4-1 准尉
王国に再び春が訪れ、ディック・ブライトン伯爵家次男、二十六歳は優秀な成績で学校を卒業した。
六年前、ディックは実父に、将来は王国を背負って立つ軍人になりたいと告げていた。
そしてディック・シャドウとして過ごした三年間の経験、そしてその後にディック・ブライトンとして過ごした学校生活からその決意はより具体的なものとなっていた。軍を背負って立ち、無駄な戦いを減らし、王国国民を守る。王国軍の内部に蔓延る不正と腐敗を打破し、この軍組織の改革を推し進めていく。
幹部候補生養成学校を卒業しても想いは薄れることなく、いや、より確かなものとなっていた。そしてディックは再び王国軍の門を叩いたのであった。
学校の卒業生へ一律で授与される「准尉」の階級章を胸に刻み、彼が配属されたのは中央軍右翼部隊であった。
かつての偽名「シャドウ」を捨て、本名である「ブライトン」を名乗る青年准尉。王国軍の規定において、准尉とは初めて部隊の長となる階級である。
准尉本人と副官、そして与えられる二十五名の一般兵を合わせた、総勢二十七名の小集団。
着任の日、与えられた部隊の顔ぶれを確認するために整列した兵たちの前へ立ったディックは、その目を大きく見開いた。
最前線の泥と血の中で共に剣を振るった、あの凄まじい武勇を持つ巨漢の黒人兵が、二等兵としてそこに立っていたからである。
「黒人兵! 久しぶりだな」
思わぬ再会にディックの顔が思わず綻んだ。周囲の兵に聞こえぬようそっと近づくと、ディックは声を潜めて囁いた。
「私は今、本名を名乗っている。以前のシャドウの名は伏せておいてほしい」
「分かりました。改めまして、ディック・ブライトン准尉殿!」
直立不動のまま、鋭い敬礼を返す黒人兵。
ディックは胸を高鳴らせ、この運命的な再会を心から歓喜したのだった。だが、ディックが歓喜したこの再会は、決して偶然の奇跡などではなかった。
入隊式の壇上で「ディック・ブライトン」の名が呼ばれたその瞬間、客席の陰で見咎めたクリスがすぐさまタチバナを動かし、裏から軍の人事帳簿を操作させて勝ち取った仕掛けであったのだ。
「ディック・シャドウ、いや、ディック・ブライトン准尉か」
報告を受けたロランは、胸の中で冷たく呟いた。
クリスから事前に知らされていたとはいえ、目の前の青年が名乗った『ブライトン』という家名は、彼の思考をわずかに硬直させた。
現近衛兵団長と同じ家名。そして何より、クリスの弟ジュリアンを狂気の宴で追い詰め、無惨に殺したあの女、メラニア・ブライトンと同じ家名であったからだ。
しかし、クリスは自らの感情を完璧な仮面の下へと押し殺した。
クリスはタチバナを使ってロランをディックの元へ配属されるように手を回した。
そしてロランはそもそもディックを人間として好感を持っていたのだ。その正義感、揺るぎない価値観、そして極めて高い能力。もしディックが貴族でなければ先に忠誠を誓ったのはディックへだったかもしれない。
だが私情を挟むことは控えなければならない。目の前の白銀の青年を観察し、必要に応じて立ち振る舞うことが今は求められた。
「これより、我が部隊の編成を行う!」
総勢二十七名の小集団とはいえ、戦場においては緻密な役割分担こそが生死を分ける。ディックは教科書通りの隙のない基本配置を即座に弾き出した。
部隊を率いる指揮官たるディック本人と、影のように付き従う副官のドギー。
そして、実戦人員を兼ねた伝令兵二名、医療兵一名、糧食担当兵を二名配置。
残る二十名を純粋な実戦部隊として括り出すと、ディックは迷うことなく、その二十名を束ねる実戦部隊長へと視線を向けた。
「実戦部隊のまとめ役は、黒人兵、お前に任せる!」
「ハッ! 謹んでお受けいたします」
名も知れぬ二等兵を実戦部隊長に据えたディックの決断に、兵たちからどよめきが走った。だが、ディックは一度も周囲を振り返らなかった。
こうして、ディック・ブライトン准尉率いる小部隊の猛訓練が開始された。
「陣形変更! 紡錘陣から即座に円陣へ移行せよ!」
ディックは隊員一人ひとりの適性を見極め、紡錘陣では先頭、二列目、三列目、最後尾と、それぞれの役割を明確に定めた。
さらに円陣や横陣など、あらゆる陣形についても同様に役割を徹底し、基準となるロランの位置が決まれば五秒以内に陣形変更できるまで繰り返し訓練した。
「伝令兵、合図確認を怠るな! 医療兵は負傷者の運搬動線を確保しろ!」
指揮官であるディックと、実戦部隊長であるロランとの間で行われる寸分の狂いもない意思疎通。
ロランの的確な合図のもと、二十名の兵たちはまるでひとつの生き物のように地を駆け、攻撃、防御、弓矢、火計、さらには水攻めや泥沼での撤退戦に至るまで、あらゆる極限状態を想定した訓練を繰り返していった。
汗と泥に塗れながらも、日に日に刃としての鋭さを増していく部隊の練度。
その手応えを噛み締めながら、ディックは白銀の兜の紐を力強く締め直した。
「坊っちゃん、練度が日に日に増してますな」
「当たり前だ。それこそ血の滲むような努力をしているんだからな」
「白銀の王子様、と皆うわさしてますよ」
「茶化すな、ドギー!」




