4-5 防戦
クリスが三十歳、そしてディックが二十六歳となった年の秋は大豊作となった。その年の気候は良く、雨風気温ともに適切であり、秋の収穫によって例年以上の穀物が採れたのだ。各地では秋の収穫祭が行われ、収穫祭が終わる時期から徐々に気温が肌寒くなった。そしてその頃に王都からも見える霊峰マウント・ヒュービックの山頂は白く輝くのだった。
ディックとクリスは、王都中央軍においてそれぞれの立場こそ違えど、軍組織内で上り詰めるため必死であった。
そんな年の収穫直後、ガルディニア帝国軍が国境を越えて侵攻してきたのである。それも、従来の規模を遥かに超える巨大な軍勢を整えてのことだった。
北部国境と王都は商隊の足で七日、早馬でも最低二日から三日は要するがクリスが指示をしてシロタが考案した蝋燭の光を使った伝達方法、通称「光伝令」が上手く稼働され始めており、この知らせは半日も経たずに王都に届いた。もちろん詳報は無理だが「帝国襲来」という意味は十分に伝わったのであった。
ちなみにこの光伝令はクリスが軍に提案し、採用された後に軍は後方部の伝令部に下命してこの光伝令の更なる開発と光伝令担当部の創設、そして設置が行われていった。
「報告された帝国軍の規模とこの日数を考えればすでに国境は破られた可能性があるな」
だがこの蝋燭通信がなければ三日は情報が遅れたであろう。その意味ではこの差は大変に大きいものだった。
この急報を受けたアルカディア王国政府は国防対応を王国軍に一任することとし、国王陛下の裁可を受けた。クリスはこの茶番にいつも笑いを堪えていたのだ。
全軍司令部を中心に、四軍司令部が集まり緊急軍議が開かれた。
もたらされた早馬の報告によれば、侵入してきた帝国軍の総数はおよそ三万。東方国境に二万、西方国境に一万である。
軍議ではすぐさま軍の派遣が決まったが、問題はその規模であった。
「敵は三万だ! 追い返すなら同じく三万を出せばよかろう!」
「今年の予算はどうなっている? 三万も出せる余力はあるのか、財務官」
「予算不足が深刻でして・・・・・・そのような余力はございません」
「馬鹿を申すな。王都が落ちても予算が、と言ってられるか!馬鹿者め!情報参謀、予算無視で何人出せる?」
「出せて一万かと」
「一万の増援で追い返せるか!」
「しかし全く準備が整っておりません。今は収穫直後ですゆえ多くの平民兵は一時的に農村へ収穫のために戻っております」
つばを飛ばして怒鳴る高級幹部であったが、他の者たちが深々と頷いたため、それ以上は閉口せざるを得なかった。
結局、予算の問題もあったがすぐに動ける兵数の限界として実戦部隊八千と輜重隊千五百、輜重隊護衛として五百をつけ、帝国軍を迎え撃つこととなった。そして兵力差があり劣勢のため、敵の進軍を遅らせつつ、裏方の工作活動によって撤退を促すという方針が決定された。裏工作に作戦の命運を託すほか無かったのである。
その裏工作は中央軍情報部門に一任され、新任の情報参謀・クリスティ・ギャロット中尉を含む三つの工作部隊が独立して動くこととなった。
当然、ディック・ブライトン准尉の部隊も出撃を命じられた。
一介の准尉であるディックに作戦の全貌は知らされなかったが、情報部中級幹部であるクリスはすべてを把握していた。
「シロタ、今回の一万の増援、どう思う?」
クリスが意地悪そうに問いかけると、シロタは即座に言い放った。
「愚策です。敵にまともな諜報員がいれば、一万の規模など即座に伝わります。三万の敵は一万の王国軍に対して一万の軍で受けとめ持久し、残りの二万のうちの半分を使って王国軍を包囲殲滅するでしょう。私なら残りの一万を王国軍の後背に回らせて包囲殲滅、残りの一万で王都へ襲いかかります」
「まあ、そんなところだろうな」
無能な軍幹部への不快感を隠さず、クリスはすぐさまタチバナとバスクを呼び寄せた。
「タチバナ、バスク、それぞれ指示を与える。工作員をうまく使え」
「分かりました。任務内容は?」
「タチバナは侵攻軍司令官を割り出し、急所を握ってこい。愛娘の誘拐でも、罪のなすりつけでも構わん。撤退に追い込め」
「了解いたしましたわ」
「バスクは帝国の侵攻軍を弱らせろ。暗殺でも分裂でもなんでもいい。やり方は任す。ただし敵司令官は殺すな」
「は!」
タチバナは精鋭の数名、バスクも同じく精鋭を数名率いて姿を消した。
翌朝、選抜された騎兵一万が王都広場から出陣した。
ディックは『配下全員を必ず生きて連れ戻す』と固く心に誓い、行軍を続けた。
行軍六日目、帝国軍が荒らした村々に到達した一行を待っていたのは、凄惨な惨状であった。村は焼かれ、男たちは殺され、若い女たちはことごとく連れ去られていた。
その地獄の中で、村の聖堂教会だけが無傷で綺麗に残されていた。民を見捨てて自分たちだけが無傷で佇む教会の姿に、ディックは胸の内で静かに冷たい怒りを燃やした。
帝国軍を迎え撃つ王国軍野戦部隊の最高司令官はツーソン・キティ少将であった。この人事も最後まで、侯爵家長男であるバルト・シールドとツーソン・キティ伯爵との間で争われた。階級ではキティ少将が上である。侯爵家の威光で軍令を曲げたと思われることを嫌ったバルト自身が身を引いた。
キティ少将は被害の後始末を地元貴族へ命じる早馬を飛ばしつつ、傷病者の手当てに追われた。
四方へ放った斥候から『敵発見』の報が届いたのは三日後である。
王国軍が被害村落を回って遠回りしたのに対し、帝国軍は村々を襲った後河川に沿って西進して西方からきた帝国軍と合流したため、互いにすれ違う形となり、王都から北へ二日の地点に帝国軍、そのさらに北へ二日の地点に王国軍がいた。
帝国軍は二つに分かれ、リアレンド川の南にある二つの丘の上に布陣していた。リアレンド川は王都からおよそ二日の距離を東から西に向かって緩やかに流れる中級河川であり、川の南側には特徴的な半円形の丘がふたつ並んでいた。地元民に残る伝説では太古の王様が築いた墓だというが、事実は不明であった。
ただし、双丘の上に布陣した帝国軍は混乱していた。それはバスクの工作によるものだった。
クリスから命令を受けたバスクは以前に鹵獲した帝国軍の軍服を用い、帝国軍に潜入した。そして帝国軍には内部でしか知ることができない問題点を見つけたのだ。
それは帝国軍侵攻部隊を率いるヤヌス少将は配下のふたりの大佐のうち、以前から親しい関係にあるアムット大佐を重用し、もう一人のクラビック大佐を軽視していた。だがどちらも大佐階級であり、実戦部隊一万五千を率いる重要な立場にあった。噂ではヤヌス少将は長年、アムット大佐と男同士の恋仲ということだった。
内部からこの情報を得たバスクは配下に指示をだした。それは以下のようなものだった。
「アムット大佐に毒を使え。そしてその罪をクラビック大佐になすりつけよ。但し、殺すなよ」
バスクとその配下は、タチバナから暗殺と偽装工作の技術を徹底的に叩き込まれていた。
その方法とは、アムット大佐の食事に毒を混ぜ、その毒が入っていた小瓶をクラビック大佐の天幕に入れておく。そしてアムット大佐を毒で重症に落とした後にクラビック大佐の部屋からその小瓶が発見されるように仕向けたのだ。殺さないように、というのは情けではなく、重症であればその身柄を帝国へ移送するだけでも人員がかかるからである。
ヤヌス少将は激怒した。
「クラビック!よくも、よくもアムットに毒を盛ったな!」
「いえ、私は何も・・・」
「しらばっくれても駄目だ!証拠は上がってるんだからな!」
「それは何かの間違いです」
「もういい、憲兵!クラビックを死刑にしろ!」
「い、いや、ヤヌス様。いきなり過ぎます。ここはクラビック大佐を拘束して帝国へ送還しましょう」
「うぬー・・・まあいい。クラビックの顔など見たくもない!任せる!」
「は!」
こうしてバスクの策により帝国軍侵攻部隊は上級指揮官でたった二人しかいない大佐をまとめて失ったのである。
これで帝国軍実戦部隊の運用能力に陰りはみえたが兵数自体が減っているわけではなかったため、このあとヤヌス少将は大佐がいない中、何とか中佐以下の中級指揮官をうまくまとめて戦わなくてはならなくなったが、なかなか指揮命令系統が思うように動かなかった。
双丘では、バスクが帝国軍の指揮系統を壊していた。その頃さらに北では、タチバナが戦争そのものを終わらせようとしていた。
そしてタチバナは以前に鹵獲した帝国軍の伝令兵の軍服を用い、帝国本国からの文書を捏造した。王国軍ではこれまでの度重なる戦いにより、帝国軍の伝令文書の特徴である紙質、文体、署名、封蝋などを研究し尽くしてあった。
タチバナは帝国軍の伝令文書を巧みに作り、帝国軍の伝令兵を装った兵士に持たせた。もちろん大陸共通語の帝国訛りが上手な工作員を使ったのは言うまでもない。
その伝令の内容は、「侵攻軍司令ヤヌス少将に反乱の疑いあり。至急帝国軍憲兵本部へ出頭せよ」であった。
「何だこれは!俺が反乱を起こすわけ無いだろう!」
ヤヌス少将はあまりの怒りに天幕内にあった物を掴んでは投げ、仕舞いには燭台にまで手をかけて倒してしまい、司令部天幕が燃え落ちる、という失態まで見せてしまった。
「司令官、ここはあらぬ疑いを晴らすためにも一旦、お戻りになられては」
「何だと!この有利な状況で引け、と申すか!」
「もしお戻りにならなければ疑いが濃くなってしまいます」
「ぬぬぬ・・・。王国軍め、命拾いしたな」
王国軍のキティ少将はそんな帝国軍の事情を知らなかった。あと二日も我慢していれば帝国軍は撤退したかもしれなかったがそれは結果論である。王国軍は牙を研ぎ、少数ながらも敵を打ち倒すための策を持って敵を撤退に追い込もうとしていた。
王国軍は双丘に陣取った帝国軍に対し、夜襲を選択した。ただでさえ数が少なく丘の上を陣取られてはまともな戦いでは勝ち目がない。せめて夜襲を選んで敵の意表を付く必要があったのだ。密かに東側に徒歩二刻ほど先にある橋を南方へ渡って要塞まで戻り、西側の丘への攻撃を開始することになった。
「おい、お前は新入りか?」
「は、はい!先月中央軍に配属されました!」
「ずいぶん若いな」
「はい!十九歳になりました」
「まだ十代だったのかよ。俺と二十も違うのか」
「色々とご教授ください」
「教えることなんか何もねーよ」
「生き残れるでしょうか?」
「さあな、どんな勝ち戦でも死ぬ奴は死ぬし、どんな負け戦でも生き残る奴はいるもんだ」
「い、一等兵殿は軍隊何年目ですか?」
「俺か?二十年目だよ」
「凄いですね!」
「凄かねーよ。ただな、どんな戦でも死なないようにしてきただけだよ」
「私も生き残りたいです」
「それならな、できるだけいい司令官とか指揮官の下に入ることだな。俺達のような下っ端の運命はよ、司令官とか指揮官で決まるからな」
「では今回の司令官はどうでしょう?」
「あれは駄目だな。だからどうにか死なないようにしようじゃないか」
「・・・・・はい」




