4-12 増援
帝国軍の撤退により無傷で合流を果たした王国侵攻軍は、前進を再開する前に帝国内部の詳細な地図作りを急いだ。現在地から皇城へ至る街道、村落の位置、破壊目標、撤退予想路、野営地や河川などを手分けして重点的に記録していく。
先行して皇城へ潜入していた工作員たちから情報を集め、二日を費やして城壁内部の軍事施設、門、兵舎、倉庫、主要街路を記した概略図も完成させた。しかし攻城作戦だけは決まらないまま皇城へ進軍することとなった。
一方、王国軍の突撃によって壊滅した帝国防衛部隊は、十分な距離をとったところで移動停止の銅鑼を鳴らしていた。 銅鑼の意味すら理解していない老農民兵たちはそのまま散り散りに逃げ去ったが、下級指揮官や若手の専門軍人たちは集結を果たしていた。しかし平民や奴隷階級の兵が霧散した今、残されたのは全体の二割、わずか六千人ほどに過ぎない。
「だが、まだ六千人は残っているんだ。このまま無様に皇城へ帰れるか!」
緊急軍議が開かれ、部隊の再編が行われた。 職業軍人が中心となったことで、帝国軍は辛うじて精悍さを取り戻した。そして敵主力との真っ向勝負を避け、遅れてやってくる王国軍の「輜重部隊」を壊滅させる方針へ転換した。帝国軍は以前から放っていた諜報員の報告により、王国軍輜重隊の位置を把握していた。主力部隊が動き出し、約二日遅れて移動を始める機会をじっと窺う。
その頃、後方を進む王国軍の輜重隊は九千、護衛隊は三千という陣容であった。実戦部隊へ糧食を引き渡して荷車が空になった人員から順次王国へ帰還させていたため、全体の人数は減少しつつあった。
王国侵攻軍が移動を開始して約一日。王国軍司令部へ諜報員からの緊急報告が入った。
「報告! 敵軍の一部、およそ五千から六千が南方へと移動を開始しました。おそらく我が軍の輜重隊を狙っているものと思われます!」
報告を聞いた司令部は即座に一千の部隊を割いて輜重部隊への増援に回した。その中にディックの部隊も含まれていたのである。
ディックはなぜ一千しか増援を送らないのか訝しんだが侵攻軍司令部も実は対応に苦慮していたのだ。それは帝国軍から度重なる挑発があり、また、皇城防衛のために四万もの軍隊を待機させている、という情報が入っているからであった。その皇城防衛軍は皇城にとどまっておらず、常に王国侵攻軍を狙える有利な配置を取っていたため、さすがは地の利がある、と言わざるを得ない展開となっていたのだ。
ただしこれは帝国軍が仕掛けた苦し紛れの策であった。帝国軍四万はその中身は精鋭八千と周辺の村々からかき集めた老兵三万二千であり、老兵自体がとても戦える人員ではなかったのであるが、遠目の軍容だけからその内実を見抜く材料は、王国軍にはなかった。
突然の下命にディックは目を見開いたが、中尉や大尉たちをまとめる少佐は、謹んで命令を拝命した。増援軍一千は急ぎ行軍列を離れ、輜重部隊との合流を目指して南下した。しかしその途中、帝国軍の先行部隊三千と偶然遭遇してしまった。帝国軍六千は、先行する部隊三千と、輜重隊を伴う後続三千に分かれていたのである。ディックたちが遭遇したのは、その先行する部隊であった。そして残る帝国軍三千の一部は輜重護衛に残り、他は別経路から王国輜重隊を捜索していた。
「諜報員め、何をやっていた!」
「少佐、我が国は少し諜報を甘く考えているようでなりません」
そんなことを言っていても事態は変わらない。無秩序に始まった戦闘を何とか抑えようと両軍の司令部ともに苦心し、立て続けに撤退銅鑼がなされているが戦闘中の撤退ほど難しいことはない。帝国軍は王国軍の人数が少ないと見たのだろう、すぐに撤退銅鑼をやめ、別の音色の銅鑼を鳴らし始めた。恐らく突撃銅鑼であろう、帝国軍の攻勢が一気に強まった。
「ドギー、これはまずい。旗色が悪すぎる」
「坊っちゃん、左から帝国軍の別動隊が迫ってきます。このままでは半包囲から殲滅されますな!」
「これでは各個撃破してくれ、と言わんばかりだ。配下に指示を出せ、防御に徹しろ、時間を稼げ!とな!」
「承知!」
ドギーは伝令を飛ばしたが旗色は刻一刻と悪くなっていった。
「スパイク!」
「は!」
「スパイク、この状況の打開策を考えよ!」
「は?今すぐにですか?それはできません」
「なんだと?」
「私には今の情報が足りなすぎます。首席少尉殿がお持ちの情報を元に首席少尉殿が先に打開策を。私が修正します!」
「時間をかけられんな、わかった。私の策はこうだ」
ディックの策は部隊を引けるだけ引き、その間にロランを敵軍の後ろに回り込ませて敵司令部を落とす、というものだった。それを聞いたスパイクが首を振りながら言った。
「それは穴だらけです」
「・・・また穴だらけか、では准尉ならどうする?」
「首席少尉殿、お伺いしたいのですが、半包囲中の敵軍の後方には森があります。その森には街道が通っていますか?」
「通ってるな。敵軍の中央よりも少し右側だろう。一本ある」
スパイクの策はロランを先頭に陣形を楔形に再編し、半包囲の敵陣の中央右側を突破。そのまま緩やかな円形を描きつつ右手前方へ高速移動して撤退する、というものだった。
王国軍から見て右前方、すなわち半包囲する帝国軍の背後には森林があり、その中を狭い街道が通っていた。敵陣の中央右側を楔形で突破し、そのまま弧を描いて森へ飛び込めば、大軍が横へ広がれない街道上で追撃を食い止めながら撤退できる、というものだった。
「その案ではなく単純に我々の背後へ逃げていくのはダメか?」
「我が軍の背後は広い田園地帯が広がっています。走って逃げてもいつまでも追いかけられますし追いかけられながらどんどん削られてしまいます」
「分かった。スパイクの案でいこう。少佐に伝えてくるぞ、スパイク、ついてこい!」
「は!」
結果として王国増援軍はディック・スパイク案を使う決断をした。増援軍はロランを中心に紡錘陣を組み直し、帝国軍へ向けて突撃を開始した。特に楔の外側を担った兵たちは、左右から浴びせられる槍と矢をその盾で受けた。森までの短い距離に、王国兵が次々と倒れていく。振り返って仲間を助ける余裕はなく、生き残った者は前の兵の背だけを見て走り続けた。
半包囲を突破した王国兵は森へ駆け込み、狭い街道で帝国軍を迎え撃ちながら撤退した。日暮れまで過酷な戦闘が続いた末、ようやく両軍は鉾を収めた。
だが増援軍一千は帝国の半包囲から抜け出すも森に逃げ込むまでの間に多大な犠牲が出ていたのだ。一千のうち約三百名が戦死し、約二百五十名が負傷して次の戦闘には参加できず、次の戦闘で使える兵はせいぜい四百五十といったところだった。そして更に致命的なのは半包囲を突っ切る際に増援軍をまとめて率いていた少佐が矢傷を受け、命までは落とさなかったものの次の指揮は取れそうにない状態となってしまったのだ。
そして翌日までに増援軍は負傷兵と一緒に移動し、輜重部隊と合流を果たした。これで輜重部隊は、九千の輜重隊、三千の輜重護衛部隊、そして四百五十の増援軍と二百五十の負傷兵、という集団となった。増援軍をここまで率いてきた少佐は他の負傷兵とともに王国へ帰ることとし、更に負傷兵を治療するための医療兵十人が付き添うこととなった。残念にも先日の戦いで命を落とした王国兵については、その首輪章を確保する時間もなく、戦闘終了後に神の元に召された兵士たちの首輪章を少佐が持ち帰るに留めるしかなかったのである。
そして増援軍が合流してから軍議が開かれ、この後の迎撃策が検討された。そこでディックは昨夜からスパイク准尉と様々に話し合った結果、作り上げた作戦を提案することとした。
「増援軍少尉のディック・ブライトンです。ひとつ、作戦を提案します」
スパイクの作戦はディックの作戦を昇華させたものとなっていた。ディックはまず輜重部隊を守るために一旦輜重部隊を南に下げ、必要なら王国にまで撤退させることを考えた。前線部隊には食糧難が発生するが、それを見越して前線部隊にも一旦下がるように伝令を出し、その途中で前線部隊と輜重護衛部隊とで協力して前に出てきている帝国軍を殲滅する。その後に再度帝国へ侵攻する、というものだった。
だがスパイクはこのディックの作戦を更に練り上げ、渡河防御と敵輜重隊襲撃を組み合わせた策を作ったのだ。
「スパイク、西に河川があるようだが、そちらに行くと川を渡ることが困難になる。西には行かないほうがいいだろう。西に行かずに南に移動するとその先に小さな村落がある。ここを拠点とするのはどう思うか?」
「首席少尉殿、その案では帝国の村人を殺さなければならなくなるかもしれません」
「ではどうする?お主の案を述べてみよ!」
「首席少尉殿、西の河川は大河ですか?それとも小川のような小さな川でしょうか?」
スパイクの案はディックが避けよう、といった河川を利用する内容だった。帝国人は水を嫌っている、ということを利用しない手はない。まず輜重部隊は現在いる地点から少し西に流れる中級河川まで移動し、その川の手前で陣を張る。そして川に架橋し、川を渡り終えたらいつでも橋を落とせるように準備をしておく。
さらに諜報工作員を上下流へ放ち、徒歩一日圏内にある三本の木橋を、火矢で焼き落とす。
これで渡河後の輜重部隊は安全になる。なぜなら帝国軍は橋を使わずに川を渡ることはほぼ考えられないからだ。その上で実戦部隊の半数を渡河させ、もう半数は帝国軍の後ろにいるはずの敵輜重部隊を攻略する。
つまりこれは攻守所を変えた輜重部隊攻略戦であった。そして先に輜重部隊を失った軍は軍容を維持できなくなるため、早々に撤退せざるを得なくなる、というものであった。軍は人数が多く、訓練と統率が優れ、装備が優秀であっても所詮は人間なのだ。丸一日まともに食事を取れなければ、翌日には力も士気も大きく落ちる。結局、輜重部隊の壊滅は軍勢の壊滅であるのだ。
輜重護衛部隊と増援軍はそのスパイク案を採用し、提案者のディックを臨時司令官とした。これは王国軍の昔からの慣習である「発案者が責任を持て!」ということを踏襲したものである。
この時点で戦闘可能な兵は輜重護衛隊三千と増援軍四百五十の計三千四百五十。ディックはこれを二つに分け、一方を渡河地点の防衛に残し、もう一方を敵輜重隊の襲撃へ向かわせることとした。諜報員の報告によれば、帝国軍の輜重隊は北東の街道上を遅れて進んでいた。
そして一行はすぐに西方へ移動し、河川へ到着すると同時に架橋を開始した。
川幅から考えれば、完成には二日を要すると思われた。しかし工兵たちは休むことなく作業を続け、荷馬車を通す主橋一本と、兵士や馬を渡す簡易橋二本を一昼夜で組み上げようとしていた。その日の夕刻、橋が完成する前に、川の手前へ帝国軍が姿を現した。
「スパイク、どうする? 帝国軍が来たぞ!」
「大丈夫です。帝国軍は川を使った戦いをひどく嫌っています。おそらく、すぐには攻めてきません」
「そうだとよいがな」
事実、スパイクの予想どおりとなった。
帝国軍は河川そのものを恐れているわけではない。しかし、水際での戦いとなると途端に動きが鈍くなる。両軍が睨み合うなか、工兵たちは背後で架橋作業を続けた。
やがて、別の報告が入った。
「臨時司令! 上流と下流の木橋三本、すべて使用不能にしました!」
「よくやった!」
日が沈む直前、ついに三本の橋が完成した。
「負傷兵を先に渡せ! 続いて輜重兵と荷車だ! 急げ!」
荷車を通す主橋には長い列が生まれ、二本の簡易橋では兵士と馬が絶え間なく対岸へ移されていく。
このまま輜重部隊を対岸へ逃がせば、帝国軍が目指した略奪作戦そのものが失敗する。水辺を嫌っていた帝国兵も、ついに突撃せざるを得なかった。
「もう遅い!」
ディックが叫んだ直後、突撃してきた帝国兵が次々と足を滑らせた。河原の砂利には、輜重隊から徴発した灯火用の油が撒かれていたのである。石の間には枯草と油を染み込ませた布が敷き詰められていた。そこへ火矢が射込まれると、河原の一角が激しい炎に包まれた。燃え上がる帝国兵と地面から、肉の焼ける嫌な臭いが漂ってきた。
「これで時間を稼げる! 輜重部隊はどんどん渡れ!」
こうした火計をディックは好まなかった。火が村や田畑、森林へ燃え移れば、守るべき民を傷つけるからだ。だが、ここは人里から離れた石河原である。敗北すれば輜重隊全体が失われる以上、使用を拒む理由はなかった。
夜を迎える頃までに、九千の輜重兵と大半の荷車、そして負傷兵を対岸へ逃がすことに成功した。だが、敵を食い止める戦闘部隊は、なお南岸に残っていた。そして夕闇が迫り、帝国軍も撤退していった。
翌朝、ディックは南岸に残した戦闘部隊に橋を渡らせ渡河地点の防衛に就きつつ、食事を摂らせた。そしてその一刻後に帝国軍が姿を現した。
王国軍はすぐに橋を落とせるようにあからさまな準備を行った。架橋は最初から崩しやすい設計で組み立てたため、素人が見てもすぐに落とせそうな橋だということが分かった。帝国軍もその橋を渡っている最中に橋を崩されることがわかり、とても渡河できないでいるのだ。こうやって時間を稼いでいる内に残り半分の部隊が敵輜重部隊を見つけて攻略すれば作戦は成功するのだが。
川を挟んだ睨み合いが若干続いた後、帝国軍は川岸に弓兵を並べた。そして対岸の王国軍に対して弓射を始めた。川幅がそれほどでもなかったため、矢が対岸まで届いた。しかし、若干川岸から退けば矢も届かなくなるが、反面、橋を守ることも崩すこともできなくなる。
王国兵が川岸から引いたことで帝国軍はゆっくりと架橋を渡り始めた。スパイクの策はそこまで織り込み済みであった。架橋を超えた帝国兵がおよそ百に達した時点で一斉に矢を射かける。帝国兵も必至で盾を構えて防戦するも、盾は一瞬でハリネズミのようになり、次々に帝国兵は斃れていった。
それを二度繰り返すと帝国兵は渡河自体を躊躇い始めていた。これでいい。後は時間を稼ぎ、別動隊が帝国軍輜重部隊を撃破してくれればよいのだが。
日が中天にさし掛かった頃、帝国軍が川岸から静かに撤退を始めた。もしかしたら敵輜重部隊を攻略できたのかもしれない。油断のないように軍容を固めつつ、ディックは四方に放った諜報からの伝令を待った。そして一刻後、待ち続けた伝令がようやく駆け込んできた。
「報告!敵輜重隊の壊滅に向かった部隊が敵輜重部隊を捕捉し、護衛を撃破しました!糧食荷車の半数を焼き、残る荷車と家畜を鹵獲しました! 別働隊は現在こちらへ帰還中です!」
「死傷者は?」
「は!我が方の損害は戦死百二十、負傷二百余!」
「そうか。スパイク!」
「は!」
「今回は助かった。」
「いえ、首席少尉殿が最初の案を出さなければ私は何も思いつきません。」
「そうか?」
「私は何もないところから作戦を生み出すのが苦手なのです。ですが、目的と情報、それに首席少尉殿の原案があれば、穴を見つけて磨き上げることができます」
ディックは苦笑した。
「変わった才能だな?」
こうしてディックは辛うじて輜重部隊を守り抜いた。だが最初の遭遇戦では三百名を失い、輜重隊襲撃でも百二十名が帰らなかった。勝利を喜ぶ気持ちには、到底なれなかった。
だが、悔やんでいる暇はない。ディックは首を振り、部隊の再編を命じた。輜重部隊を再び動かし、本隊への物資輸送を再開しなければならない。次の戦いは、すでに皇城の目前で始まろうとしていた。




