5-3 接触
ある日、クリスは軍情報部の副司令官室へ呼び出された。この時点でクリスは、中央軍情報部における「序列四位」の地位に位置していた。
「ギャロット少佐、君の腕を見込んで内密の調査に関する辞令が近々下される」
「は! 微力を尽くします」
下された辞令に従い、調査に関する初会合が開かれた。 出席者は座長である副司令官以下三名。副司令官を除く二人のうち一人は、中央軍情報部で随一の諜報・工作チーム率いる精鋭であるクリスティ・ギャロット少佐、そしてもう一人は政府の法務大臣秘書官であった。 座長である副司令官が、重々しく口を開く。
「今回は非常に難しい案件だ。これから説明する内容の対応策を検討してもらいたい」
副司令官が明かした内容はこうだ。 先日、とある貴族女性から匿名で一通の書面が届いたという。送り主は匿名ながら、高級貴族のみが用いる特殊な紙と墨汁が使われており、伯爵家以上の令嬢であることは明白であった。 問題はその中身である。なんと、とある教会支部において女性自身が婦女暴行を受けた、という生々しい告発文であったのだ。日付や時間、具体的な支部名まで詳細に記されていた。
「実は、以前から、教会内でそのような非道が行われている、という密告自体は存在していた。だが、これまでは平民からの訴えであったため、不問に付されてきたのだ。しかし、今回これが事実となれば被害者は高級貴族の子女。何の対応も取らぬわけにはいくまい。貴君らの考えを聞きたい」
クリスの前に座っていた法務大臣秘書官が小声で「先に失礼」と告げてから発言した。
「まず事が事実であれば最終的には国王陛下の御名に傷が付きかねません。そのところを十分におわきまえ下さい」
そんなことは分かっている、と内心で呆れ返るクリスをよそに、秘書官は言葉を続けた。
「仮に暴行が事実であり、告発者が高級貴族であったとしても、この告発は受理しない方が賢明です」
駄目だこいつは。事の本質が全く分かっていない。クリスは心の中で溜め息をつきつつ、静かに挙手して口を開いた。
「秘書官殿のおっしゃる懸念はごもっともです。ですが、もしその高級貴族が一族を挙げて糾弾してきたらどうなさるおつもりですか? 告発を握りつぶされたとなれば、その貴族家はまず間違いなく軍を叩きに来ます。高級貴族家とすれば教会が相手では戦いにくくとも、軍が相手なら容易です。まず間違いなく相手を変えて動かない軍を糾弾してくるはずです。高級貴族家の権力をもってすれば、私やあなたの首など指先一つで飛びます。いや、文字通り首が切られかねません」
「少佐のご意見も分かりますが! だからといって告発を受理すれば、軍に行動責任が発生してしまいます。であれば受理は保留し、内々にその貴族家と接触して説得を・・・・・・」
語気を強める秘書官を、副司令官が手を挙げて制した。
「分かった。二人とも主張は理解した。まずは告発の受理を保留とし、実際に事件があったのか、そして被害者の特定を最優先に行う。事件の有無と被害者の特定は少佐に下命する。十日後、結果を持ち寄って再度会議を行う。解散!」
被害者特定のため、告発状の原紙と封筒を受け取ったクリスは、さっそくシロタとタチバナを召集して検討に入った。
「シロタ、タチバナ。二人の知恵を貸してくれ。この封筒と手紙の原紙から差出人の割り出し、そして事件の有無を特定できるか?」
シロタが原紙を指でなぞりながら分析する。
「少々拝見します・・・・・・。これは非常に特徴的な筆跡ですね。特に文字の跳ねと払いの角度に独特の癖があります」
続いてタチバナが封筒の質感を手で確かめた。
「この封筒に使われている紙質は見覚えがあります。確か王都のとある紙職人が仕立てている特注品です。流通している地域が極めて限られていますので、絞り込みは容易かと」
クリスはすぐさま先日の帝国侵攻戦において諜報活動で非凡な結果を出して一階級昇進を果たした配下のロナルド・バスク中尉を呼び寄せた。
「この封筒が販売されている地域を特定してくれ。職人の名はタチバナから聞くように」
バスク中尉の素早い聞き込みにより、その封筒は王都東門近くの小さな文具店でのみ扱われていることが判明。そして、その近辺に屋敷を構える該当クラスの高級貴族家はブライトン伯爵家のみであった。
「シロタ、手紙に教会の支部名は書いてあるが裏付けはできるか?」
「ブライトン伯爵家のご令嬢が出向く教会はすぐに分かります」
「よし、その教会を含めて周囲の教会を幾つか調べよう。タチバナ!」
「はい、クリス様」
「バスクを使って教会に潜入、資料を確認させろ。必ず儀式に関する書類があるはずだ。そこにメラニアが儀式を申し込んだかどうか、調べさせろ。そして資料はすべて押収しろ。教会が知らないうちに資料が無くなっていること自体が牽制となる。奴らも無茶しにくくなるだろう」
「は!」
タチバナはバスクを呼び出し、具体的な指示を次々に出していった。 バスク中尉はその後、配下の諜報員を動かし、報告を待った。先に報告があがったのは教会の調査であった。 バスクの配下が報告をした。
「バスク様、教会を調べてまいりました」
「聞こう」
「教会の資料室にはこのような資料がございました」
そこには処女膜再生儀式の依頼人名簿と各種寄付金額一覧、申込人が書いた依頼書、そして教会の財務諸表や各種資料があった。それぞれの書類はすべて押収された。
「よくやった。メラニア・ブライトンの名もあるな」
次の報告書には郵便物の検分が記載されていた。バスクは王都通信所に持ち込まれたブライトン家からの手紙を極秘に検分させた。 貴族は爵位ごとに異なる封書を用いる風習があるため、伯爵家の手紙を抽出するのは容易い。慎重に封の糊を剥がして筆跡を照合していった結果、告発状と筆跡が一致する人物が特定されたのだった。それがメラニア・ブライトンであった。
「クリス様、バスクより報告が上がってまいりました」
「聞こう」
「教会への潜入調査結果と付属資料がこちらです。そしてこちらが筆跡鑑定により高い確率で告発者を特定しました。すべての資料は、告発者がメラニア・ブライトンであることを示しています」
その名を聞いた瞬間、クリスの胸に昔の記憶、弟ジュリアンの凄惨な死が猛烈に蘇り、思わず自分を見失いかけるほど動揺しかけた。数分をかけて感情を抑え込んだクリスは、冷徹な眼差しを取り戻すとタチバナへ命じた。
「タチバナ、どんな手を使っても構わん。メラニア・ブライトンと懇意になれ。そして私の前に引きずり出してこい」
「承知いたしました」
その後クリスは、あらためて押収した教会資料を見直した。その教会の財務諸表や秘密文書をめくって読み込むと、地方の末端神父たちがどれほど必死に金を巻き上げていたかの記録が生々しく浮かび上がってくる。彼らは私腹を肥やしていただけでなく、その何倍もの莫大な富を、遥か彼方の「教会本部」へと絶え間なく送金していたのだ。 上からの容赦ない搾取。恐らくその資金を確保するために貴族に媚びへつらい、平民と奴隷には神の威光を振りかざし、各種の祈りだ、祝福だ、といって金をむしり取るという構造的な行動原理が、そこにハッキリと判明したのだ。
「教会も単なる私腹を肥やしていただけではないのだな。苛烈に搾取されていたようだ」
「そのようですわね」
「だからといって同情する気持ちにはなれんがな」
タチバナに命じられたこと、つまりメラニアと懇意になることの難易度は極めて高かった。 当初、ブライトン邸を監視させていたタチバナだったが、メラニアは数日前に家を飛び出して行方不明になっていることが判明する。
「まさか教会に拉致されたか!?」
血相を変えたクリスが全諜報網を投入して捜索させた結果、王都の一角に潜伏しているメラニアの居場所が特定された。安堵したクリスから後を託されたタチバナは、数日間をかけて準備を行い、雨天を待った。そして雨上がりのその日。考え事をしながら道を歩いていたメラニアの脇を、タチバナの馬車が勢いよく通り過ぎる。
ザザーッ!
「きゃっ!?」
水たまりの泥水が跳ね、メラニアの膝下を派手に汚した。逃げ損ねて呆然とするメラニアの前で、馬車がピタリと止まる。
「そこのお嬢さま、大変申し訳ありません! 私の馬車が泥を跳ね上げてしまいました!」
「いいえ、大丈夫ですわ」
「そんな、膝下が泥だらけではありませんか。どうぞ私に構わずなどとおっしゃらず、馬車にお乗りください。すぐ近くに私の住まいがございます。温かいお湯をお使いくださいな」
そうして膝下を汚した令嬢を馬車に乗せ、数日前に急いで用意した「自宅に見えるように作った部屋」へと招き入れたタチバナは、彼女が湯浴みをしている間に乾いた着替えと温かい食事を迅速に用意した。
湯から上がったメラニアは、用意された衣服を身にまとい、礼儀正しく頭を下げた。
「奥様、ご迷惑をおかけして大変申し訳ありません」
ふむ、さすがは最高峰の高級貴族家出身。礼儀作法だけは完璧ね。タチバナは感心しながら、優しく微笑んだ。
「いいえ、どうぞお掛けになって。簡単な夕食ですが、ご一緒にいかがですか?」
「お心遣い、感謝して頂戴いたします」
こうして二人の食卓が始まった。 最初は硬かったメラニアだったが、タチバナが巧みに打ち解けやすい話題を振るうちに表情が柔らかくなり、食事が終わる頃にはすっかり警戒を解いていた。
タチバナは食器棚から、少し度数の強いお酒のグラスを二つ用意して差し出した。
「そういえば、まだ自己紹介がまだでしたわね。私はタチバナ・マリと申します。タチバナが家名でマリが名前の、群島式の少し珍しい名なんです。仕事は特におりませんの、両親の残した財産でのんびりと暮らしておりますのよ」
最初から本名を明かすタチバナの手腕に、報告を聞いたクリスは驚いたが、これも相手の心を解きほぐすための綿密な計算であった。メラニアも胸を打たれたように微笑む。
「タチバナ様、今回は素晴らしいお気遣いを本当にありがとうございました。私も貴女のような素敵な淑女になりたいと存じますわ。申し遅れました、私はメラニア・ブライトンと申します」
タチバナは一瞬だけ、驚いたように瞳を僅かに見開いてみせた。呼吸を整えるフリをしながら尋ねる。
「メラニア様、とおっしゃるのですね。ブライトン様とお聞きすると、もしかして?」
「はい。先日急死いたしました前近衛兵団長が、私の父でございます」
確定ね。第一の復讐対象であるメラニア本人だと確信しながらも、タチバナの表情には微塵も本心を出さない。
「そうでしたか、それはお悔やみ申し上げます。そして改めまして、泥跳ねの件をお詫びいたしますわ」
「いいえ、こうして温かく接していただきましたもの。もう気にしておりませんわ」
メラニアが打ち解けた様子を見せると、タチバナはそっと話題を投げかけた。
「そういえば最近、嫌な噂を耳にしましたの。メラニア様はお聞きになりました?口にするのも汚らわしいのですが、私の友人が酷い男性に襲われまして」
「まあ! その方はご無事でしたの!?」
「ええ、何とかお怪我は少なかったのですが、心に深い傷を負ってしまわれて」
「なんと可哀想に、ひどいことですわ」
痛ましそうにするメラニアに、タチバナは溜め息をつきながら追撃した。
「実は、教会の中でやられたようなのです」
「・・・っ!?」
メラニアの身体が強張った。タチバナは気づかないフリをして続ける。
「相手が相手ですもの、世間にも公表できませんわよね。そんなことをすれば、彼女の家ごと潰されてしまいますもの」
「その女性の方は、平民なのですか?」
「ええ、平民の娘ですの」
そう、平民なら潰されるわね。準男爵家以上の貴族なら簡単には潰されないけれど。思考を巡らせるメラニアだったが、自分の凄惨な体験と重なり、突如として目からポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
「まあ、メラニア様!? 大丈夫ですか? お優しいのですね、友人の話に涙を流してくださるなんて」
「あ、ごめんなさい。涙が・・・」
教会での屈辱以降、精神的に弱り切っていたメラニアは、感情の起伏を抑えきれなくなっていたのだった。タチバナはそっと寄り添い、優しく背中を撫でた。
「メラニア様、貴女も何か、胸を引き裂かれるようなおつらいご経験がおありなのですね。今日お会いしたばかりの私でよろしければ、お話ししてみませんか? つらい事は誰かに話せば半分になり、喜びは二倍になると言いますわ」
弱り切っていたメラニアだったが、根深い貴族の矜持が理性を呼び戻した。
「大変失礼ですが、タチバナ様は貴族のご令嬢でいらっしゃいますか?」
貴族にとって相手の身分は死活問題だ。タチバナのような異国風の名は、平民である確率が高い。
「いいえ、私は貴族の生まれではありませんわ。平民であることがお気に障りましたなら、今すぐ馬車でお送りいたしますけれど。」
「いいえ! 滅相もありませんわ!もし貴方が貴族の方であればお話しできませんでしたけれど、平民の方であれば、私のつらい心の内を聞いていただきたいのです」
平民なら何を聞かれても問題ないわ。もし都合が悪くなれば、ブライトン家の権力で黙らせ、潰せばいいだけだもの。長年染み付いた冷酷な計算を働かせるメラニア。タチバナは内心で胸を撫で下ろした。
メラニアは差し出された酒を飲み干すと、自分に起きた「処女膜再生儀式での被害」を一気にぶちまけた。 あまりに身勝手で自業自得な内容に、タチバナは腹の中で笑いをこらえるのに必死だったが、表面上は同情に満ちた表情を崩さない。
「それは大変おつらいことでしたわね。教会の秘術を二度も行って、効果が出ないどころかそんな酷い目に遭われるなんて」
「このままでは弟との婚姻など破談ですわ! 私は今の身体で弟と準男爵家を作る気になれませんもの!」
「お気持ちは痛いほど分かりますわ。男性の身勝手な欲望には呆れてしまいますわね」
頷き合う二人だったが、互いの腹の中では冷徹な計算が渦巻いていた。 タチバナが核心に触れる。
「ところでメラニア様、教会の秘術が失敗した理由について、どうお考えですの? 異端だと思われるのが怖ければおっしゃらなくても結構ですが」
「いいえ、タチバナ様だからお伝えしますわ。私はあの時の腰や股の感触からして、自分が暴行を受けたのだと確信しておりますの」
「最初は信用なさっていたのに、二度目の失敗で確信に変わられたのですね?」
「ええ、その通りですわ!」
被害者の特定、そして被害の実態が明確になった。タチバナは仕上げに入った。
「メラニア様、実は私の知人に、中央軍情報部の高官がいらっしゃるのです。一度ご相談されてみてはいかがでしょう?」
「軍の高官!?」
「ええ。相手が教会ではこのまま泣き寝入りになってしまいますわ。もちろん、メラニア様のお名前を出す必要はありません。匿名のままお会いになればいいのです」
匿名で高官と会えるのなら!タチバナの手配により、翌日、ヴェールで顔を隠したメラニアがクリスの執務室を訪れることとなったのだった。




