2-10 事後
反乱を完全に鎮圧したクリス部隊は、年末頃、中央軍司令部へ「反乱の首謀者は戦闘中に死亡」とする虚偽の報告書を提出した。そして王国全軍司令部記録処の若手担当官、リノス・ヤーヴェア准尉がその報告を公式記録に記載した。
さらにクリスは、反乱に加担したその他大勢の一般奴隷たちについて「首謀者一派に脅迫されて加担させられただけであり、反乱の意思なき被害者である」と強く弁護してみせたのだ。
ただでさえ貴重な鉱山労働の担い手が不足していた時期である。さらに反乱途中の戦闘で二十人近くの奴隷が死亡している中、中央の官僚たちもこれ以上の厳罰を望まず、残された奴隷たちは「一ヶ月間の配給削減」という、反乱罪としては極めて異例の軽い処罰で済まされたのだった。
もちろんクリスは減らされた配給分を手配し、鉱山奴隷たちへ裏から都合してやることを忘れなかった。
現地で二日間の野営の後、完全に牙を抜かれ従順になった奴隷たちを鉱山へと戻し、クリスらは中央軍司令部への直接報告のため、王都へ向けて凱旋の途についた。
味方の損失ゼロ、その上、王国の財産である奴隷の被害をも最小限に抑えたこの電撃的な鎮圧劇は、いやが上にもクリスの名声を押し上げた。
中央軍の上層部は、そのあまりにも鮮やかで謎めいた解決方法に一抹の疑問を抱いたが、「結果」がすべての不審を覆い隠したのである。
クリスは降伏した奴隷たちに対し、貴族子女の件を固く口外禁止としていた。クリス直属の兵士たちですらシータ家の子息と令嬢の姿は見たがそれが誰なのか、は知らされておらず、また、なぜ奴隷たちが突如として戦意を失い降伏してきたのか、誰も分かっていなかったのだ。なお、タチバナ配下の者で拉致に携わったものは当然知っていたが、そこはタチバナの教育が行き届いた者たちであったゆえ情報漏洩の心配はなかった。
また、奴隷たちの側にしても、自分たちが貴族の子女に行った凄惨な報復行為を自ら進んで公言する勇気などあるはずがなかった。
この大戦果により、誰もがクリスの昇格を確信した。しかし、中央軍司令部の老獪な将軍たちは、若き異端児の台頭を快く思わなかったのである。
「今回の件は対外国の戦闘ではない。国内の暴動鎮圧に過ぎん」
妙な屁理屈をこね上げ、将軍たちはクリスの階級昇格を見送ったのだ。
だが、その代わりに司令部が与えたのは「中央軍後方情報部地方担当参謀」という、遠く離れた前線任地にありながらも中央の直轄となる特異な肩書であった。
これによりクリスは国境という地方にいながら再度軍の公金を用いて合法的に工作資金を動かし、独自の工作員を雇い入れる強力な権限を手に入れたのである。
昇格という名誉よりも実利を重んじるクリスにとっては、これ以上ない最高の結果であった。
王都での手続きを終えたある日、クリスはタチバナに命じ、跡取り息子や子女が行方不明となっていた例の貴族、男爵家であるシータ家の屋敷へ連絡を入れさせた。タチバナはシータ家を訪れ、シータ家の執事が対応を行った。
「とある奴隷を引き取っていただきたいのですが」
「奴隷ですかな?失礼ですが当家では奴隷に不自由しておりません」
「あら、よろしいのですか?この奴隷はお宅の子息と令嬢を誘拐して地上から消し去った奴隷の首領ですが」
「しょ、少々お待ちください!」
タチバナが示した法外な価格に最初は拒絶しようとしたシータ家であったが、タチバナの一言が情勢をひっくり返した。タチバナを客間に待たせ、執事は別室で執務中の当主の部屋へ出向いて報告した。
「当家を訪れた見目麗しい女性は奴隷買い取りの秘密取引を打診して参りました。その奴隷こそ、旦那様の坊っちゃんとお嬢様方を誘拐し、惨殺した首領だ、ということでございます」
タチバナは決して「惨殺した」とは言ってなかったが、そう受け取られても仕方ないような表現で伝えたことが執事の言葉となったのだろう。
シータ家当主は瞬間的に頭に血が上ったが、ぎりぎりのところで耐えて執事に確認した。
「噂によるものでしかないが、反乱奴隷の首領は討伐の途中で神の元へ召された、と聞いている。その申し出は金銭目当ての偽物ではないか?」
「そ、そうでございますか。確認して参ります」
執事は当主の前から退室し、客間へ戻ってタチバナに聞いた。
「反乱奴隷の首領は討伐の途中で神の元へ召された、と聞いておりますが」
「あら、お耳が早いこと。ではお買い上げ頂けない、ということでしょうか?」
「そうですね、嘘偽りに騙されては男爵家の恥さらしになりますから」
「では他にお宅の子息と令嬢を見つけ出す良い方法なり、具体的な策はお有りでしょうか?」
「・・・・・・いいえ、ございません」
「では今、目の前にある証拠かもしれない物を確認もせず手放して後悔致しませんか?」
「でも騙された、となれば・・・・・・」
「そんなに金銭が惜しいの?」
「いいえ、そうではありません。当家の名誉が・・・・・・」
「名誉と子息と令嬢の行方、もしくは復讐を比べるとどうやら名誉の方がお大事のようですわね」
「い、いいえ、そういうことではありません」
「いいでしょう。私がこの部屋を出たらもう二度と奴隷の買取りをご提案することはありませんわ。そうなれば貴方がたはたった一つの証拠、もしくはたった一度の復讐の機会を逃すことになります。それでもよろしければ買取り拒否で構いません」
タチバナはふかふかで横長の寝椅子から立ち上がり、客間から出ようとした。
「お嬢さん、お話はわかりました」
男爵家当主は執事が戻ってからの会話を聞いていたのだ。もちろんそれに気が付かないタチバナではなかったが、少し驚いてみせた。
「あら、嫌ですわ。盗み聞きですか?」
「大変失礼しました、お嬢さん。ところでその奴隷が本当に当家の子息と令嬢を誘拐したのですかな?」
「私の話など嘘でもいいじゃありませんか。もう何日も戻ってこないご子息とご令嬢を攫った犯人を捕らえて復讐したいのではありませんか?それが本当の犯人であってもなくても、どの道戻らないなら復讐できる時にしておかないと気持ちが晴れませんわ」
「おっしゃる意味は分かります。しかし」
「もう問答は要りませんわ。私はこれで失礼させて頂きます。」
「わ、わかった、買い取ろう」
「だ、旦那様・・・」
「いいんだ。その奴隷から何か聞き出せることもあるだろう」
「はい」
「ですがお嬢さん、もし嘘であればお覚悟めされよ」
「もちろんですわ」
こうしてタチバナは男爵家を後にし、翌日、奴隷と金銭を交換した。
男爵家は体中を縛られた奴隷の口だけを解放し、問い詰めた。奴隷は確かに反乱途中、シータ男爵家の子息と令嬢だという三人が連れてこられたのを見た。そしてその後に起こった目も覆わんばかりの出来事を話した。それを聞いていた男爵夫人は途中で失神し、当主は溢れ出る涙を拭うことを忘れていた。
そして誰が誘拐したのかを問いただしても、その奴隷からは何も語られなかった。そもそも誰が誘拐して誰が連れてきたのかまったく知らなかったのだ。奴隷が知っていることは誘拐の実行犯ではなく、自分たちが目の前にいる男爵家に歯向かい、最後まで戦って負けたことだけであった。
「確かにこの奴隷が誘拐した証拠はない。しかし、この奴隷本人が言うには、こいつが我が娘に暴行をしたのも事実。我が息子を無惨な目に合わせたのも事実だろう。許せるものではない!」
「旦那様・・・」
「奴隷!最後に聞く。我が息子と娘は今、どこにいる?まだ生きているだろうな!」
「そんなこと、今ここにいる俺に分かるわけ無いだろう?でもな、多分神様のところに行っていると思うぜ」
奴隷の表情、口の利き方、そして言葉の内容。そのすべてが男爵の神経を逆撫でし、男爵は憤怒の形相で叫んだ。
「ころせ!息子と娘が味わった以上の痛みと苦しみを与えて殺せ!」
首領の言葉に怒りを爆発させたシータ家当主は、それ以上の真相を調べることなく、私刑によって首領を殺害した。
クリスはタチバナに命じ「シータ家が反乱奴隷の首領を密かに買い取り、軍に秘密で私刑を行った」という決定的な証拠を固めさせたのだった。これでシータ家はいつでも潰せる。
そして首領が死んだことにより、鉱山の奥深くへ連れ去られた貴族家子女たちの救出につながる重要な手掛かりが失われた。そもそも鉱山奴隷を残酷に扱い、彼らの怨嗟を爆発させたのは男爵家の親たちである。今回のしっぺ返しは自業自得であった。
執務室でタチバナを呼び出したクリスは、今回の見事な暗躍に対して直々に労いの言葉をかけた。タチバナは「当然の任務にございます」と淡々と応じ、クリスが机の上に差し出した謝礼金の包みを静かに押し戻した。
「タチバナ、額が不足か?」
「いいえ、クリス様。私はあなたの影。任務の追加報酬など不要でございます」
「いや、お前は正規の軍人ではない。俺が個人的に雇っている私兵だ。ならば働きに対する報酬を受け取るのは当然だろう。・・・・・・もしかして、金銭以外の報酬の方がいいというのか?ならば何なりと言え。俺が用意できるものであれば何でも用意しよう」
「本当ですか、クリス様」
タチバナの声音が、わずかに熱を帯びて低くなった。
「お約束してくださいますか?クリス様が用意できるご褒美であれば、何でも、と」
「本当だ。約束する」
「では、今夜は、私と一緒にいてください」
初めてクリスとタチバナが男と女として身体を重ねたのは、この夜のことであった。
クリスと身体を重ねながらも、二人は頭の片隅で相手が色に溺れた時の対策を冷徹に計算していた。それでも重なる肌だけは熱く、互いを貪った。
翌朝、クリスがタチバナに見せたのは、夕べの情事など微塵も引きずっていない、これまでと全く変わらない鉄の意志を宿した冷徹な軍人の眼差しであった。
タチバナは内心、彼が狂わなかったことに安堵するような、同時に女としての自尊心を傷つけられて悔しいような、言い知れぬ複雑な感情を抱くこととなったのだった。
悲劇的な奴隷反乱事件の全てが闇に埋もれた後、クリスはシロタとロランの二人を自室に呼び出した。
重苦しい沈黙が部屋を支配した後、クリスが静かに口を開いた。
「ロランに聞きたいことがある」
「ハッ!何なりと」
「奴隷反乱の際、お前は最初シロタの策には反対だったはずだ」
「はい、その通りです」
「なぜ賛成に変わった?私の見立てでは、鉱山管理を行っている貴族の名を聞いた瞬間、お前の中の感情が切り替わったように見えたが」
「クリス様、そこまでお見通しでしたか」
「その貴族家と何があった?」
「いえ、それは、それはご勘弁ください」
ロランの口を無理に割らせるクリスではない。だがロランは極めて根深いものを抱えている。それを聞き出すには、自分から心を割る必要があった。
「分かった。では話を変えよう。お前たち二人に、どうしても聞いてほしいことがある」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、シロタが感情の起伏がない声で遮った。
「それは、発覚すれば軍機違反に問われるような重大な告白ですか?私たちを逃げられない共犯者にするための」
「いいや、違う。ただの、俺の昔話だ」
「なるほど、昔話ですか。ですが中尉、その話を聞くことで、私やロランに何か具体的な利益があるのでしょうか?」
クリスは自嘲気味に、わずかに口元を歪めた。
「無いだろうな。だがシロタ、お前は利益がなければ他人の話を聞くこともできない男か?」
シロタは眼鏡の奥の瞳をわずかに細め、淡々と応じた。
「いいえ。伺いましょう、中尉」
ロランは大岩のように微動だにせず、すべてを受け入れる構えを見せた。その深い暗闇のような瞳だけが、じっとクリスの顔を見つめていた。
この夜、三人は初めて互いの過去を知り、利害だけで結ばれていた関係は、決して裏切らぬ同志へと静かに姿を変えた。
そして初めての交わりから二ヶ月後、真冬の凍える季節にクリスは執務室にてタチバナからの申し出を受けた。
「クリス様、一年間の休暇をいただきたく存じます」
「どうした?何があった。困りごとがあるなら手助けするが」
「いいえ、極めて個人的な事柄です。私が不在の間は、最も信頼している部下を代わりに就かせますわ」
「そうか」
「許可をいただけますか?」
「分かった。明日、支度金を渡す。受け取りに来るといい」
「ありがとうございます」
そうしてタチバナは、クリス二十八歳の年明けから年末にかけての一年間、クリスのもとを離れて過ごした。
この期間にタチバナは王都にあるハポス商会の配下にある婦人科を受診し、そして密かに男児を出産した。そして商会にも周囲にも頑なに父親の名を明かさなかった。
一年もの間、彼女が何をしているのか案じたクリスは、極秘裏にシロタへ命じて密偵を放ち、タチバナの様子を探らせていた。資金援助や護衛のためであったが、密偵から出産の一報を聞かされたクリスは、さすがに驚きを隠せなかったという。
一年後、戻ってきたタチバナの開口一番の言葉に、クリスは苦笑した。
「クリス様、戻りましたわ。それと、極秘の護衛もありがとうございました」
「やはり気づかれていたか。ところで父親は誰だ?」
「父親ですか?フフ、さあ、どなたでしょう。クリス様、とだけ申し上げておきますわ」
「そ、そうか。それで、赤子はどうした?」
「信頼できる養父母を見つけて預けております。資金も潤沢に置いてまいりましたので」
「そうか。困ったことがあれば言え」
それだけを告げ、タチバナは静かに退室していったのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第2章では、もうひとりの主要キャラクターであるクリスの物語を描きました。
次章はクリスたちがなぜ復讐を決意することになったのか、という過去のエピソードを描きます。
どうぞご期待ください。
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引き続き『ヒュービック大陸興亡記』をよろしくお願いいたします。




