4-11 事情
クリスはキャメリート街道の秘密を守るため、配下の諜報員を帝国側の出口周辺へ残し、近づく者を密かに遠ざけさせていた。
二手に分かれた軍勢は、実戦左翼部隊一万七千が西側から、そして二日遅れで王都を出発した実戦右翼部隊が東側から帝国領内へ侵入し、さらに実戦部隊に二日遅れて輜重隊が追うという形で進んだ。
通常、荷馬車を引く商人が帝国内の街道を行く場合、王国との国境沿いの東側街道から中心都市である「皇城」まではおよそ五日ほどという比較的近い距離にある。 その帝国内の街道を進むこと一日目の夕方、ついに王国軍に帝国軍発見の報がもたらされた。
帝国軍は東側街道から北西におよそ一日の距離にある平原に陣を張っていた。総勢約三万。内訳は騎馬隊五千、歩兵二万五千という。 対する王国軍の実戦部隊も三万四千ではあったが、依然として二手に分かれたままであった。そして帝国軍は、皇城に近い「王国軍右翼」の目の前にその三万の陣を構えていたのである。
この事態にどう対処すべきか、移動中の右翼軍司令部内で急遽軍議が開かれた。個別に対峙するのは危険であるため、即座に連絡員を飛ばして作戦が立案された。
進軍を一旦停止し、二日後の朝に会敵するよう移動速度と野営時間を計算。同時に侵攻軍左翼へ急行を指示し、三日後には合流させるという計画だ。つまり右翼が先に戦端を開いたとしても一日凌ぎきれば、数の上でも有利に立てるという計算であった。
実は、帝国軍が三万という限られた迎撃軍しか用意できなかった背景には、切実な事情が存在した。長年王国軍が攻め込んでこなかったため、帝国内では「王国は攻めてこない」という油断が軍人や政治家の間に定着していたのだ。帝国も五十年前まではこの二箇所の国境街道に堅固な警備隊を配置していたが、王国の不侵攻に安心し切って撤廃してしまっていたのだ。久々となる王国軍の侵攻に、帝国軍司令部は混乱に陥った。
それでも防衛をしないわけにはいかず、急遽編成された迎撃軍が選んだ決戦場、それは都市や村々、河川から離れた地であった。 河川から離れた理由は、「自分たちが河川を使った戦い方を知らないのに、敵が知っていたら困る」という、どこか情けないものだった。
しかし不幸にも、彼らが選んだその場所は二手に分かれた王国軍と首都である皇城との三箇所のちょうど中間地点であり、王国軍からすれば「挟撃してください」と言わんばかりの地点だったのだ。
やがて、王国軍右翼が開戦の地に現れた。帝国軍は、東西から迫る王国軍の双方を警戒し、一万五千ずつ二軍に分かれて布陣していた。王国軍は事前に情報をつかんでいたため、距離を保って布陣する。 一万七千の実戦部隊だけで攻め込まず、迅速なる合流を最優先とし、防御を固めながら左翼部隊一万七千の到着を待った。
一方、布陣した王国軍を見た帝国軍の前線指揮官からは「ただちに攻撃すべき」との上奏が上がっていた。しかし帝国軍上層部には、到底突撃を許可できない頭の痛い裏事情があった。
帝国軍の前線兵士の多くは、ただの農民兵であった。当然、練度も技術も極めて低い。王国へ侵攻するなら略奪による莫大な戦利品や女子供の誘拐という「報酬」があるため、農民兵たちのやる気は凄まじかったが、防衛戦では何も略奪できない。
おまけに帝国政府は兵員数確保のため、村落に対して従軍男性一人を出すごとに税の軽減措置を設け、十人出せば更なる軽減措置を設けた。そしてひとりも兵士を出さなかった村落へは増税を課すとした。当然、村落側とすれば増税は困るし税の軽減措置は重要だ。そこで、「少しでも農作業の負担にならない者」、として老人男性を大量に従軍させた。政府が出した兵員の制限年齢がなかったことが裏目に出たのだ。
更に平民兵にやる気が出ないのは、戦った報酬として金銭が出たとしてもその金銭の使い道が無いのだ。若ければ娼館などにも行けるが帝国の農民は娼館では非常に嫌われていた。農作物に人糞を使い、体内に寄生虫を宿した農民を喜んで相手にする娼婦はいなかった。結局、得た報酬は納税として使われる事が多くなり、報酬を楽しみとして使えない以上、士気も最低だった。
そんな帝国軍の惨状など知る由もない侵攻右翼軍は、相手が動かないことを「時間を稼ぐ好機」と捉え、慎重に陣を維持した。
時間とともに反対側からは侵攻左翼軍一万七千が足早に近づいており、合流すれば規模のうえで逆転できる。決戦をそれまで引き延ばすことこそが王国軍の上策であった。
「一等兵殿、動きませんね」
「そうだな。新入り、こういうときは寝てるに限るぞ」
「慣れていらっしゃるんですね」
「まあそうだな」
テイン・カースはそう言うと鉄帽を目深に被り、目を瞑った。どうもすぐに寝てしまい、軽くいびきをかいたようだ。
「一等兵殿、さすがにいびきはまずいです」
「おう、そうだな、ありがとよ」
「この戦い、勝てるでしょうか?」
「俺等のような下っ端には戦の勝ち負けなんか関係ねーよ。死ぬか生き残るか、だ」
「そうなんですね。この戦いはどうでしょう?」
「心配か?」
「もちろんです」
「まあそうだよな。でもな、勝ち戦でも死ぬ奴はいるし負け戦でも生き残る奴はいるんだ」
「一等兵の見立てはどうですか?勝てますか?」
「そうだな、まあ今回は大丈夫だろう」
「何でですか?理由を教えてください」
「理由か?理由はな、鉄帽を被ったあとに頭が先に痒くなるときは負けるんだ。でもな、頭以外が先に痒くなるときはだいたい負けないんだよ。特に股間が先に痒くなったときはほとんど勝ってる」
「こ、今回はどこが先に痒くなったんですか?」
「ふっ、ここさ」
といってテインは人指し指を股間に向けて自慢そうな顔をした。
すると近くにいた他の平民兵が会話に割り込んできた。
「出たな、テインのクソ占い。そんなのが当たれば苦労しないわ!」
「クソって言うな!クソって」
テインはニヤリとした笑いを浮かべた。
両軍は互いに動かないまま日が暮れ、夜襲を警戒しながら野営が張られた。しかし夜間も何も起こらず、翌朝、侵攻左翼軍の姿が決戦場に現れた。左翼軍が到着した時、そこは不気味なほど静まり返っていた。
一方、あまりにも不気味に静まり返る帝国軍を前にして、王国軍もまた困惑していた。 左翼軍が合流した以上、長引けば補給の負担が増すため迅速な決着が求められる。それなのに王国領では血気盛んに略奪を繰り返してきた帝国軍が、あまりにも動かないため、完全に拍子抜けしていたのだ。そして諜報員からは帝国軍が緩みきっていることが報告されていた。
「首席少尉殿!」
「スパイク准尉か、どうした」
「敵軍は緩んでいるように見受けられます。突撃の作戦をお願いします!」
「作戦か、お主がまずは作戦を立ててみよ」
「承知いたしました。ただし作戦立案の先陣は、首席少尉殿にお譲りします!」
「先陣を譲るか、わかった。敵軍が緩んでいるならまずは半包囲をかけて弓隊を使った長距離打撃だろうか」
「その作戦は穴だらけです!」
「穴だらけとな」
「はい。穴だらけです」
「理由を聞こうか」
「この場合、半包囲は危険です。数を減らしていない敵軍に半包囲を仕掛けたら中央から食い破られる恐れがあります。敵が小規模な別動隊を我が軍の背後へ回せば、司令部を直接狙われます。司令部を厚く守れば、今度は薄く伸びた包囲陣の側面を切り裂かれるでしょう」
「ではどうする?」
「そうですね。敵陣がもし本当に緩んでいるなら密集隊形で突撃、でしょうか。半包囲よりも何倍も迫力がありますので腰が引けている敵兵なら逃げ出すと思います」
「なぜそれがいいと思うのだ?」
「は!理由は敵が緩んでいるからです。緩む敵など突撃陣形の前では何も出来ません」
こうしてディックはドギーに言って突撃陣形の用意をさせつつ、司令部へ駆け込んだ。
「敵軍の綱紀は完全に弛緩しております! 全軍突撃の許可を!」
あの「奇跡の昇進」を果たしたディックからの報告を受け、司令部も動いた。ディックを軸に即席の突撃隊を編成し、他部隊と足並みを揃えて一斉突撃をかけるよう命じたのである。
命令を受けたディックは少尉クラスの指揮官二十人を集め、千人規模の突撃隊を編成した。階級上の総指揮は親しい少佐に任せ、ディックは千人の陣形を動かす実戦指揮を担った。先頭はロランへ任せ、自らは全体を見渡せる後方に位置した。
ドォン! ドォン! と突撃の銅鑼が鳴り響いた。
「突撃ぃッ!」
ディック配下の黒人兵を先頭に紡錘陣形を組み、大地を揺るがして一斉に躍り出た。 凄まじい地響きと土煙を巻き上げながら、固い防衛陣地へ突っ込んでいくはずだった。
銅鑼の音が響き渡った瞬間、帝国軍の老農民兵たちがパニックを起こした。
「て、敵だー!」
「ひえぇぇ! 助けてくれぇ!」
前列の老人たちが逃げ出すと、後列の農民兵には「前線が突破された」としか見えなかった。誰かが敗走の声を上げ、その叫びが隣の部隊へ伝染していく。騎馬隊は逃げる歩兵に進路を塞がれ、制御を失った馬が味方を踏み倒した。一部隊の混乱は瞬く間に全軍へ波及し、帝国軍は王国兵と刃を交える前に崩壊した。
陣地に到達した黒人兵たちが目にしたのは、遥か彼方へ逃げ去っていく帝国軍の惨めな後ろ姿であった。あまりの呆気なさに、追撃する意欲すら失せるほどだった。
「深追いはするな! 敵の偽装撤退や罠の可能性がある!」
ディックは冷静に制し、敵が陣地に残していった貴重な糧食や装備品の確保へと切り替えさせた。
王国軍との合流を急ぐクリスのもとにも、やがて「帝国迎撃軍敗走」の報が届いた。
「分かった」
クリスはそれだけ答えると、再び北へ視線を戻した。帝国軍の本当の中枢は、まだ先に残っている。




