4-7 昇格
帝国軍の撤退により窮地を脱したキティ少将は、残存部隊を再編すると、王都の北方を流れる河川、リアレンド川の南にある「二つの丘」へ移動した。
先日まで帝国軍が陣を張ったその双丘を、王都防衛の永久要塞へと変える決意をしたのである。
軍を二分し、一軍に即席の要塞化工事を開始させ、もう一軍を資材手配のために一旦王都へ帰還させた。
後日、この双丘は正式に承認され、大規模な掘削と要塞化工事によって内部に武器庫や会議室、寝室を備えた防衛拠点、「ティーツー要塞」として生まれ変わることとなる。
「キティ少将、この双丘要塞はキティ要塞、と名付けられましょう」
「何を馬鹿な。先日の戦闘でワシは実質的に敗北している。そんなワシの名前が要塞名となることは恥さらしになる」
キティ少将は頑なに意見を曲げず、過半数の賛成意見があったキティ要塞という名称は見送られた。しかし国王が口を挟んだ結果、キティ少将の名前を少し変えることで決着したのだ。キティ少将の名前、ツーソンと家名であるキティを使い、「ティーツー要塞」、と名付けられたのである。
ディックは王都帰還組に組み込まれたが、帰路の馬上で固く頭を抱えていた。周囲からの絶賛とは裏腹に、己の采配の未熟さと、結局はロランという一人の個人の武勇に頼り切ってしまった事実が、彼の誇りを激しく打ちのめしていたのだ。
「私はまだあまりにも無力だ。本当の意味で戦局を動かす力が私にはない」
しかし、王都の中央軍司令部は、この絶好の機会を見逃さず論功行賞を行った。実際の戦闘が敗北であった事実を覆い隠し、王国民へ向けて大勝利をアピールするための英雄として、ディック・ブライトン准尉を「戦功一番」に据え上げたのである。
「現近衛兵団長の御子息であり、ブライトン伯爵家の次男であるディック・ブライトン准尉の活躍により敵を退けた!」
華々しい発表とともに、ディック・ブライトン准尉は少尉へと昇格することが決定した。
さらに軍内から、かつてシャドウと名乗り国境警備隊で凄まじい軍功を挙げた男、との情報が相次ぎ、確認されてその情報が真実と認められた。これにより少尉昇格からわずか一週間後に「首席少尉」へ昇格進するという、空前の異例人事が行われたのだった。
このようなこと、つまり少尉に昇格後わずか一週間後にまた昇格するなど、王国軍にとっても事例がなかった。本来であれば少尉が昇格すれば中尉となるが、さすがに一週間での昇格は過去の事例がないため今回は特別に「首席少尉」という階級をつくり、少尉全員の中の首席、という位置づけとしたのだ。なお、この首席少尉という階級は歴史上初の階級としてディックに与えられたが、もし後日ディックが昇格した場合、この首席少尉という階級は誰にも引き継がない、ということも確認された。
また、実質的にはディックよりも遥かに帝国軍の撤退に関して力を発揮したクリスティ・ギャロット中尉と配下の諜報・工作員についても論功行賞が行われたが、一人の青年、バルト・シールド中佐の反対が軍上層部の慎重論を決定づけた。バルト・シールド中佐は中央軍後方憲兵隊の中級指揮官兼、論功行賞時には憲兵司令部の意見を伝える立場であった。
「確かにクリスティ・ギャロット中尉の功績による帝国軍撤退ですが、でも実際は負け戦です。しかも裏工作という卑怯な手段によっての功績など誇れません」
確かに負け戦である。論功行賞で昇進を大盤振る舞いできるような状況ではないのだ。
バルト・シールドはいまだ家督を継がず次期当主候補だが、その曇り無き眼はクリスを危険人物だと見ていたのだ。バルトは帰宅するとよく周囲に「クリスティ・ギャロットは危険だ。気に食わん!」と言っていたという。それは以前、バルトが親しく交流していた元人事部長が「ギャロットは恐ろしい」とつぶやいていた言葉を聞いていたからであった。
そして今回の帝国軍侵攻とその経過、そして結末。そして王国軍内の人事に関し、王国全軍司令部記録処の若手担当官、リノス・ヤーヴェア少尉が丹念に細かくこれらの記録を残し、王国軍書物庫へそっと納めた。
ディック・ブライトン准尉が戦功一番で事実上で歴史上初となる首席少尉に昇格される、という発表を複雑な表情で凝視していたのが、中央軍情報参謀・クリスティ・ギャロット中尉であった。
敗戦を隠蔽するための看板としてディックが担ぎ上げられたと理解しつつも、自分より四歳若く、部下から圧倒的な支持を集め、倒すべきブライトン家の血を引く男が自分と近しい階級まで登ってきた現実に、クリスは激しく機嫌を損ねていた。
珍しく貧乏ゆすりをしながら激しく考え込んだ末、クリスはひとつの答えに達した。
「ディック・ブライトンの調略だ」
かなり前にタチバナが彼に接触したと聞いたが、あれから随分と時間が流れている。青臭い正義感に燃えていた若造も、今では社会の裏を知る大人になっているはずだ。奴を調略して手駒にできれば、今後の展開は一気に楽になる。
方針を固めたクリスは、すぐさまタチバナを呼び寄せた。
「タチバナ、ディック・ブライトンを落としてきてほしい」
しかし、呼び出されたタチバナは困ったように微笑み、即座に首を振った。
「クリス様、恐らく失敗すると思いますわ」
「タチバナ、お前もあの頃より美しくなり、技術もさらに磨かれただろう? もしお前の顔が割れていると言うなら、子飼いの女を使えばいい」
「どうしてもですか、クリス様?」
「そうだ。どうしてもあの男を落したいんだ」
タチバナは少し考え込む素振りを見せた後、艶っぽく目を細めた。
「分かりましたわ。ですが、もし仮に失敗しても、私を叱らないでくださいますか?」
「分かった。だが、お前がそんな弱気なことを言うとはな。初めて聞いたぞ」
「ふふ、その代わり、もし万が一にも成功した時には、大きなお手当とご褒美を期待しておりますわね?」
「ああ、約束しよう。ただし、絶対にこちらの存在は悟らせるな。絶対にだ」
「承知いたしましたわ」
タチバナは優雅に一礼し、執務室を辞していった。
それからタチバナは、まずディックの欲を探り、次に社会的な弱点を探った。そして考えられる最高の手を打った。しかし結果はことごとく失敗し、完全な敗北に終わった。
美女が仕掛ける甘い色仕掛けには目もくれず、それどころか困っている女性を紳士的に助けて立ち去るだけの高潔さを見せた。その後、無実の罪を着せて公に失脚させようと試みたのだが、それすらもブライトン家の圧倒的な権力と、彼がこれまで積み上げてきた揺るぎない信頼によって跡形もなく吹き飛ばされてしまったのである。そして暴漢に襲わせてもドギー以下の配下が守り、要人誘拐もまったくうまくいかなかった。
タチバナはある程度この結末を予測していたが、報告を受けたクリスは激しい衝撃を受けた。立派すぎる。あまりにもディック・ブライトンという男は高潔で、立派すぎるのだ。少なくとも、クリスが探らせた範囲には、利用できる欲も弱みも見当たらなかった。クリスは再び、暗い執務室で深く深く考え込んだのだった。
その頃帝国では、今回の王国出兵失敗の責任問題が発覚していた。ヤヌス少将の謀反疑惑についてはそもそもそのような伝令が出されていなかったため、そもそもの疑いが存在しなかった。つまり、王国軍の工作活動と判断された。
そのような出兵失敗であったが唯一評価されたのは撤退であった。撤退するとはいえ帝国軍の権威を貶めず、敵軍の追撃をさせずに見事な撤退を指揮した中佐が呼ばれたが、その中佐は「あくまでも自分は代理、実際はサトウという一等兵が指揮をした」と答えたのだ。
そしてサトウ一等兵が軍の高級士官会議に上司であるフェリス・シーナイン少尉とともに呼ばれた。フェリス少尉は帝国軍には珍しい女性士官であり、帝国の重鎮であるシーナイン侯爵家の娘である。そしてフェリスは帝国軍学校で後方参謀として学び、主に行軍、補給、衛生と医療を担当していた。そしてフェリスが准尉の頃にフェリスの下に配属されたサトウ・ジロウ二等兵とともに後方勤務を務めた。
帝国軍は女性兵、女性士官の前線派遣を認めていないため、フェリスが前線に配属されることはなく、つねに帝国の首都である皇城にある帝国軍庁舎内にある後方司令部配下の輜重管理部で勤務していた。そして三年後にフェリスが少尉になるときにサトウは初めて王国侵攻軍に入り、敗戦だったが見事に撤退を指揮して戻ってきた実績があった。
なお、サトウは帝国では極めて珍しい群島式で名乗る人物だった。群島式とはヒュービック大陸の南方海域に浮かぶ群島国家で名乗られている方式の名乗り方である。その群島は戦争によって荒廃して人が住めなくなり、島民の多くがヒュービック大陸に移住して各地に散って定住した。ほとんどの群島人はナカーディア公国に定住したが、一部は他の国にも移動していた。だが温暖な群島人にとって極寒の地ともいえるガルディニア帝国へ定住した群島人は極僅かだった。
そして王国への派兵失敗を受けてヤヌス少将はその責任を取って降格処分となったが、サトウ一等兵はその功績から帝国勲章と金一封をもらったのだった。
「良かったわね、サトウ」
「これもいつも教えてくださったフェリス様のお陰です」
「あら、サトウも分かってきたじゃない。そうよー、私のお陰なんですからねー!」
「ではお礼にこの金一封で食事にでも・・・」
「いいわね、では今から行くわよ!」
フェリスは優秀であったがせっかちなところがあり、それが原因でいまだに結婚できていないと噂されていた。
王国では三分の一の少数で帝国軍を追い返したという世間の熱狂も、冬の本番とともに穏やかに落ち着きを見せていた。そんな寒さの厳しい冬のある日、クリスはついに自らの意思を固めた。
ディックと同じ土俵で戦っては駄目だ。奴の得意な武や正面切った戦いではなく、自分自身のやり方で奴をねじ伏せるしかない。剣士が突然弓を持ったところで俄仕込みにしかならんし、その逆も然りだ。ならば、奴を自分の領域へ引きずり込むまで!
方針が固まれば、動きは早かった。
「現在の情報部序列七位を、一気に一位へ引き上げる。ディックの昇進よりも早い段階で後方部隊の実質的な頂点である中央軍後方部隊副司令官の座を奪い取ってやる。そしてその後は転進だ!」
クリスティ・ギャロット中尉三十歳。年の瀬の冷え込む冬の日に立てた、新たなる決意であった。
「タチバナはいるか?」
「はい、クリス様」
「早く出世するぞ!ついてこい!」
「もちろんですわ、クリス様」




