4-14 降伏
その日の内に兵糧作戦が発令されたが、それを知ったディックはスパイクに意見を求めた。
「スパイク。准尉はこの兵糧作戦をどう思うか?」
「いいと思います」
「ほう、穴はないか?」
「穴はあります。私が帝国軍人なら少人数の指揮官級の軍人を脱出させて皇城から離れたところで平民兵を集めて王国軍の輜重部隊を襲撃します。もちろん物資は平民にすべて分け与える、とすれば喜んでやるでしょう。そして王国軍は皇城を取り囲むだけで精一杯。余分な兵はいませんからね。輜重部隊が手薄です」
「帝国軍にそれをやられたらまずいな」
「恐らくやれないでしょう。司令部がそんなに甘いことをするとは思えません」
ディックはこのスパイクの不安を念のため司令部へ伝え、兵糧作戦を外から支援する意味においてもディックとその配下を輜重部隊の護衛に再度つけることとした。ロランはもちろんディックと行動を共にしていた。
同時にクリスも同じ危険を想定していた。そこへディックから同様の進言が届いたことで、輜重防衛をさらに厚くする決断を下した。
こうしてシロタ発案、クリス提出の兵糧攻めが開始された。
もちろんクリスはスパイクが案じていたことなど最初からお見通しであった。王国軍は皇城の東西南北四箇所の出入り口を厳重に見張り、完全に人と物資の往来を止めた。正確にいえば、一般の平民と奴隷が城外へ退去することは認めたが、兵士、貴族、行政官が皇城を出ることは禁じた。退去者は一人ずつ身体と所持品を検査され、年齢、職業、居住区を聞き取られた。兵士や行政官が平民を装っていないか、城内に潜入した諜報員から得た名簿とも照合された。また、どのような人物であっても外から中に入ることを許可しなかった。
さらに皇城北側の河川には両岸へ監視所を置き、昼夜を問わず騎馬哨戒を巡回させた。さらにキャメリート街道工事が終わって皇城攻城戦のために追いついたウェルディ大佐には緊急で城門の見張り台を作らせ、川には小舟が使えないような工作を行い、川幅が狭くなる箇所を選び、杭を打ち込ませた。不用意に小舟が近づけば杭によって船底に大穴が開くだろう。その杭はわざと川面から顔を出させた。更に川面には鎖と丸太を渡し、小舟が皇城へ近づけないよう工作部隊に作業をさせた。
「バスク、配下の者を皇城に潜入させろ。城内の食料備蓄、軍の士気、皇帝周辺の動きを探れ!」
「は!」
帝国軍もかなりの犠牲者がここまで出たのだろう。打って出ることはしなかった。もし打って出ることになれば城門を開く必要があるが、王国軍は常に騎馬隊に突撃可能状態で待機させたため、城門を開くことはすなわち王国軍の突撃を招くため、城門が開かれることはなかった。なお、攻城戦で破城槌が使われた南門については破城槌の衝撃により、そもそも城門が開けない状態で破損していたのだが、それは王国軍は把握できていなかった。
包囲が始まると、まず食料を持たない平民と奴隷が城外へ出始めた。最初は一日数十人にすぎなかったが、半月を過ぎる頃には毎日数百人へ増えた。それでも城内には軍人、行政官、貴族とその家族が残り続けた。
一か月を過ぎる頃、夕餉の煙が見られなくなった。配給が一日一食へ減らされたのである。さらに日が過ぎると、朝の煙さえ城壁の一部からしか上がらなくなった。 この間、王国からは多くの輜重部隊が動員され、帝国領内を我が物顔で北上し、皇城包囲軍に食料と物資を届け続けた。
そして更にひとつき。とうとう動きが生じた。
まずとある深夜、誰一人予想もしない事態が起きていた。 帝国の最高権力者・ガルディニア八世が、歴代皇帝だけが知る、城壁地下から下流の茂みへ抜ける狭い秘密通路を使って側近だけを連れて脱出し、夜闇へ消えてしまったのである。
後に王国軍が確認したところ、その通路は人一人が四つん這いで進むのがやっとの狭さで、物資輸送には到底使えない皇帝専用の脱出路だった。
帝国軍将兵たちが「皇帝の敵前逃亡」を知ったのは、翌日太陽が中天に昇った頃であった。
皇帝逃亡を知った皇城守備司令官と帝国宰相は、これ以上市民を飢えさせる意味はないと判断し、連名で降伏を決定した。そしてすぐに城壁の上に複数の白旗が掲げられた。戦争は終わったのだった。
「シロタ、一足先に王国へ帰るぞ」
「は?まだ作戦は完全に終わっておりません」
「もう帝国は降伏したんだ、俺の出番はもうないだろう。」
「そんな、興味が無くなったからって子供ではないのですから」
「降伏条件と破壊対象の一覧は作った。あとは司令部が執行すればいい。私は一足先に帰るぞ」
「ですが帝国の皇帝も情けないですね。勝手に逃げ出すとは。我が国王も同じようになれば逃げ出すでしょうか?どう思いますか?クリス様」
「まあそのおかげで帝国軍も早々に白旗をあげたしこちらの犠牲もそれだけ少なく済んだわけだ。感謝しようじゃないか。あとな、やはりもうこの地で追加の手柄を立てる機会は無いんだ。これ以上こんな地に長居する気はない」
こうして、王国による帝国侵攻作戦は幕を閉じた。降伏条件として、皇城の住民と武装解除に応じた一般兵の生命は保証された。そして帝国軍の武器庫、軍需工場、攻城兵器、軍馬施設、司令部文書はすべて王国軍へ引き渡された。王国軍は民家や市場、食料倉庫には手を出さず、軍事施設だけを選んで破壊していった。
今回の勝利により、兵糧作戦立案の最高責任者であるクリスティ・ギャロット中尉が「戦功一番」として大尉へ昇進。輜重隊を守り抜いたディック・ブライトン首席少尉が「戦功二番」として中尉へ昇進した。そして他の人材も順次昇進が言い渡された。
しかし、結果としてクリスが「戦功一番」とはなったもののやはりこの論功行賞においてはバルト・シールド憲兵隊中佐は難色を示したという。
「クリスティ・ギャロット中尉の功績は見事です。しかし。小官には中尉の腹が見えません。ギャロット中尉には不穏な噂も幾つかあります。また別の噂では平民出身で準男爵位を買って入隊した、というものもあります。真意を見極めるまで昇進は保留がよろしいかと」
しかしこのバルトの意見は通らなかった。噂で人事を曲げるわけにはいかず、ましてや勝ち戦で功績ある軍人の昇進を拒めば忠誠心が揺らぐ。命をかける軍人に対してそれはできないのであった。
クリスの昇進と同じくシロタも評価された。クリスの作戦を立案し、要所をしっかりと締めたシロタには王国特別勲章と巨額一時金、そして王家より軍馬が一頭贈られることとなった。これは王国の悪しき伝統、「平民兵は通常は一等兵止まり、上等兵は十年に一度の功績、そして平民准尉は神がかった奇跡」というものに沿い、昇進ではない恩賞で報いたのだった。
そしてバスク、スパイク、ロラン、ウェルディにもそれぞれ昇進や一時金などの報酬がもたらされた。
この年の春から始まった帝国への侵攻はこうして計画から最後の論功行賞までの全てが王国全軍司令部記録処の若手担当官、リノス・ヤーヴェア少尉二十五歳によって詳細に記録され、王国軍書物庫に納められた。
「それよりも今回の兵糧作戦は驚きましたな。聞いたところこの作戦の立案者は情報部参謀クリスティ・ギャロット大尉という御方だそうですな」
「そうか」
このときディックは初めてクリスの名前を聞き、その名だけが、ディックの胸に小さな棘のように残った。その名を耳にした瞬間、ディックはなぜか、遠くから自分を見定める視線を感じた。
「だがなドギー。俺は今回のような、戦わずして搦め手で敵を溶かす、という戦い方は好かん。違和感しかない」
「そうですか?楽で良いじゃないかと思いますな」
「兵糧攻めが間違っていたとは思わん。正面から攻め続けていれば、我が軍にも帝国軍にも、さらに多くの死者が出ていただろう」
「では何が気に入らないのです?」
「帝国軍は、戦って敗れたわけではない。皇帝が逃げたから剣を置いただけだ。奴らの武力も、我らへの憎しみも、何一つ消えてはいない」
「さすがは白銀の騎士様ですな!」
「茶化すなドギー。皇帝逃亡による政治的降伏は、帝国軍人や国民の納得を伴っていない。だから将来の火種になる。色々と思惑はあるのだろうが、この機に帝国を完全に王国の一部とすれば良いものを」
そう信じて戦場で血と汗を流してきたディックにとって、皇帝の逃亡によってもたらされた勝利は単なる先送りであり、王国と帝国との間の火種がより一層燃え上がるのではないか、という不安があった。
消化不良と不条理の塊のような苦い思いが、いつまでも胸の底に澱となって残る。
王都へ帰還したディックは、時間を見つけては戦死した部下の遺族を一軒一軒訪ね歩き、無言の帰宅となったことを深く詫びた。その誠実な姿が一般平民の間でさらなる「ディック人気」へ繋がり、平民の支持まで集め始めたディックの報告を受け、クリスは喜ぶでも怒るでもなく、長いあいだその名を見つめていた。軍功だけでなく民心まで得る男を、もはや単なる若い将校として扱うことはできなかった。
ディック・ブライトン中尉、二十七歳。 クリスティ・ギャロット大尉、三十一歳の秋の出来事であった。
なお、キャメリート街道は、帝国侵攻の終了後も放置されることはなかった。
王国で大尉へ昇進したクリスティ・ギャロットは、ある日ウェルディ大佐のもとを訪れた。
「ウェルディ大佐、相談に参りました」
「なあに、子猫ちゃん」
「こ、子猫? いや、まあいいです。先日切り開いたキャメリート街道へ、検問所と防衛拠点を築きたいと考えております。その工事指揮をお願いしたい」
「あらまあ、そうなの? 上から命令が来れば喜んで引き受けるわ」
クリスは早速、シロタに具体的な計画を作らせた。帝国側の街道出口については、引き続きバスク配下の諜報員に監視させ、街道の存在を可能な限り秘匿する方針も維持された。
その後、クリスは中央軍司令部へ、キャメリート街道の防衛設備建設案を提出した。計画は無事に承認され、工事指揮はウェルディ大佐へ一任された。
「ウェルディ大佐。大変な工事になると思いますが、お願いいたします」
「まかせてー!」
翌年の春から工事が始まり、およそ三か月をかけて、検問所一か所、国境警備隊が駐屯できる防衛拠点二か所、さらに街道上の各橋へ裏側から接近できる極秘通路が整備された。こうしてキャメリート街道は、単なる秘密の侵攻路ではなく、王都北方を守る戦略街道へと姿を変えたのであった。
その一年後、キャメリート街道の完全落成と帝国軍に知られぬ工作と巡回、そしてその戦略的価値を非常に高く評価した王国軍は計画を立てた第一人者であるクリスティ・ギャロット大尉を昇進させ、少佐とした。
そして夕暮れ時の王都の一角にある酒場ではとうとう四十歳になったテイン・カースが一人、濃い酒を舐めていた。
「おいテイン、いつにも増して陰気じゃねーか」
「うるせー、ほっといてくれ」
テインの横に配属された新入りが戻ってこれなかったのはこれで何度目だろう。テインは平民兵の中でも最古参、というわけではなかったが最古参に近かった。そしてテインよりも戦歴が古い兵からは、死神テイン、と呼ばれていることも知っていた。
「何でこうなるんだ。まったく戦争って奴は・・・。俺には未来は無いけどよ、未来ある若者の命を吸い取ることはないだろうに」
テインは未婚だったが、テインには今年八歳と六歳になる甥っ子が二人いた。テインは六歳の甥っ子が将来、王国軍の兵士になる姿は見たくなかった。
「その時は俺が横について見守ってやるさ」
「おいおい、死神テインが横についたら死んじゃうだろうに」
と、よく古参仲間からは言われてたっけな。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第4章では王国の主敵である帝国との戦争を描きました。
次章は順調に歩んできた主要キャラクターの受難を描きます。どうぞご期待ください。
もし本作を面白いと感じていただけましたら、ページ下部の星マークからの評価や、感想をいただけると励みになります。
引き続き『ヒュービック大陸興亡記』をよろしくお願いいたします。




