4-6 救出
王国軍の策は、戦いを長引かせずに夜襲で一撃を与え、即座に引く。しかも深夜、最も暗く深い眠りに陥る時間を選んで行い、夜明け前に完全撤退する。明るくなれば全体を見渡せる高所を陣取る帝国軍に圧倒的有利となるためだ。
王国軍は深夜の遅い時間に要塞片丘へ肉薄し、そして最前線では戦いの火蓋がられた。
まずキティ少将率いる五千の本隊が要塞片丘の南から突撃し、半刻後に東側へ回り込んだディック隊を含む三千の分隊が襲いかかる。
要塞片丘で王国軍の突撃を受けた帝国軍はキティ少将の軍を受け止めながら東側から攻め込む王国軍三千に攻め込まれ、急速にその数を減らしていった。
戦いは時間とともに王国軍に有利に進んだ。そして夜明けの直前が迫る中、王国軍は撤退を開始した。
しかし要塞のもうひとつの丘にいた帝国軍の大軍勢が、キティ本隊の側面に密かに回り込んできたのである。
挟み撃ちにしたはずが、シロタの予測通り圧倒的多勢によって挟み撃ちにされたのは王国軍であった。
帝国軍の来襲を受けたキティ少将は、即席で部隊を再編し、敵包囲網の一番薄い箇所へ向けて命がけの突破を敢行した。
帝国軍も上級指揮官の大佐が不在のため軍全体の行動にいまひとつ上手い連携を取り切れず、王国軍の突破を許すこととなってしまった。しかしそこは帝国軍も中級指揮官は歴戦の兵士であった。突破は許すも王国軍の後背に食いつき、執拗に出血を強いたのだ。
どうにか絶望的な包囲からは脱したものの、負傷兵をかばいながらの撤退は思うように速度が上がらない。そこへ帝国軍が食いつき切り込んでくる。王国軍は恐ろしい速度で削り取られていったのである。
その頃、当初の計画通り日の出とともに後方へ撤退を開始していた分隊の中に、ディックの姿があった。だが、馬上で風を切るディックの耳に、後方から響く尋常ならざる鉄の打撃音と、叫び声が届く。本隊の退却速度が遅すぎる。追撃を受け、壊滅の危機に瀕している。ディックは即座に手綱を引き、併走する同僚の准尉たちへ力強い怒号を飛ばした。
「全隊、足を止めろ! これよりキティ少将閣下の救出に向かう!」
「な、何を言うか、ブライトン准尉! 我らは後退命令が出ているのだぞ!?」
「閣下を失えば、この軍は瓦解する! 命を惜しむ者はここで待て! 動ける者だけ私に続け!」
ディックの放つ白銀の気迫に押され、十数名の准尉たちが率いる部隊がその場に次々と結集した。
ディックの真骨頂は、ここからの電撃的な采配であった。
「負傷兵はそのまま王都方面へ引け! 足の早い精鋭だけを前に出せ! 隊列を再編する、急げ!」
瞬時に泥臭い行軍中の部隊再編をやってのけると、ディックは抜き放った長剣を高く掲げた。
「実戦部隊長、黒人兵! 楔となり、敵の脇腹を穿つぞ!」
「は! お任せを!」
陣頭に立った黒人兵ロランが、地鳴りのような雄叫びとともに真っ先に反転突撃を開始したのだった。
キティ少将の部隊へ容赦なく襲いかかっていた帝国軍の側面に、突如として死神が舞い降りた。
「うわあぁぁッ!?」
先頭に躍り出たロランの大剣が一閃するたび、鮮血の尾を引いて帝国兵の肉体が宙を舞う。想定外の方向からの激しい急襲に、追撃していた帝国軍の陣形が一瞬で大きく揺らいだ。
「獲物を追うな! 脇から突っ込んできた敵を叩き潰せ!」
怒号が飛び交い、帝国軍の刃が一斉にロランへと向けられる。
しかし、ロランは疲れを知らぬ怪物であった。彼の振るう大剣は正確無比でありながら、冷徹な計算に満ちていた。
敵の数が多すぎる。一人ずつ息の根を止めていては時間が足りん!
ロランは大剣の軌道を微修正し、敵兵の太ももや腕、関節を浅く切り裂く戦術へと切り替えた。
致命傷こそ免れるものの、激痛と出血で立ち上がれなくなった大量の負傷兵が地面に転がり、後続の帝国兵の足場を奪う。
「足を射ろ! 弓兵、狙いを澄ませ!」
後方からディックの冴え渡る指示が飛び、ロランを狙う敵の弓兵が的確に射ち落とされていく。
黒人兵を頂点とした正三角形の陣形が敵陣を深く突き刺さり、ついに包囲されかけていたキティ少将の眼前へと到達したのである。
「閣下、お怪我はありませんか! 直ちに我々の作った退路へお下がりください!」
「ブライトン准尉か! よくぞ戻ってくれた!」
キティ少将を後方へ逃がし、ディックはすぐさま退却の銅鑼を打ち鳴らさせた。
「全隊、退却! 最後尾は我が隊が務める!」
撤退戦こそ、軍隊の運用において最も困難で過酷な局面である。撤退する王国軍に更なる出血を強いる帝国軍。追撃する帝国軍に対して背中を見せなければ撤退することができないが、背中を見せれば盾を構えられず矢で射抜かれる。誰かが追撃を食い止め、味方を逃がさないとならない。
背後から死に物狂いで追いすがる帝国軍に対し、自ら最後尾に立ち追撃を止めたのは、突撃で最も前進していたあの黒人兵ロランとディック隊であった。
ロランは大剣を盾代わりに構え、迫る敵をことごとく叩き斬り、跳ね返し、文字通りの人間防壁となって味方の背中を守り抜いた。
「引くな! 一歩も退くな! 我らの背後には、大切な仲間たちがいるのだ!」
ディックの激しい鼓舞と、ロランの圧倒的な武力。そしてロランを狙う弓兵を真っ先に射抜くディック隊。
二人の白銀と漆黒の異能が重なり合った時、王国軍は奇跡的に壊滅を免れ、敵の追撃を引き離して戦場を脱出することに成功したのだった。
夜が完全に明けきり明け方を過ぎると王国軍の被害が一層見えてきた。実戦部隊八千のうち一千数百名が戦死、一千名以上が重傷。一夜にして大敗を喫した王国軍は、南方へ後退して陣を固めた。
戦力差は五倍近くにまで広がり、防衛すら絶望的な状況となる。
キティ少将は決断した。これ以上の野戦は無理だ。そこで最も防壁の堅牢な近隣の村へと移動し、防壁を修復しながら中央からの更なる援軍を待つと。
防壁の補修に追われ翌日、斥候から信じがたい報告が届く。
「少将! 帝国軍が撤退し始めている模様です!」
あまりにも唐突な敵の撤退であった。
帝国軍ではタチバナの偽文書によって少将は帝国本国へ弁明のために帰還することとなり、侵攻軍全軍も撤退を決めた。司令官なくして戦いの継続は不可能だった。
「一刻も早くワシは弁明せねばならん。副官!馬を十頭用意せよ。私と副官以外に小柄で腕の立つ兵を八人寄越せ。一気に皇城へ戻るぞ!糧食をもて!」
「少将、侵攻軍の撤退指揮はどうされますか!」
「大丈夫だ。サトウ、サトウはいるか!輜重隊にいるサトウ一等兵を呼べ!」
「は!」
輜重隊から呼ばれたサトウは何が何だか分からないうちに司令部に連れてこられた。
「サトウ一等兵、お主は撤退の専門家だったな」
「えっと、はい。撤退含めた行軍と輜重輸送を専門としておりました」
「お主のことは聞いておる。ワシは急ぎ皇城へ戻らねばならん。このあとの撤退指揮はお主が実質的にやれ、表向きの撤退司令官は、そこにいる中佐、お前がやれ!」
「わ、わたしですか?私は撤退指揮などやったことがありません!」
「お前の耳は節穴か?実際の指揮はここにいるサトウがやる。お前は表向きだけ胸ってサトウの言う通りにすればよい!」
「・・・承知いたしました」
こうしてサトウは、実質的に三万の軍勢の撤退を指揮することとなった。彼は撤退の過程では一兵も失うことなく、傷病兵はもちろん、戦死者の身分証にまで気を配り、敵の逆撃にも備えながら、帝国史に残る見事な撤退を成し遂げた。
後日、王国軍ではこの戦いについて詳細な分析が行われた。
もしバスクによるアムット大佐毒物工作とクラビック大佐の失脚工作がなければ、双丘における帝国軍の指揮系統はより強固なものとなり、キティ少将率いる王国軍は全滅、あるいはそれに近い壊滅的損害を受けていた可能性が極めて高いと判断された。
そして、たとえそこを生き延びたとしても、三万近い帝国軍がそのまま王都へ進軍してくれば王国軍は城壁と城門だけでこれを食い止めるしかなく、苦戦は必至だったであろう。
その帝国軍そのものを撤退へ追い込んだのが、タチバナによるヤヌス少将への偽装伝令であった。
バスクが戦場の敗北を壊滅へ変えさせず、タチバナが戦争そのものを終わらせたのである。
クリスは戦いの後、タチバナとバスク、そして作戦に関わった工作員全員を呼び集めた。
「よくやった。お前たちがいなければ、王都まで危なかった」
そう言ってクリスは、秘蔵していた貴重なウヰスキーを一本ずつ手渡し、自費で十分に労った。
そしてその日の王都の酒場では今年三十九歳の一等兵が静かに濃い酒を舐めていた。
「あいつ、神に好かれちまったか」
戦闘前に話した十九歳の若者の顔を今はまだ思い出せるが、すぐに忘れるだろう。名前なんざ二回目に会ったら聞けばいい。
「また生き残っちまったな」
「おい、テイン。飲みすぎんなよ!」
「分かってらーな」
テイン・カースは来年四十歳になったら退役しよう、と決めていた。しかしテインは毎年秋になると必ず、来年こそは退役する、と思うのだがいまだに退役できずにいた。
「けどよ、退役したところで食っていける保証は無いんだよな」




