4-10 街道
王国軍本隊は領内を北上し、途中で東西の二手に分かれた。
実戦部隊が二手に分かれたのは、山岳街道で大軍を進ませれば、長大な縦列が生じて行軍に時間がかかりすぎるためである。そこで王国と帝国を結ぶ東西二本の街道に合わせて軍を二分し、出陣式から十日後、それぞれの国境へ到着した。
そこから四日間、軍は進軍を止めた。物資の搬入と補給を進めながら、作戦の細部を詰め、新兵を訓練し、急造部隊の連携を慎重に確認するためであった。
その間、後発の工作部隊二千は、中央軍後方情報部のクリスティ・ギャロット中尉が立案した極秘作戦を遂行するため、兵士とは分からぬ姿へ変装し、少人数に分かれてキャメリート渓谷を目指していた。
クリスは平民の服装でシロタと共に出発し、七日後にキャメリート渓谷の街道入口予定箇所に到着した。森の中の天幕で待っていたのは、女性用に仕立て直した軍服をまとい、薄く化粧を施した長身の将校だった。王国軍内で「女装大佐」と呼ばれるウェルディ大佐である。
「あなたがギャロット中尉でしたか。私がこの工作部隊を率いるウェルディよ」
軍礼を交わした後、クリスは気になっていた疑問を単刀直入に尋ねた。
「ウェルディ大佐、今回の街道工事、および架橋は極めて高度な専門知識を要します。我が工作部隊だけで作戦通りに素早く工事が可能なのでしょうか?」
「中尉、懸念には及びませんわ」
ウェルディ大佐は不敵に笑い、前髪を左手で掻き上げた。
「あなたはご存知ないのかしら。我が王国工作部隊は実地主義なのよ」
「実地主義とは?」
「王国軍の工作部隊には、架橋、掘削、攻城建築など各分野の専門家が揃っているのよ。任務ごとに最適な技術者を指揮官へ据える。それが昔からの伝統、実地主義よ」
クリスは感動した。
「門閥で硬化した王国軍において最も実戦的な組織でありますね。ウェルディ大佐、信頼してお任せします。それで、工事の進み具合はいかがですか?」
「実はもうかなりのところまで手を入れてるのよ。地図を見せてあげるわ」
案内された天幕の中央には、大きな地図が広げられていた。北には帝国、南には王国、その間を東西に横たわる低山の山脈。そして山脈を割るように、キャメリート渓谷が南北へ延びている。
「もうこんなところまで進んでいるんですか、大佐。さすがです。この道なら、王都近郊に集めた騎馬隊を東西の街道より早く帝国領へ送り込み、そのまま皇城を目指させることができます」
「そうよー、私が指揮しているんですからね。ご褒美に今夜、どう?」
「いいえ、遠慮しておきます!大佐」
何と、ウェルディ大佐の指揮のもと、既に三本目までの架橋が終わっており、現在は四本目の架橋に向けて今回の工事で最大の難所となっている山肌を大規模に削る工事に取り掛かっていた。それでも、王国の工兵部隊は極めて優秀であった。工兵部隊は常に最新の土木技術を取り入れておりこの山肌に対する工事も順調に進んでいたのだった。
「しかしクリスちゃんもよく考えたわねー。このキャメリート渓谷に沿って道を通すって。これじゃあ帝国に、すぐに王都を攻めて!って言っているようなものじゃない!そこがゾクゾクして素敵だわ!」
そう、このキャメリート渓谷は王都から徒歩七日、騎馬ならさらに短い距離であり、もし帝国がこの渓谷に沿って王国へ侵攻した場合、他の街道よりも遥かに早く王都に攻め込まれる可能性があるのだ。
「はい、そこが盲点です。このキャメリート渓谷は谷が深く川幅そのものは狭いため、一橋ごとの架橋難度は低いです。しかし渓谷が蛇行し、山肌を避けて道を通すには最低五本の橋が必要となるため今までは見送られてきました。しかしそれを逆に考えれば橋に沿って国境警備所を作れば守りやすく、万が一のときは橋を落としてしまう、という方法もできます。そして平時には王都と近いため物資輸送の時間も短縮できますので良い点がたくさんあります」
「そうよね。だけど今回はこの街道を使って帝国軍に一泡吹かせるんでしょ。頑張ってね!」
先発した四千に合流した後発の工作部隊二千は、工事の最前線へ投入された。彼らは帝国側へ抜ける最後の架橋と掘削に取りかかり、街道完成に向けて作業を加速させていった。
そして王国と帝国との間の自然国境を越えた、と判断できる付近より帝国側への工事が始まるとクリスはバスクに命じて帝国側の工事が帝国国民に知られないよう、諜報員を常に配置して近くの帝国民が近づかないようにした。
また、帝国側の街道出口は原生林と岩場が多く穀物栽培には適さない場所を選び、帝国側の村落が極端に少ない場所とした。更に近隣には河川が流れて工事音がかき消されるのも有効であった。
しかしとある日、帝国側にある付近の村落の子供が森深くに遊びに入り、偶然にもバスクの諜報員に引っかからずに街道工事の現場を目撃してしまったのだ。
「バスク様。帝国側の村の子供が、街道工事を目撃しました」
報告を受けたバスクは、わずかに眉を動かした。
「子供はどうした?」
「その場での処分も考えました。しかし、帰らなければ家族が捜しに来ます。一旦帰し、別の者に監視させています」
「誰かに話した様子は?」
「家族には話した可能性があります。それ以上は、まだ確認できておりません」
バスクは直ちにクリスの判断を仰いだ。
報告を聞いたクリスは、長い沈黙に沈んだ。街道の存在を帝国へ知られるわけにはいかない。だが、目撃したというだけで子供と家族を殺せば、今度は村人の失踪を調べる役人や警吏を呼び寄せることになる。
何より、人間は死ねば終わりだ。
弟ジュリアンも、妹クロエも、死とともにこの世から完全に失われた。その事実を知るクリスに、無関係な子供の命を奪う決断はできなかった。
「バスク。誰まで話が広がったかを調べろ。一人も傷つけるな」
「では、どのように?」
「村ごと移す」
バスクが思わず顔を上げた。
「帝国内の別の土地へ移せば、いずれ役人に事情を話すかもしれません」
「ならば王国側へ移す。家も農地も家畜も、失うものはすべて補償する。元の暮らしより悪くするな」
「拒む者がいた場合は?」
クリスは目を閉じ、短く息を吐いた。
「説得しろ。それでも拒むなら、眠らせてでも連れていけ。自由は奪っても、命までは奪うな」
「承知いたしました」
「そして、村が消えたと悟らせるな。山崩れの危険を理由に帝国側が移住を命じたように偽装しろ。家屋も畑もそのまま残せ」
バスクが敬礼し、天幕を去っていく。クリスは一人になった後も、長いあいだ机上の地図を見つめ続けていた。秘密を守るためとはいえ、村人たちから故郷を奪うことに変わりはない。ならばせめて、その先の暮らしだけは、奪ったもの以上の価値を持たせなければならなかった。
そしてその後の工事は順調に進み、とある日、クリスの予想よりも早く待っていた知らせが届いた。
「クリスちゃん、明日にも予定の街道工事はすべて終わるわよ!」
「何と、このように早くでありますか!」
「ふふふ、私のこと見直したかしら?」
「初めからすごい人だと思っておりました、ウェルディ大佐殿!」
「クリスちゃんもよ。こんなに素敵な計画を立てるってあなた、将来の王様ね!」
「御冗談はやめてください、大佐殿!」
「私たちは手筈通りに帝国へ入るわよ。作戦がすべて終わったらお酒でもごちそうしてちょうだいね!」
「は!」
クリスの計画では街道の両端だけは森を残し、外から見れば従来と変わらぬ山中に見せかける。実際に使用する直前、最後の樹木を伐り倒して道を開く計画だった。それをウェルディ大佐の指揮のもとでおよそ三ヶ月の突貫工事によって完成を迎えたのだった。
街道の存在を最後まで秘匿するため、工作部隊は完成した道を使用せず、一旦王国側へ戻った。その後、正規の東側街道を通って帝国領へ進軍した。工作部隊は、工具や建設機材を満載した荷車を連ね、正規の東側街道から帝国領へ入った。
クリスは翌日、街道出口の森に残された細い作業路を抜け、少人数で帝国領へ入った。
北上する前に、クリスはバスクの案内で、工事現場を目撃した子供が暮らしていた村へ立ち寄った。
バスクは必要のない行動だと止めたが、クリスは首を横に振った。
「私の命令で故郷を奪った。見ずに立ち去るわけにはいかん」
村には火を放った跡も、争った形跡もなかった。
粗末な家々も、耕された畑も、空になった家畜小屋も以前の姿を保っている。井戸の脇には小さな木の玩具が転がり、軒先には使い込まれた農具が立てかけられていた。
ただ、人の声だけがなかった。
「移住先の様子は?」
「全員、王国側の新しい村へ到着しております。家屋、農地、家畜、当面の食料も引き渡しました。拒んだ者もおりましたが、負傷者は出ておりません」
「そうか」
命は奪わなかった。
しかし、先祖から受け継いできた土地と、二度と戻れぬ故郷を奪った事実は消えない。
クリスは無人の村へ向き直り、静かに軍礼を行った。
「この道が王国を守る役に立たなければ、私は彼らから故郷を奪っただけになる」
シロタとバスクも、何も言わずに敬礼を重ねた。
三人の前には、誰もいない村と、山中へ隠された新しい街道だけが残されていた。




