5-2 儀式
ヴァルディス共和国の陰湿な謀略により、着々と軍備を立て直すガルディニア帝国と、じわじわと内部から蝕まれ始めるアルカディア王国。 そんな不穏な空気が漂う中、王国の中枢を担うブライトン伯爵家にて、突然の激震が走った。
「ドギー、ドギーはいるか!」
「はい坊っちゃん、何でしょう」
「すぐに実家へ戻るぞ!父上が神の元へ召されてしまわれた」
いつもならすかさず「坊っちゃんはやめろ、何度言ったら分かる?」とツッコむディックだったがこの時ばかりはツッコむことを忘れるほど慌てていた。
「旦那様の死因はお聞きになりましたかな?坊っちゃん」
そして身の回りの物を慌ててとって鞄に詰めながらディックが答えた。
「病死だそうだ。暗殺ではないらしい」
「それはまだ救われましたな。では新しいご当主様は・・・」
「兄上だ。よし、一旦実家へ戻るぞ!」
ディックとドギーはブライトン伯爵家へ戻ったが、その大きな門を何年かぶりにくぐったディックは不意に昔のことを思い出した。それは祖父母が亡くなる前日、この門の下で祖父と話した記憶だった。
ディックが中等学校初等部に入学した年のことだった。幼い頃、祖父母の葬儀で、ディックは初めて死というものを理解した。昨日まで話していた人間が、二度と動かず、やがて土の中へ消える。その時、彼は生きている姉の存在に強く感謝した。その感情が、後にどれほど歪んだ愛情へ育つことになるのか、当時の彼は知る由もなかった。
ディックとドギーが実家の伯爵邸に着くと、中は大混乱していたが何とか実母から話を聞き、伯爵邸にあるディックの部屋へと戻ってきた。
「ドギー、兄上が当主となれば俺はここを出なきゃならん。お前は俺の横にいつもいるが本来はこの伯爵邸の雇われだろう。お前はここに残ってもいいぞ」
「坊っちゃん、そんな連れないことを言わんでくださいな。坊っちゃんの後についていきますから」
「坊っちゃんはやめろ、何度言ったら分かる?」
ようやく調子が戻ってきたディックであった。
そんな慌ただしい中、前当主の遺言書が公開された。そしてそこにはとある一文が存在していた。遺産の分割案や家族の処遇に混じり、ひときわ異彩を放っていた指示。それは・・・
「ドギー!やったぞ!」
「どうされましたか、坊っちゃん」
「父上の遺言でな、俺と姉上の婚姻が決まった!」
「そ、そうでしたか。それは何ともまあ、えっと、その、あの・・・」
「何だドギー、ハッキリしないやつだな。嬉しくないのか?」
「まあ坊っちゃんが身を固めるのはよろしいとは思いますけどな・・・」
ブライトン前伯爵の遺言には、二十八歳となったディックといまだ未婚であった三十三歳の姉、メラニア・ブライトンを婚姻させ、新たに準男爵家を創設して伯爵家を外から支えよ、というものがあったのだ。
ブライトン前伯爵夫妻も長女メラニアの婚姻には頭を悩ませていた。しかし当のメラニア自身に婚姻願望が無く、また、見合いなどを何度か行うも不調であったため、最後の最後でこちらも婚姻前のディックに面倒をみさせよう、というところだろう。このように使用人たちは噂をしていたが、本当のところは誰も分からなかった。
その遺言を知った時、ディックの顔には押し殺すような深い歓喜が浮かび、対照的にメラニアは絶望で天を仰いだ。そしてその話を聞いたドギーは内心で、「やれやれ、坊っちゃんは何も知らないんだから・・・」と思ってやはり顔を床に向けた。
メラニアは薄々感づいていた。 実の弟であるディックが、幼い頃から姉である自分に狂おしいほどの情念を抱いていること。そしてその純潔すぎる想いが原因で、二十八になる今も一度として他の女性と肌を重ねたことがないであろうということを。
そしてメラニアの察した通り、それは紛れもない事実であった。 だが、そんな純真無垢な弟が、自分の「過去」を知ればどうなるか。
「ディックは、あの子は絶対に私のことを処女だと思い込んでいるわ。もし私が処女じゃないなんて知られたら新婚初夜の寝台で、間違いなく首を跳ね飛ばされる!」
心の中で激しく狼狽しつつ、自尊心からか何とか平静を保つメラニアだった。メラニアは決して処女などではなかった。それどころか、過去に病院で妊娠検査を受けるほど男遊びに耽っており、これまで交わってきた男の数など、王国軍の標準的な准尉が率いる部下の人数では到底収まらない。
初夜の床で痛がるフリをしたところで、純粋ゆえに極端な軍人思考のディックは「処女=出血」と信じ込んでいるに違いなかった。単に痛がる声を上げるだけでは誤魔化しきれない。
「お父様、なんて余計な遺言を残してくれたのよ!」
メラニアは天に召された亡き父の肖像画を睨みつけた。
一方ブライトン伯爵の急死は、クリスティ・ギャロット少佐にとっても痛恨の極みであった。
「シロタ!シロタ!シロタはいるか!」
「どうしました?クリス様。そんなに大きな声を出して。まるで玩具を取り上げられた子供みたいじゃないですか」
「子供じゃないぞ!あの、あのな、あいつが死んだんだ!」
「あいつ、じゃ分かりません。誰ですか?」
「ブライトンだよ。近衛兵団の団長だったブライトンが死んだんだ!くそっ! あの伯爵め、俺の手にかかる前にくたばりやがった!」
それはシロタにとっても驚きであった。伯爵はクリスの弟ジュリアンを追い詰めて殺したメラニア・ブライトンの実父だ。
「くっそう!メラニアへ復讐を果たすと同時に、その親父にも出来の悪い娘の悪行の責任を取らせ、絶望の中で死に至らしめる計画だったのに。病死だと!許さん!」
「クリス様が許さなくても・・・」
シロタは軽口を返したが、クリスの握った拳から血が滲んでいることに気づき、それ以上は何も言わなかった。
クリスは滲んだ血を乱暴に拭い、しばらく俯いていた。やがて顔を上げると、いつもの悪辣な笑みを取り戻した。
「まあいい。死んだ者はもう使えん」
間もなく、王国貴族庁から「メラニア・ブライトンとディック・ブライトンによる新・準男爵家創設と婚姻」が公式発表された。
貴族の婚姻や離婚、分家の創設などはすべて貴族庁の公式許可を要する。 そして、このような兄妹間の婚姻は、王国貴族社会において決して珍しいことではなかった。
家系の血を薄めたくない、という古くからの特権意識により、兄妹婚はもちろん、妻を亡くした父親が娘と再婚するケースや、叔父・叔母との婚姻、長男を亡くした未亡人が次男と婚姻することなども常態化していたのだ。 血が濃くなることで生まれる障害児や奇形児については、「生まれ落ちた瞬間に処理する」という暗黙の悪習を繰り返すことで、彼らは「血統の純潔」を守ってきたのである。
だが、メラニアにとっての問題は血の濃さではない。
「痛がるフリだけじゃ駄目。何としても、初夜の寝台で血を流さなきゃ殺される! そのためには・・・処女膜を再生するしかないじゃないの。何とかしなきゃ!」
新婚生活の準備や将来の計画など頭になかった。いかにして新婚初夜を生き延びるか、それだけで頭が狂いそうであった。
そんなメラニアにとって、唯一の救いとなったのが、王国教会が密かに行っているという「奇跡の秘術」の存在だった。 結婚前、あるいは再婚前の女性に限り許される「処女膜再生の儀式」である。
メラニアは自らの宝石や私財をかき集め、寄付金と称する多額の金を用意した。 そしてある日、顔を隠す白いヴェールと深々とした帽子を身にまとい、侍女のミルキーを一人伴ってブライトン伯爵家が管轄する地元の教会へと出向いた。控室に侍女を残してメラニアは新婦の前に跪いた。
「神父様、祈りを捧げたく存じます。私に処女膜再生の儀式をお授けください」
教会の奥、薄暗い告白室で頭を垂れるメラニアに、神父は静かに頷いた。
「結婚前の悩めるご婦人よ。ようこそおいでになりました。条件は満たしております。どうか安心してお任せください」
侍女から多額の寄付金を受け取った神父は、不気味な笑みを浮かべながら、再訪の期日を告げたのだった。
指定の日。メラニアは侍女を伴わず、たった一人で教会を訪れた。 静まり返った礼拝堂の奥、奇跡を起こすと称する神父の前にしずしずと跪く。
「神父様。どうか神の奇跡により、私に再び処女をお与えください」
「悩めるご婦人よ。我が手に宿る神の威光を信じ、全てを委ねなさい」
神父はそう言うと、手にした銀の杯を差し出した。注がれていたのは、濃血のように粘り気のある、度の強い赤葡萄酒であった。 その芳醇な葡萄の香りの裏には、教会が独占する強力な新型避妊薬と、微量の催眠薬が混入されていた。味と異臭を覆い隠すための葡萄酒である。
杯を干したメラニアは、数秒と経たずに目蓋が鉛のように重くなり、全身の関節から急速に力が抜けていくのを感じた。意識を失ったメラニアは祭壇脇の石台へ運ばれた。そして神父は、意識を失った彼女に対し、神の名を借りた卑劣な行為に及んだのである。その行為は、一般的には婦女暴行と呼ばれるものだったが、教会は長年に渡ってこの儀式を神父の快楽のために利用していた。
ほどなくして「儀式」は終了した。
一刻ほどが過ぎ、メラニアは薄ぼんやりとした意識を取り戻した。着慣れた衣服にどこか収まりの悪い違和感があり、何より身体に覚えのある不快感が残っていた。
「なにこの感覚? これって男友達と散々やり散らかした後の、あの感じじゃないの!?」
戦慄するメラニアに、神父は聖人のような笑みを浮かべて語りかけてきた。
「お嬢さん、気分はいかがかな。貴女は赤葡萄酒の酔いでお休みになられておられた。その間に、私は神から与えられた奇跡のお薬、神薬を注入いたしましたぞ」
「神薬?」
「ええ。処女膜再生の儀式でございますから、膜が再生される箇所へ丁寧に神薬を馴染ませておきました。腰の違和感はそのためでしょう。膜の再生には三カ月ほどかかります。若い頃の完全な状態に戻りますから、安心してお帰りなさい」
語りかける神父の言葉など、メラニアの耳にはもう届いていなかった。あの糞神父! 私が眠っている間に、私を、私を暴行したのねっ!!
直感的に真相を悟ったメラニアは、全身を猛烈な屈辱と殺意で震わせた。 目の前が暗くなりかけたがここで意識を失ってはまた何をされるかわからない。気丈にも意識を保つため天井を見上げた。そこには見事な彫刻と飾窓があり、飾窓からはうっすらと光が差し込む幻想的な教会の天井が見えていた。
しかしメラニアはそんな絶望の教会の中で、彼女の邪悪な知恵が冷たく閃いた。待ちなさい。神父の言う通り、三ヶ月で膜が再生する? 嘘に決まっているわ。でも、これを利用すればあのドスケベな教会を脅し上げて、山のような大金を分捕れるんじゃないかしら!?
父の急死により、ディックとの婚礼は半年後と決まっていた。アルカディア王国では、身内に不幸があった場合、半年間は慶事を避ける風習があるからだ。半年の猶予がある! その間に、教会に復讐して大金をせしめてやるわ!メラニアの頭の中で、恐ろしい計画が芽生え始めていた。
それから三ヶ月後。 メラニアは自ら組み上げた計画を携え、今度はさらに規模の大きい「王都中央教会」へと足を運んだ。
計画はこうだ。 まず、前回の儀式で効果が出なかったと偽って中央教会へ再申請を出し、高位の司祭による直接の儀式を要求する。権力のある司祭であればあるほど、不正を突きつけた際の脅迫金は跳ね上がるはずだ。
当日は、教会が独占する催眠薬や酒毒を無効化する「特製の解毒薬」を事前に服用して臨む。 さらに、長年の男友達である準男爵家の男に「大金が手に入る仕事だ」と持ちかけ、中央教会の敷地内に早朝から潜伏させる。
儀式が始まり、睡眠薬入りの葡萄酒を飲んだフリをして横たわり、司祭が自分に手を伸ばした瞬間、陰から男友達のランディ準男爵が飛び出して暴行の現場を押さえる。同時に、眠ったふりをしていたメラニアが起き上がり、司祭の顔を確認して叩きのめす。言い逃れのできない証拠を前に、司祭は首を縦に振るしかないはずだった。まさに完璧な計画のはずだった。
だが、王都中央教会という組織の闇は、メラニアの浅知恵などを遥かに超えていた。メラニアから計画を聞かされたランディは、巨大な教会機構を敵に回すことを恐れた。このランディはメラニアの誘いを一度として断ったことがない。準男爵家の男など、自分が少し甘い顔を見せれば思い通りに動く。メラニアはそう信じて疑わなかった。そしてランディは日頃からメラニアに身分差で侮辱され続けていたこともあり、自分だけの身の安全と報酬を引き換えに、メラニアの計画を事前にそのまま司祭へ密告していたのである。
密告を受けた司祭は冷笑し、密かに「極秘の仕返し」を準備していた。
当日。何も知らぬメラニアは、教会に入る直前に特製解毒薬を飲み、何食わぬ顔で渡された準男爵を干した。
「ふふん、これで睡眠薬は効かないわ。あとは司祭が私の体を触るのを待つだけ」
しかし数秒後、メラニアの視界は激しくグラつき、そのまま床へ昏倒した。裏切ったランディが、事前にメラニアの解毒薬をただの食品粉末とすり替えていたのだ。昏睡して身動きひとつできないメラニアを見下ろし、集まった三人の高位司祭たちは下品に目を細め合っていた。
「神を罠にはめようとは、図々しい女だ。お仕置きが必要だな」
「ええ、念入りに神罰を与えねばなりません」
「葡萄酒に入れた睡眠薬は減らしておきましたぞ」
こうして始まった「第二の儀式」は、凄惨を極めた。
睡眠薬が減らされたからだろう、メラニアは途中で意識を取り戻した。意識が戻った瞬間に状況を理解して必死に抵抗したが、手足は縛られており、口にも汚れた雑巾がねじ込まれていてその声も抵抗も司祭たちには届かなかった。すべてが終わった後、司祭たちは自害の恐れはないと判断し、彼女を解放した。解放する直前、司祭の一人が言った。
「告発なさりたければ、ご自由に。あなたの訴えなど、いくらでも握り潰せます。それに国王陛下ご自身が教会の最上位司祭であらせられる。公になった時、傷つくのは教会ではなく、ブライトン家の名誉でしょうな」
フラフラと教会の外へ這い出してきてボロボロになったメラニアに、待ち伏せていたランディが慌てて駆け寄ってきた。
「メラニア! すごく遅かったけど大丈夫かい!? 一度は潜入したんだけど、職員に見つかっちゃってさ、ずっとここで待っていたんだよ!」
「あ・・・・・・ぁ・・・・・・」
ランディの言い訳など、もうメラニアの耳には届いていなかった。 這うようにして自室へ戻ったメラニアは、暗闇の中で自らの身体を抱きしめ、底なしの絶望に震えていた。
「騙された。全部、仕組まれていたのね。あの屑ども、許さない!絶対に!」
メラニアは教会の鐘を聞くたびに「あの司祭どもを皆殺しにしてやる」と歯を食いしばり、不愉快な記憶を振り払った。更に男の足音が聞こえると一瞬身構えてしまうが、すぐに「私はやられるだけの弱い女じゃない!」と強く考えた。
それから三か月が過ぎた。ディックとの婚姻の儀式が数日後に迫る中、メラニアは決断した。このまま屋敷に残れば、望まぬ婚姻から逃れる術はない。教会も家族も頼れないのなら、自分の力で逃げ道を切り開くしかなかった。その夜、メラニアは暗闇に紛れ、ブライトン伯爵家から姿を消した。
「屋敷へ戻れば、私はディックの妻にされる。教会も、兄も、友人も信用できない。ならば、自分で生き延びて何とかするしかないわ」
メラニアは振り返らなかった。




