべき、そして冷酷極まりないものであった。
【極秘決定事項】
弾劾文の差出人を特定すること。
被害女性の身元を特定すること。
差出人および被害女性が特定された場合、多額の金品による「買収工作」を行って口を封じること。
買収工作が不調に終わった場合、「あらゆる方法」で口を封じること。
当面の間、教会における婦女暴行の疑いを招くような「祝福」および「各種儀式」を当面の間、中断すること。
さらに会議では、差出人および被害女性が「貴族階級」であった場合を想定した恐ろしい弾圧方針まで策定された。もし対象が貴族であった場合、まず該当の貴族家とその直系貴族家へ猛烈な圧力をかける。 被害者または差出人が「当主」であった場合は、貴族称号を剥奪した上で即座に「国外追放」とする。 「当主以外(子女など)」であった場合は、当主の手によって該当者を処罰・処刑させ、貴族庁の名簿から抹消して最初からこの世に生まれていなかったこと、として処理する。万が一、その貴族家が処置に難色を示した場合は、家格を剥奪し平民に落とす。拒むようであれば国外追放する、ということまでが正式決定されたのだった。
これは教会への告発を一件でも許せば、過去に握り潰してきた無数の訴えが一斉に噴き出す。王権と教会の威信そのものが崩れかねないため、見せしめとなる徹底処分が必要だと判断された。
この陰湿な工作活動を一任されたのは、暗闘の専門機関である「中央軍情報部」であった。本来なら王都を管轄する左翼軍情報部の案件だったが、長年の予算削減で組織は形骸化していた。結果、暗闘に実績のある中央軍情報部へ案件が回された。
中央軍情報部は、以前から告発文の差出人を調査させていたクリスティ・ギャロット少佐へ期待を寄せていたが、未だ明確な成果は上がっていなかった。そのため、上層部は他の諜報班を投入して新たな捜索を開始しようとしていた。
その裏の動きをいち早く察知したクリスは、直ちに手を打った。
上層部が真相へ近づけば、クリスの虚偽報告も露見する。クリスにとっても、もはや後戻りできない段階へ入っていた。シロタを通じてタチバナへ連絡を入れ、タチバナからメラニア、そしてディックへと極秘の文面を伝達させたのだ。 内容は、「弾劾文は完全に逆効果となり、政府と軍は二人を破滅させるべく動き出した。至急、今後の対策を協議したい」というものであった。
後日、王都郊外にあるタチバナ子飼いの私的諜報員が所有する密談用の館にて、クリスとディックの極秘面談が執り行われた。 館の周囲にはタチバナ配下の隠密が何重にも配置され、一羽の鳥すら密談を覗き見れぬよう厳重な警戒態勢が敷かれていた。
対峙したクリスは、冷ややかな視線をディックへ向けた。
「ブライトン大尉。貴殿の放った弾劾文は、我々が予想した『最も悪い方の結果』を引き寄せてしまったよ」
「はっ。概要は伺っております」
「差出人が貴殿であり、告発者がメラニア嬢だと露呈すれば、二人まとめて抹消されるか、あるいはブライトン伯爵家そのものがお取り潰しになるだろうな」
ディックは握りしめた拳を震わせ、吐き捨てるように言った。
「どうしてですかっ!? 正義は我々にあります!」
「私は警告したはずだ。教会と王家が、正義に従って動くとは限らないとな。何をいまさら慌てることがある? 貴殿とて、この程度の汚さは予測していたはずだろう」
「っ・・・・・・!」
ディックは言葉を詰まらせた。どこまでも青く直情的な「正義の人」である彼にとって、被害者が罪人として扱われ、権力者が犯罪を隠蔽するために殺しに来るという王国の腐敗しきった構造は、到底受け入れがたい理不尽であった。クリスは冷静に言葉を重ねる。
「今後の動きだが、政府と情報部は貴殿とメラニア嬢の特定を急ぐだろう。だが、安心したまえ。私と部下が先回りしている限り、すぐに二人へ辿り着かれることはない。ただし、貴殿かメラニア嬢が自ら口を滑らせ、秘密保持に失敗しなければ、の話だがね」
「・・・・・・・・・・・・」
「完璧に知らぬ存ぜぬを通せば、このままやり過ごすことも可能だ。だがその代わり、この事件からは永久に手を引け。もし、命を捨ててでも次の手を打ちたいというなら私に言え」
クリスは一息つき、声のトーンを落とした。
「なお、姉君のメラニア嬢だが、連日の疲労と精神的消耗が極限に達していたため、現在は私の信頼する医療官のもとで完全隔離し、加療させている。今貴殿が会えば彼女の負担になる。メラニア嬢の回復を待つのが賢明だろう」
昨夜、タチバナを通じて同じ選択を迫ったところ、メラニアは即座に手を引くと答えた。王家と教会を同時に敵へ回すほど愚かではなかったのだ。ただし最後に、「今は手を引くわ。でも、この借りは忘れない」と言ったのはさすがメラニアだった。
クリスは腹の中で冷笑を浮かべていた。そしてメラニアには「政府の別班がすでに彼女を捜索しているため、外出すれば見つかる」と伝え、安全のためだと納得させて本人自らクリスが用意した場所に極秘で匿われていた。
メラニアの身柄を実質的な軟禁状態に置き、ディックへの手札として完全に隔離したのだ。ディックは顔を真っ赤に染め、悲痛な叫びを漏らした。
「少佐殿! 私は、私は悔しい! この国には、正義というものがないのですか!?」
「気持ちは分かる。だが、命があってこそ将来の復讐にも繋がるというものだ」
「復讐、ですか」
その言葉にディックの瞳が微かに揺れたが、それ以上言葉を重ねることはなかった。
しかし・・・、クリスの計算には一つだけ誤りがあった。ディックの正義感には、クリスの想像すら超える破壊力があったのである。
「タチバナはいるか?」
「はい、クリス様」
「ディックが何をするか、見張らせておけ」
「分かりましたが、見張るだけでいいですか?背中を押したり・・・」
「いや、それはいい。ディックの本気を見せてもらおう」
「わかりましたわ」




